地黄八幡との決戦と出羽制圧
織田家と竹中家が苦戦を強いられていた関東でも、ようやく風向きが変わりつつあった。
昨年末の三浦半島での敗戦の痛手を癒すため、玉縄城に籠って忍従していた織田軍だが、本来ならば春の内に反撃に転じたいところであった。
しかし、小田原城を落とした織田軍を潰走させた北条家の残党の勢いは頂天に達していた。その勢いのままに北条家の残党は、田植え後の5月下旬から1万の兵で玉縄城を攻める。
玉縄城に籠る兵は、信長が残した守備兵3千と、撤退に成功した本隊の内3千を合わせて6千ほどである。だが頑強な抵抗を続ける織田軍の前に、勢いに乗る北条勢でも玉縄城を落とすのはさすがに難しい状況であった。
やがて秋に入ると9月下旬、秋の収穫で農繁期になるのを待っていたかのように、織田信長はついに動くと、三河や遠江、駿河、伊豆から難攻不落の小田原城に守備兵1万を徴集した。
その代わりに、信長は傷の癒えた小田原城の常備兵を玉縄城への後詰を送った。総勢2万もの援軍が駆け付けると、ようやく北条勢を撤退させるに至った。
◇◇◇
武蔵国・権現山城。
しかし、北条勢も4ヶ月もの間ただ玉縄城を包囲していた訳ではない。"関東大連合"の諸勢力と連携を重ね、北条勢の1万に加えて里見家、佐竹家、小田家、千葉家、結城家等に援軍を求めたのだ。しかし、農繁期であるため駆けつけた援軍は極少数で、総勢は2万に留まった。
かくして10月10日、織田軍3万と関東大連合軍2万は武蔵国橘樹郡の権現山城の西で睨み合いとなる。"関東大連合"は烏合の衆ではあったが、織田軍を一度は打ち破ったという自信に満ち溢れ、将兵の士気は総じて高いものだった。
膠着状態が崩れるのにそう時間は掛からなかった。朝から雨が降る中、総大将を務める"地黄八幡"北条綱成の号令により、関東大連合軍が織田軍に襲い掛かったのだ。
「皆の者、鉄砲さえ封じれば織田は弱兵に過ぎぬ。今だ! 掛かれぇぇぃ!」
「「応ぉぉぉぅ!!」」
綱成は織田軍の主力が鉄砲隊であるのを見破ると、鉄砲の使用が封じられる雨天時を待って一気に攻勢を仕掛けた。そして、絶えず将兵を鼓舞し続ける綱成の声に、寡兵の連合軍の士気と結束は高まり、織田軍に対して緒戦は戦況を優位に進めた。
しかし、兵数で勝る自軍が劣勢に立たされる意外な展開を目の当たりにしても、信長はまるで始めから織り込み済みとでも言うかのように動じることはなかった。
「そろそろだな」
開戦から半刻ほど過ぎた巳の刻(朝10時)、信長がそう呟いた直後に、戦いは予想外の展開を迎える。突如として"関東大連合"の背後に竹中軍2万が現れ、襲い掛かったのだ。
これは6月に鉢形城を落城させた際に、信長からナパームを融通してもらった対価として竹中半兵衛が送った援軍であった。
突然の背後からの攻撃に関東大連合軍2万は瞬く間に大混乱に陥る。前後から5万の兵による挟撃に、もはや先ほどまでの士気の高さは雲散霧消し、やがて雨が止むと織田軍自慢の鉄砲隊が銃撃を開始し、形勢は完全に逆転した。
崩壊した関東大連合軍は散り散りとなり、"関東大連合"の諸将は追撃を受けて個別撃破され、北条綱成は権現山城を捨てて入間郡の河越城に落ち延びた。
◇◇◇
武蔵国・河越城。
竹中軍は鉢形城を落とした後、既に熊倉城や松山城、岩槻城を相次いで落とすことに成功していた。権現山城を落とした織田軍も勢いに乗って江戸城を攻略し、荒川沿いを北上すると竹中軍と合流し、11月初旬には総勢5万に達する大軍で河越城を包囲した。
一方、河越城に留まるのは北条綱成が率いるわずか2千の兵のみだった。権現山での敗北で「関東八屋形」の諸将は軒並み討死するか、命辛々自領へ逃げ帰り、北条家の残党も一部は未だ健在の里見家や佐竹家に身を寄せていたからだ。
河越城を包囲する形で布陣した織田・竹中連合軍の本陣では、両家の諸将が集まり、軍議を開いていた。
「河越城は堅城ですが、ナパームで大手門を燃やせば北条左衛門大夫(綱成)も打って出るしかありますまい。ならば敵が勝つには大将首を狙うしかありませぬ。おそらく魚鱗か鋒矢の陣で三郎殿を狙って本陣に突撃を仕掛けてくるでしょう」
竹中半兵衛は中央の大きな板の上に返碁の駒の黒を上にして三角形に並べていく。すると、羽柴長秀も白を上にしてⅤの字形に駒を並べて応じる。
「ならば我らは鶴翼の陣で左右から挟み、最後は翼を閉じて包囲殲滅すべきと存じまする」
「左様。そこで左翼は柴田修理進殿(勝家)、右翼は我が軍の長野新五郎(業盛)、奥には守りの固い佐久間出羽介殿(信盛)を配したいと存じまする」
「良かろう。だが半兵衛。敵を両翼の間に誘き寄せる策が必要ではないか?」
半兵衛の戦術を聞いた信長が訊ねる。
「はい。囮役が必要です。将の指揮に従う結束の固い兵が相応しいかと存じまする」
「尾張守様。この猿めにお任せを!」
「良くぞ申した。大事な役目だ。猿、任せたぞ」
「はっ、必ずや誘き寄せてみせまする」
そう言って羽柴藤吉郎はニカッと歯を見せて意気揚々に返答した。
◇◇◇
11月3日。ついに河越城の大手門から炎が巻き起こった。
「ふふ、よもやこの城で最期を迎えるとは因果だな」
北条家が雄飛する契機となった河越城で最期を迎えることに、北条綱成は眼下の5万の敵兵を見据えながらも泰然自若としていた。
「御本城様(北条氏康)、左京大夫様(北条氏政)、そして新太郎(藤田氏邦)も逝った。次は儂の出番だ。皆の者、死地へ赴く覚悟は良いか!」
綱成は文武両面から氏康に厚い信頼を寄せられ、同い年で義兄弟でもあったため非常に仲が良かった。その氏康の無念を晴らし、家中の不満を逸らすため、あえて綱成は武闘派の家臣を引き連れて小田原城を出たのだ。
「「無論!」」
河越城に籠る武闘派の北条家臣たちは、綱成の言葉に決死の目で頷き返す。
「では、今より打って出る。狙いは織田尾張守の首ただ一つ。行くぞぉ!」
「「応っ!!」」
兵数差は25倍で絶望的だった。半兵衛の読みどおり綱成は鋒矢の陣で正面に立ち塞がる藤吉郎の軍勢を蹴散らし、退却する敵兵を追撃して敵本陣に向かう。
「鶴翼の陣か。ならば包囲される前に尾張守を討つのみ!」
四半刻の後、"地黄八幡"の異名のとおり鬼神と化した綱成は本陣の正面に肉薄する。
「来たか。勝三郎」
「はっ」
脇に控える池田恒興が鉄砲を信長に手渡す。
「信長ぁ、覚悟ぉーー!」
「ふっ、笑止!」
――ダダーン!!
「ぐぁっ!」
信長の銃弾を眉間に受けた綱成は落馬する。
「地黄八幡、討ち取ったりぃぃーーっ!!」
信長の鬨の声が戦場に響き渡ると、やがて北条勢は1人残らず討死し、かつて"南関東の覇者"と謳われた北条家は2度目の滅びを見たのであった。
◇◇◇
その頃、出羽国では上杉軍は大宝寺家と小野寺家を臣従させたが、5万に達していた軍勢が既に4万にまで減っていた。
だが、それでも戦力は圧倒的である。大宝寺家と小野寺家が屈服すると、仁賀保家、矢島家、滝沢家、石沢家、下村家といった「由利十二頭」の豪族の抵抗も虚しく由利郡は落ち、山本郡の六郷道行、本堂忠親も降伏する。
11月上旬、北出羽で大きな勢力を誇る戸沢家や安東家、浅利家は陸奥国の南部家の支援を受け、2万の軍勢で豊島郡の御所野に布陣した。
上杉輝虎はこれまで苦戦した鬱憤を晴らすかのように、正に"軍神"の如く軍配を振るう。この戦いの勝利が出羽国の平定を大きく手繰り寄せることになるからだ。
"軍神"相手に奮戦する出羽勢だったが、倍する上杉軍には衆寡敵せず大敗を喫する。上杉軍は安東愛季、戸沢道盛、浅利勝頼を降伏臣従させると、降雪の前にようやく出羽国の平定を成した。
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