九州征伐③ 相良と肝付の臣従
大隅国・高山城。
肝付家は平安時代末期に肝属郡の弁財使(荘園監督官)を務めた平兼俊を祖とし、本拠の高山城は三方を川が流れ、一方は崖という大隅国随一の防御力を備えた天然の要害である。
8月20日、夏空から強い日差しが振り注ぐ中、肝付家17代当主・肝付河内守良兼が馬場で寛ぐ馬を眺めていると、背後から声が掛かった。
「河内守様。伊東家の使者が書状を届け申した。此れにござる」
書状を受け取った良兼は重臣の薬丸兼将の言葉に目を細めた。伊東家とは戦時に協力する同盟関係だが、普段は書状が届くことなど滅多になかったからだ。
「ほう、どれ……。寺倉家が日向に上陸したとは聞いておったが、やはり伊東家は臣従したようだな。寺倉左馬頭様が直々に話がしたい故、都於郡城に登城せよとの仰せだ」
「ですが、日向から島津を追い出した今、伊東家は河内守様を疎み、誘い出して謀殺しようと企んでいるやもしれませぬ。まずは某が出向いて隔意の有無を確かめるべきと存じまする」
兼将は当主の名代として使者に赴くことが多く、今回も論を俟たずに告げる。
「いや、左馬頭様は我に出向けと申しておられる。即ち、臣従せよとの仰せなのだろう」
良兼もいずれ"六雄"が九州に進出するのは覚悟しており、ついにその時が来たと悟る。
「左馬頭様は"天下人"と名高い御方だ。我を呼んだにも関わらず家臣の御主が出向けば、服従を拒んだとしてそれこそ伊東家の思う壺となろう。寺倉家の総勢は5万と聞く。我らが敵うはずもなかろう。とはいえ島津に味方するなど言語道断だ」
良兼は父・兼続の敵討ちに並々ならぬ決意を抱いていた。伊東家と協力したのも偏に島津を討ち果たすためであった。
「では河内守様様が自ら都於郡城に出向かれますか?」
「うむ、そうする他なかろう」
良兼はそう告げて話を終えると、静かに瞑目し、肝付家の行く末を思案するのだった。
◇◇◇
肥後国・人吉城。
球磨郡を流れる球磨川の南岸にある人吉城は、鎌倉時代に相良家が人吉荘に地頭として移住して以来長きに渡る居城である。
北と西は球磨川と胸川を水堀とし、東と南は山の斜面と崖を天然の城壁として築かれた堅牢な平山城だが、それとは対照的に相良家は島津家の圧迫の前に切迫していた。
肝付良兼の元に手紙が届いた同じ頃、北畠惟蹊は寺倉家の威光を見せつけるかのように、1千の兵を率いて堂々と人吉城の相良義陽を訪ねていた。
「寺倉家家臣、北畠伊勢守惟蹊と申しまする」
「相良修理大夫頼房と申しまする」
頼房とは義陽の初名だが、そう名乗ったのには事情があった。義陽は5年前に将軍・足利義輝から従四位下・修理大夫の官位と偏諱を授かって改名したが、従四位下の位階が家格に比べて高すぎると、大友宗麟と島津義久が室町幕府に激しく抗議したのだ。
これは相良家に高い官位を授けて伸張著しい大友家と島津家を抑え込もうという足利将軍家らしい義輝の意図であったが、両家の言い掛かりに対して無用な争いを避けるため、義陽は対外的には頼房と名乗らざるを得なくなっていたのである。
「此度は突然の来訪、誠に申し訳ない」
"天下人"の実弟である惟蹊が頭を垂れると、相良家の主従から驚きの声が漏れる。
「頭をお上げくだされ。ご用件をお聞かせ願いまする」
「主君であり兄上の寺倉左馬頭様は九州平定のため相良家に臣従を望んでおられる。相良家が臣従した暁には南肥後の代官として球磨郡と葦北郡、八代郡を安堵し、薩摩国伊佐郡を召し上げる代わりに、天草郡を加増するとの由にございまする」
相良家は今も大口城を死守しているが、島津の攻勢の前にもはや落城寸前であった。正吉郎はその伊佐郡をあえて召し上げる代わりに南肥後で加増する条件を提示し、相良家に服従を迫ったのである。
「うぅむ……」
「さらに、既に滅んだ足利将軍家から偏諱を授かった諱を、修理大夫殿が名乗ることの出来ない事情を左馬頭様は大層気の毒に思われ、修理大夫殿に偏諱を授け、蹊長と名乗るのをお許しになり申した」
惟蹊が正吉郎が偏諱を授ける恩情を伝える。相良家の通字としては「頼」や「長」が用いられており、正吉郎の偏諱を授かって「蹊長」と名乗るのことを許可したわけだ。そして義陽はその意図をすぐに看破する。
「それは、言い掛かりを付けてきた大友や島津に対して相良家の旗幟を鮮明にさせ、寝返りを許さぬ、という意図にございますかな?」
「さすがにございますな。実は修理大夫殿がただ喜んで偏諱を受けるだけか、それとも偏諱の意図に気づくかを見極めようと、兄上は仰せにございました」
「ふふ、それをわざと明かして、私が立腹するかで私の度量を推し測るつもりにござろう?」
義陽が明晰な頭脳の持ち主であることに、惟蹊は内心で驚嘆する。
「ははは、兄上は修理大夫殿とは同い年にござれば、修理大夫殿を気に掛けておるのでございますよ。縁戚の伊東家と同じ工藤氏の流れを汲む相良家にも相応に厚く遇することをお約束いたしまする故、修理大夫殿には何卒熟慮いただきたく存じまする」
「いや、正直申せば、誠に悔しながら我らには島津から大口を守り切る力は残っておりませぬ。故に、喜んで寺倉家に臣従し、今より相良修理大夫蹊長と名乗らせていただきまする」
冷静沈着で思慮深い義陽は現状を冷静に分析し、このままでは後1年もしない内に大口は島津の手に落ちると察していたのだ。
「誠にかたじけない。今頃は大隅の肝付家も臣従しておりましょう。これで冬には島津を討ち滅ぼせますぞ」
惟蹊は兄から課せられた使命を果たすことができ、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
◇◇◇
日向国・都於郡城。
先日、惟蹊が無事に相良家を臣従させた。どうやら相良義陽、いや相良蹊長は俺が見込んだとおり有能な男のようだ。
そして先ほど肝付良兼が自ら僅かな護衛の兵と共に登城したらしい。下手に大勢の兵を率いて来れば俺から敵意ありと見做されると考えたのだろう。賢い判断だな。
「左馬頭様。肝付河内守殿が大広間に入りました」
「うむ」
俺は肝付良兼が平伏する大広間へと足を運ぶと、"天下人"らしい威厳のある所作で上座に着座する。下座の横には伊東義祐・義益親子も控えている。
顔を上げた良兼は30代のなかなかの偉丈夫だった。
「肝付河内守良兼と申しまする」
「寺倉左馬頭である。河内守殿、わざわざ呼び出してすまぬな」
「いえ、"天下人"たる寺倉左馬頭様の仰せであれば、馳せ参じるのは当然にございまする」
そう答える良兼は緊張で肩が強張っているように感じられる。
「此度、貴殿を呼んだ用件だが、私は肝付家に臣従を望んでおる。無論、臣従した暁には厚遇するつもりだ」
「加増していただける、という意味でしょうか?」
勇将と聞いたとおり、良兼は単刀直入に訊ねてきた。
「実はな。伊東家が臣従した際に、島津を討ち滅ぼした暁には日向一国の安堵を約束しておる。つまりは相良領の櫛間や志布志は伊東家に譲ってもらうことになる」
「なんと!」
良兼は目を見開いて唖然としている。
「だが、案じずとも良い。その代わり肝付家には菱刈郡を除いて大隅一国を与えよう。大幅な加増となる故、悪くはない条件だと思うが、如何かな?」
肝付家は大隅と南日向で10万石ほどを領するが、大隅一国ならば菱刈郡を除いても16万石になる。さらに仇敵の島津を討てるとなれば良いこと尽くめだろう。
「分かり申した。肝付家は寺倉左馬頭様を主君と仰ぎ、一所懸命努めて参りまする」
「うむ。既に南肥後の相良家も臣従した故、この冬には我らは島津攻めを行う腹積もりだ。貴殿にも働いてもらうことになるが、頼んだぞ」
「はっ、父の仇を討つためにも微力ながら働かせていただく所存にございまする」
そう笑顔で告げる良兼は勇将だが、実直な男のようだ。父の復讐に目を奪われることもなく、公私の分別は出来るようだ。島津を討ち倒した後も問題なく大隅を治めるだろう。
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