毛利の失墜⑤ 最後の決戦

石見国・山吹城。


7月中旬、大友軍の侵攻に対して、本拠の吉田郡山城を捨てて石見に兵を退いた毛利軍は、石見銀山や銀山街道の防衛のために築かれた山吹城と石見城、矢筈城、矢滝城の4城に分かれて入城した。


石見国邇摩郡大森に位置する石見銀山は14世紀初頭に発見されて以降、大内家や尼子家、毛利家による争奪戦が繰り広げられてきた世界有数の銀山である。


石見城は石見銀山のある大森の北から日本海に通じる鞆ヶ浦道を押さえ、矢筈城と矢滝城は大森の南の温泉津沖泊道を挟むように築かれた山城だが、山吹城は石見銀山のすぐ傍の標高400mほどの要害山全体に築かれた最後の牙城であった。


7月20日、その山吹城の大広間で毛利家当主・毛利就辰は重臣たちと軍議を開いていた。


「浅井の軍勢は如何ほどの数か?」


「はっ、既に3万ほどが西出雲に集結しており、さらに日毎に増えておる模様にございまする」


「くっ、3万以上か。毛利家にとって石見銀山は財政を支える柱であり、此処を奪われるは即ち滅亡と同じであるのは皆も存じておろう。銭で傭兵を雇ったことにより我らも2万の軍勢としたからには、此の地で背水の陣で浅井の侵攻を退けるしかあるまい」


「「はっ」」


就辰の言葉に重臣たちが頷くと、最前列に座る吉川元春が重い口を開く。


「だがな、太郎右衛門尉よ。兵数に劣る我らが4つの城に兵を分けるのは兵法としては間違っておるぞ。それに今や我らの領地は石見一国だ。石見は石高は11万石と低い故、長期に渡る戦では城が落ちるよりも先に兵糧が底を突きかねぬ」


「なるほど、確かに兄上の仰るとおりですな。では浅井と対するには4つの城で籠城するよりも、我らに地の利のある地で野戦に持ち込むべきだと申されまするか?」


「左様だ。たとえ浅井が3万の大軍であろうとも狭い山間の地を戦場にすれば、我ら毛利の屈強なる兵が兵数の不利を覆してみせるであろう。皆の者、如何だ!」


「「必ずや浅井を破りましょうぞ!」」


毛利家の"武"の象徴とも言える吉川元春の頼もしい言葉に毛利家中は一丸となり、毛利軍は4つの城から順次出撃すると、石見国最東端の安濃郡に兵を進めたのである。




◇◇◇




石見国・朝山。


7月23日の巳の刻(午前10時)。毛利軍2万は出雲との国境にある朝山の地で浅井軍3万5千を迎え撃った。


朝山は山陰道の通る安濃郡東部の山間部一帯であり、毛利軍は狙いどおり地の利のある狭い山間部で、浅井軍との決戦に臨むことに成功したのである。


緒戦となる先陣同士の戦いは損耗の危険度が高いため、毛利軍は傭兵主体で先陣を構成していた。その結果、むしろ毛利軍の方が浅井軍よりも先陣の兵数は多く、戦況は毛利軍の優勢に運ぶものと予想された。


だが傭兵たちは、決して歴戦の勇士などではない。元は畿内や中国・九州での負け戦から逃げ延びた後、次男や三男のため貧しい実家に帰るのを良しとしなかった農民兵たちが大半であり、そうした農民兵の中で腕っぷしの強い粗暴な者は悪の道に染まって野盗や山賊になるのが常であった。


それ以外で、野盗や山賊になるほど強くも野卑でもない平凡な者たちは、諸国を渡り歩く傭兵稼業をしていた。そうした彼らには元より戦功を挙げて立身しようという大望などあるはずもなく、日々を食い繋ぐための飯と酒や遊女を買う金が目当てであった。


自軍が勝とうが負けようが何よりも自分の身を守るのが最優先であり、自軍が形勢不利となれば味方を見殺しにしてでも、すぐさま戦場から逃げ出そうという賤しい魂胆を隠し、自軍への忠誠心や仲間との連帯感の欠片も持たない半端者が彼らである。


一方、浅井軍の先陣は毛利軍よりも寡兵ながらも傭兵は一人もおらず、尼子家の遺臣や領民兵ばかりだった。元主家の仇である毛利家に復讐しようと躍起になっている尼子家の遺臣たちは、その高い闘志を買われて浅井長政から先鋒を命じられていた。


また、領民兵たちは自分の国や家族を守るという悲壮な決意や、あるいは戦功を挙げて武士になるという勇猛な大志を有していた。さらに地の利の面でも、尼子家の遺臣や鉢屋衆を擁する浅井軍は決して毛利軍に引けを取ってはいなかったのである。


「皆の者、かかれぇぇーぃ!」


「「「応ぉぉぉーーっ!!」」」


浅井軍と傭兵で構成された毛利軍とは正に好対照であった。両軍の士気の違いは兵数の差を簡単に覆すほどに大きく、それが自ずと戦況となって表れるのに大した時間は掛からなかった。


半刻(約1時間)も経たない内に、異常に士気の高い浅井軍の攻勢によって、兵数で勝るはずの毛利軍の先陣は防戦一方の状況に追い込まれる。


「一体何なんだ。浅井の奴らは鬼か獣か!」


「これじゃあ、命が幾らあっても足りやしねぇぞ!」


「負け戦に付き合っていられるか! 俺は逃げるぜ」


「おっ、おい待て! 俺も逃げるぞ!」


毛利軍の目敏い傭兵2人が先陣から離脱して山中に消えていくと、それを見た近くの傭兵たちも雪崩を打つように慌てて逃げ出していく。やがて先陣が崩壊したのが明らかとなると、後背の中陣で遠目でそれを見ていた傭兵たちに波及するのは当然の成り行きであった。


「申し上げます! 中陣から傭兵たちが逃げ出し始めたとの由にござる」


「傭兵どもめ! 手付を貰っておきながら、戦わずして逃げ出すとは何たることか!」


「太郎右衛門尉よ。所詮、銭雇いの傭兵とはこの程度の者たちだ。だが、中陣も崩れては最早戦えぬぞ。足止めに出羽民部大輔を要害山城に残し、我らは山吹城へ退くしかあるまい」


出羽元祐は石見国邑智郡の有力国人だが、嗣子が居なかった出羽家には毛利元就の七男・毛利元倶が嗣養子に入っていた。しかし昨年、元就が死去すると、2ヶ月後には元倶も14歳で夭折していた。


実は出羽元祐には庶子の出羽元勝がおり、元勝を跡継ぎにしたかった元祐は、恐れていた毛利元就の死後に元倶を毒殺したのだ。元祐は毛利就辰に起請文を提出して毛利家への忠節を誓ったが、吉川元春と毛利就辰は元気だった元倶が早死したのは毒殺に違いないと確信していた。


そこで今回、吉川元春は出羽元祐を粛清する目的も兼ねて、浅井軍の足止め役に任じようと提案したのである。元春の意図を理解した就辰はふっと息を吐いた。


「なるほど。已むを得ませぬな。皆の者、退却だ!」


こうして、半数を傭兵によって構成された毛利軍は、先陣の大敗により中陣まで瓦解することとなり、本隊が浅井軍との決戦に挑むこともできず、毛利就辰は山吹城へ退却を余儀なくされたのである。


「朝山の戦い」で大勝した浅井長政は手を緩めることなく、抵抗の激しい要害山城を攻め、守将の出羽元祐の壮絶な討死の末に攻略すると、さらに石見銀山の南北を守る石見城、矢筈城、矢滝城の3つの支城を次々と攻め落とした。


そして8月1日、毛利就辰の籠る山吹城は、浅井軍3万3千の軍勢に包囲されたのであった。




◇◇◇




石見国・山吹城。


8月2日。山吹城を包囲する浅井軍の本陣を突然、意外な来客が訪ねた。浅井長政は一見しただけで高貴な身分だと目を丸くした。


「浅井加賀守殿、お初に御目に掛かる。拙僧は九条恵空と申す」


「禅閤様にございますか!」


「良い、良い。お気になさるな。元は関白とは言えども仏門に入った身であれば、上座を空けずとも構わぬ」


恵空は席を動こうとする長政を片手で制止し、穏やかな物腰で告げるが、長政は額面どおりに受け取らず、恵空に上座を譲る。


恵空は既に63歳の老僧だが、かつての俗名は九条稙通と言い、35年ほど前に関白と藤氏長者に登り詰めた九条家16代当主である。


(関白を務めたほどの人物がわざわざ訪ねてきたのだ。おそらく毛利が朝廷に和睦の斡旋を頼んだのであろう)


長政は恵空の訪問の意図を推理し、心中でそう呟いた。

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