毛利の失墜④ 細川藤孝の逃避行

安芸国・吉田郡山城。


少し時は遡り、忙しなく蝉が鳴き続ける7月中旬の朝。前夕の雨の影響もあってか、ムッと湿った熱気が地面から立ち昇るが、吉田郡山城の毛利家中は暑さどころではないほどの焦燥に駆られていた。


毛利家の本拠である吉田郡山城に大友の軍勢3万が迫りつつあったのだ。大友軍に対して毛利家は火急の決断を迫られていたのだから、当然と言えば当然である。


数年前まで殷賑を極めていた毛利家の庇護を受けていた領民たちは、ここ最近の毛利家の凋落に不安を覚えていたことや、偉大な毛利元就や"両川"の小早川隆景を失ったことも相まって、吉田郡山城の城下も酷く混乱していた。


吉田郡山城は安芸毛利家の祖である毛利時親が200年ほど前に築城して以来、毛利家代々の居城であり、当初は小さな山城に過ぎなかった。しかし、12代当主の毛利元就の勢力拡大と共に郡山全域に拡張され、今では平時の居館も一体化した巨大な城郭へと変貌を遂げていた。


毛利家中では西国随一の巨城である吉田郡山城ならば、大友軍相手に籠城しても十分持ち堪えるだろうと高を括る者がほとんどだったが、中には極僅かではあるが、先行きに不安の拭えない毛利家を見限り、こっそりと安芸を去った者もいた。


そして此処にも一人、喧噪の真っ只中の吉田郡山城にあって己の身の振り方について思案に耽る者がいた。流浪の果てに毛利家に仕官した元幕臣、細川兵部大輔藤孝である。


(2年半前に土佐に立ち寄った際、土佐一条家に仕えなかったのは我ながら慧眼であったが、毛利家の置かれた状況も、今や寺倉に滅ぼされた土佐一条家と似たり寄ったりだな)


36歳の藤孝は毛利家は最早朽ちるのを待つのみだと冷徹な判断を下した。そして、毛利家を捨てて他国に逃避する決意も固めつつあった。


(だが、どこへ向かうべきか? 九州はいずれ"六雄"が攻め入ろう。となれば東国しかあるまいが、名門・細川家のこの私が辺境の東国に下向せねばならぬのか)


東国に逃げ落ちるなど、京で生まれ育った藤孝にとっては誇りを失うに等しい屈辱だった。しかし、室町幕府が滅んでから波乱に満ちた人生を送ってきた藤孝にとって、誇りだけでは生きていくことはできず、一時の恥は甘んじて受け入れる覚悟を固めていた。


(そう言えば、関東では"関東大連合"という一大勢力が結成されたと言うではないか。御神輿とは言え、古河公方の足利右兵衛佐(義氏)が率いておるのであれば、元幕臣の私ならば古河公方への仕官も叶うであろう)


管領家の細川一族の幕臣として室町幕府を支えてきたという強い自負があった藤孝は、風の噂で"関東大連合"の蜂起を耳にしていた。そこで、未だ足利将軍家の権威が強く残る関東であれば元幕臣の自分が立身する術もあるだろうと思い至る。


(いや、それどころか織田や竹中を退けた暁には、上杉に代わって関東管領の座に就くのも夢ではなかろう。ふふふ)


さらには、あわよくば古河公方の下で関東管領を目指すという野望を抱くと、ふと気づけば藤孝の口元は緩やかに弧を描いていた。




◇◇◇




その日、細川藤孝は主君の毛利就辰の元に赴くと、「妻の体調が思わしくないため、実家の若狭に戻って療養させ、自分も世俗より離れて隠棲したい」という嘘の理由を用意して致仕の意向を申し出た。


(朝廷との外交役を期待して召し抱えておったが、所詮は仕官して日の浅い元幕臣に忠誠心を期待するのが無理であったか)


就辰も藤孝が落ち目の毛利家を見限り、今の内に安芸から落ち延びようという意図なのはすぐに察したが、慰留することなく致仕を認めたのであった。


翌朝、藤孝は妻子と共に城下の混乱に乗じて吉田郡山城をひっそりと出立した。


「おい、待て! 怪しいな、毛利の間者だな? ひっ捕らえよ」


しかし、運の悪いことに大友軍の先行部隊に遭遇してしまった藤孝一行は、町民に扮した格好を怪しまれて捕われると、本陣の大友宗麟の元に連れて行かれてしまう。


「私は元は幕臣にて、細川兵部大輔藤孝と申しまする。仕官先を探して諸国を放浪する身にございまする」


「ほう、細川家の者とな。では、我が大友家に仕える気はないか?」


幸いなことに大友宗麟は藤孝を害するつもりはなく、優秀な人材を欲する大友家に仕官しないかと提案した。


「……申し訳ございませぬ。実は妻の体調が思わしくないため、療養のため実家の若狭に向かう途中にございますれば、ご厚情かたじけなく存じまする」


しかし、大友家はいずれ"六雄"の浅井、蒲生、寺倉と対決する可能性が非常に高いため、大友家に仕官したところで未来はないと判断した藤孝は丁重に仕官を辞退する。


「左様か。残念だな」


「では、せっかくのご厚意を無にするお詫びとして、一つお伝え申しましょう。かつて毛利家に滅ぼされた尼子家の当主、尼子右衛門督殿(義久)が円明寺に捕われておるそうにございまする」


残念がる宗麟に、藤孝は自身を解放してもらう代わりに、毛利家に軟禁されている尼子義久の居場所を明かしたのである。毛利家を裏切る行為ではあるが、藤孝にとっては些細なことでしかなく、良心が痛むこともなかった。


「ほう、尼子家の当主か。浅井との戦いに利用できるやもしれぬな。礼を申すぞ」


こうして大友宗麟は藤孝を解放し、藤孝一行は再び東国への旅路に就いた。




◇◇◇




「右衛門督様が大友に捕らえられただと!?」


鉢屋衆の棟梁・鉢屋弥之三郎が怒声を上げた。大友家が安芸に侵攻し、元主君の救出があと一歩に迫った時の急報だった。


「どうやら毛利を出奔した細川兵部大輔が大友に捕われ、解放されるために右衛門督様の軟禁場所を明かしたようにございまする」


「命欲しさに右衛門督様の身柄を売るとは……絶対に許せぬ!」


沸々と沸きあがる怒りを拳に込めながら弥之三郎は悲嘆に暮れる。


「庄次郎、奴を始末せい。だが、奴の妻は加賀守様の軍師である沼田上野之助様の妹御だ。妻子は殺してはならぬ。良いな」


「はっ」


庄次郎と呼ばれた男は鉢屋衆の中で最も暗殺に長けた手練れであった。弥之三郎の指示を受けた庄次郎は音もなく消えた。




◇◇◇




大友家から解放された細川藤孝は、妻の麝香や熊千代、頓五郎、伊也の3人の子供たちを気遣いながらも、足取りも軽やかに関東に向けて順調に歩みを進めていた。


しかし、備後を抜けて備中との国境に近い山道に差し掛かった時であった。


「細川兵部大輔! 覚悟いたせぇぇぃ!」


矢庭に声が響くと同時に、忽然と黒装束の男3人が現れ、藤孝を襲った。藤孝は塚原卜伝に学んだ剣術を始めとして武芸百般に通じていたものの、突然の襲撃に対応することは出来なかった。


藤孝は麝香や子供たちを庇う体勢で3人から斬撃を受け、山道に倒れ伏した。


「与一郎様!!」


麝香が藤孝に駆け寄って涙を流すが、藤孝の目には麝香の顔は朧げにしか映っていなかった。


(ふふふ、今まで散々な人生であったが、よもや素破に討たれることになるとはな。何故こうなった? 畠山か? いや、そもそもは寺倉に仕官を断られたのが切っ掛けか。愛する妻を泣かせてまで己が野心に執着した報いだな)


藤孝は己の身勝手さから妻子に大きな負担を強いてきたことにようやく気づくが、既に後の祭りであった。


「麝香、子供たちを連れて義兄上の元へ参るがいい。苦労を掛けたな、済まぬ」


「「ちちうえぇぇ!」」


細川藤孝は悲哀を帯びた笑みを浮かべながら表情を緩やかに崩すと、妻の絶望に塗られた表情と息子たちの喫驚を耳に留めながら、ひっそりと歴史の舞台から姿を消した。


同じ頃、吉田郡山城の城下が大友軍に包囲されると、毛利就辰は意外にも本拠を捨てて石見に撤退し、捲土重来を期す決断を下したのであった。

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