四国平定⑤ 四国の覇者
伊東義益の調略に成功したことにより、兵を損耗せずに地蔵嶽城を攻略できただけでなく、日向を九州征伐の橋頭保とすることもできた。
本来、西土佐と南伊予の17万石の動員兵数は4千5百ほどだが、田植えの農繁期で人手は集まらず、一条松平の兵数はせいぜい2千のはずが、地蔵嶽城と蓮池城には合わせて1万もの兵がいた。
確かに一条松平家にとっては御家存亡の危機であるため、形振り構わず女子供や老人に田植えを任せ、阿波の三好家と同じように死に物狂いで男衆を徴集したのかもしれない。
それでも1万の兵数は40万石相当で余りに多すぎるし、作付けが減って秋の収穫が半減するのを覚悟しなければならない。不審に思った俺は順蔵に調べさせたところ、とんでもない事実が判明した。
2月に一条松平軍が岡豊城から撤退した際に、中土佐の男衆を無理やり連れて行き、中土佐の村には成人男子は一人も残っていなかったのだ。確かにそれなら辻褄は合う。
自軍の兵を増やし、かつ敵の将来の負担を増やす一石二鳥のえげつない策だ。只で中土佐を明け渡す代わりに男衆を攫っても文句は言わせないという論法か。謀略家の松永久秀なら平気でやりそうだ。
今秋以降の土佐は間違いなく米不足になるだろうが、平定後の土佐の領民を飢死させる訳には行かない。嫌がらせのつもりだろうが、その皺寄せを被る方は堪ったもんじゃない。一条松平にはそれ相応の報いが必要だな。
◇◇◇
一条松平軍の総大将である土居宗珊は命辛々伊予から撤退し、本拠地の中村城に舞い戻った。地蔵嶽城から脱した3千の兵には退路で逃げた者も多く、中村城に辿り着いた兵は2千ほどに減っていた。
しかし、これは一条松平家の崩壊への序章にすぎなかった。蓮池城で大倉久秀の第2軍と対峙する松永久秀と鳥居元忠ら松平党は、南伊予を失陥したとの報を受けると中村城への撤退を決断し、中村街道を南下した。
一方、梼原城を落とした北畠軍と伊予国人の第3軍6千は四国山地を四万十川沿いに南下し、窪川で松平党4千の軍勢を迎え撃った。
緒戦は松平党が意地を見せ、第3軍の脆弱な連携の隙を突いた松永久秀の策略により、寡兵ながらも鮮やかに勝利する。とはいえ、北畠惟蹊が命じられたのは松平党の足止めに過ぎず、その勝利が大勢に影響を与えることはなかった。
松平党は追撃してきた大倉久秀の第2軍1万4千に背後から挟撃されると、壊滅の憂き目を見た。しかし松平党の主だった将ら5百の兵は東の山中に退路を見出すと、小室湾から海路で撤退を始めた。
◇◇◇
土佐国・中村城。
5月上旬、中村城を包囲する4万もの寺倉軍に対して、籠城する一条松平軍は2千5百で絶望的な状況に追い込まれていた。
辛くも中村城に帰還を果たした松永久秀と鳥居元忠ら松平党は、土居宗珊と対応を協議する。これまで寺倉軍からは幾度も降伏勧告の書状が送られており、中村城を包囲した後も変わらなかった。だが、変わったのは降伏条件であった。
三好家が滅亡する前、一条松平家が西四国で勢力を誇っていた時には、土佐一国を安堵する条件だった。だが、滅亡寸前に追い込まれた今では御家存続と当主・一条家康の助命の2点のみとなっていた。
「この書状には最後通告と記してある故、これを拒めば滅亡する他ない。だが、我らもかつては"西四国の雄"となったからには、たとえ命を失おうとも御家を潰すのは何としても避けたい。皆の衆は如何思われるか?」
元主君を弑逆して御家を乗っ取った後ろめたさと、名門としての矜持から降伏を決意した土居宗珊は、居並ぶ重臣たちに心中を吐露した。
「もはや四国の覇者になるなど夢幻の如しか」
「中土佐の男衆を攫ったのが裏目に出ましたな」
内藤正成が呟くと、松永久秀も渋々頷く。他の重臣たちも歯軋りせざるを得ない。
「次郎三郎様(一条家康)の御命だけは守らねばならぬ。ここで意地を張れば松平家の再興が露と消えよう」
鳥居元忠も最愛の主君への忠誠心から了承すると、二大巨頭となった土居宗珊と鳥居元忠の合意に異を唱える者はおらず、これまで強硬姿勢を貫いてきた一条松平家の意見がようやく一致したのだった。
◇◇◇
5月5日。静まり返った寺倉軍本陣で、一条松平家の使者3名が平伏していた。
「私は土居近江守宗珊と申しまする」
「某は鳥居彦右衛門尉元忠にござる」
「拙者は松永弾正少弼久秀にございまする」
俺の前の左から松永久秀、土居宗珊、鳥居元忠だ。俺に頭を下げる屈辱に耐えかねているのか、3人とも顔色はすこぶる悪い。
「私は寺倉左馬頭だ。面を上げよ」
俺は淡々と名乗り、威厳を込めた態度で3人を見据えると、土居宗珊が徐に口を開いた。
「一条松平家は寺倉家に降伏いたしまする」
「ほう、真か?」
「武士に二言はございませぬ」
なるほど、俺の目を見て明言する土居宗珊は実直そうな男だ。白髪の目立つ精悍な風貌は見る者に頼もしく映るに違いない。
「だが、これまで再三の降伏勧告に従わなかったのだ。相応の覚悟はしておろうな?」
既に諦観したのか、3人は無言のまま首肯する。
「うむ。では一条松平家の扱いだが、書状に記したとおり御家の存続は認め、当主の一条次郎三郎は助命しよう。だが、土佐を離れることは必定だ。良いな?」
「「無論にございまする」」
「一条次郎三郎の処遇だが……」
顔を強張らせたのは鳥居元忠だ。やはり松平家随一の忠臣のようだな。
「未だ齢11故、寺倉家にて小姓として預かる」
3名に鋭い緊張が走り、鳥居元忠が問い質す。
「人質、にございますか?」
「そうだ。だが、貴殿らが役目を果たせば、再び当主として貴殿らの元に返すつもり故、励んでもらいたい」
「わ、我らに切腹を命じぬのですか?!」
土居宗珊が驚きの声を上げ、他の2人も瞠目している。
「そうだ。私は有能な貴殿らを高く買っておる故、命を奪うぐらいならば命懸けの役目を与えようと思う」
「命懸けの役目、にございますか?」
「うむ。貴殿らは九州の南にある琉球王国を存じておるか?」
「確か、明の属国にございますな?」
俺は問い掛けに応じた松永久秀に頷いた。
「琉球は5代目の尚元王が治めておるが、明に貢物を贈って従属し、王権を確保している朝貢国だ。明は大国のメンツを保つため貢物の返礼として高価な品々を下賜し、琉球はそれを売って潤っている。都の首里には日ノ本や明、南蛮から頻繁に船が訪れ、交易で大層栄えておるそうだ」
「つまり琉球を攻め取れ、と申されますか?」
松永久秀がニヤリと微笑むが、俺は首を左右に振る。
「いや、必ずしも武力で滅ぼさずとも良い。だが南蛮人はいずれ日ノ本に攻め入ろうとするはずだ。それを防ぐには琉球を押さえる必要がある。そこで貴殿らには、土佐一条家と同様に琉球を乗っ取ってもらいたいのだ」
日本から危険分子を排除すると同時に、最大限利用しようという一石二鳥の策だ。だが、死を覚悟した彼らにとっては天から下りてきた蜘蛛の糸だ。死にたくなければ掴まらざるを得ないはずだ。
「尚元王は40を少し過ぎた歳だが、持病を患っており、早ければ数年の内に身罷るだろう。それまでに貴殿らが琉球王家に近づくことができれば、国王の交代による混乱を利用して琉球を乗っ取ることもできよう」
「はっ、拙者にお任せくだされ」
松永久秀が自分の出番だとばかりに潑剌とした声を上げる。
「琉球を制した暁には一条次郎三郎を琉球代官に任じ、貴殿らには補佐役を頼みたい。一条松平家の再興は貴殿らの働きに掛かっておる。期待しておるぞ」
「はっ、寛大なご配慮をいただき、誠にかたじけなく存じまする」
鳥居元忠が感激した声を上げ、土居宗珊が深々と平伏すると、2人もそれに続いた。
琉球を制圧できれば台湾も視野に入ってくる。3人にはせいぜい働いてもらうとしよう。いずれにしても四国を平定し、これでようやく近江に帰還できるな。
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