四国平定④ 伊東家の内応

「此度、左京大夫殿が自ら援軍に参られたのは、先代の一条左近衛少将殿の妹御を娶られた縁戚関係によるものと承知しており申す」


「左様だ。ふっ、父上は一条松平家を見限るよう申されたがな。だが、援軍を送らず妻の実家が滅ぶのを黙って見ていれば伊東家の名が廃る。最低限の義理くらいは果たそうとしたに過ぎぬよ」


小笠原長時が交渉の口火を切ると、伊東義益も鮮やかに切り返す。


「しかし、寺倉軍は総勢4万にござる。一条松平家に跳ね退ける力はござらぬ。何よりも我ら6千の軍勢に貴殿の2千の援軍を宛がうのを見れば、一条松平家が伊東家の兵を体の良い捨て駒としか考えておらぬのは明らかにござろう」


「なっ、4万だと! つまり勝敗は明らか故、戦わずして降れ、と申すおつもりか」


寺倉軍が4万もの軍勢とは知らなかった義益はさすがに絶句した。


「左様。奥方の実家を援けんとする左京大夫殿が義理に篤い御方であるのは分かり申す。だが、もはや四国が寺倉家の手に落ちるのは時間の問題にござる。聡明な左京大夫殿ならばお分かりかと存ずる」


「だが、こうして援軍に参った以上、一戦も交えずに日向に逃げ帰ったとなれば、伊東家が物笑いの種となろう」


「一条松平家は下剋上により御家を乗っ取り申した。もはや土佐一条家とは別の家も同然の一条松平家に味方したがために、日向伊東家の当主が御命を失うては無駄死にござる。それこそ物笑いの種となりましょうぞ?」


長時の理路整然とした主張に、義益もぐうの音も出なくなる。


「くっ、確かに貴殿の申す事にも一理あるな。ならば私を降伏させて如何するおつもりか?」


「率直に申せば我が主君、寺倉左馬頭様は伊東家と盟を交わしたいとのご意向にござる」


「ほう、盟約とな。寺倉家は四国を平定した後、やはり九州を攻めるおつもりか?」


義益の目が鋭く光ると、長時はフッと笑みを浮かべる。


「左様。聞くところによれば、伊東家は南日向から島津家を撤退させ申したが、未だ島津は薩摩にて虎視眈々と雪辱の機会を窺っておるとのこと」


「伊東家の立場は盤石なれども、宿敵である島津の動きは今も警戒しておる」


「とは言え、伊東家は日向を平定し申したが、今後もし左京大夫殿の父君・三位入道殿(伊東義祐)の代にあったような家督相続を巡っての御家騒動が起きたり、大友家が日向に攻め入れば、すぐさま島津も火事場泥棒の如く再び攻め入りましょう」


まさか寺倉家が伊東家の事情と九州の情勢をそこまで詳しく把握していることに、義益は戦慄を覚えた。


「30年余り前に御家騒動により危機に陥ったのは確かだ。島津が隙を狙っておるのは貴殿の申すとおりであろう」


「左京大夫殿。同族の某が存じますに、伊東家が南九州で存続するために寺倉家と盟を約すのは、決して悪くない話と存じます。それどころか日向の民を安んじ、御家安泰を期すためには是非とも寺倉家と盟を結ぶべきにございまする」


「左様。寺倉左馬頭様は1万石にも満たない国人領主から僅か12年で300万石近い大大名に伸し上がった英傑にございます。民を慈しみ、民からも愛される左馬頭様は味方となった者は決して粗略には扱わず、信用できる御方にございまする」


雲林院祐基と細野藤光が必死に訴え掛ける。長野工藤家は元を辿ると、鎌倉時代の草創期に御家人の工藤祐経の三男である工藤祐長が、平氏の残党討伐のため伊勢国の地頭職に就き、安濃郡と奄芸郡の2郡を賜わって伊勢の長野に下向したのが始まりである。


一方、工藤祐経の長男で日向国の地頭職を与えられた工藤祐時が日向伊東家の祖であり、350年以上昔に遡れば両家は紛れもなく同じ血脈の同族なのだ。


戦国時代の武家は一門や同族同士の戦いも数多い一方で、先祖を同じくする同族に対する身内意識が非常に強いという矛盾した感情が存在する。そのため、長野工藤家の2人の発言は伊東義益の心に強く響いた。


「つまり寺倉家は我が伊東家と盟を結び、日向を足掛かりとして九州を制しようという考えにござるか」


「左様。ご存知のとおり寺倉家は"六雄"の一角にて、"六雄"が合力して日ノ本を平定し、泰平の世を創るとの盟約を交わしておりまする。盟約では北九州は浅井家と蒲生家が受け持つ役割にて、我が寺倉家は南九州を制する所存にござる」


義益は刹那瞠目するが、すぐに口を結んで不敵な笑みを浮かべた。


「なるほど。では寺倉家と盟を交わせば、伊東家は寺倉家の下で日向一国が安堵されるというところか。それでは同盟ではなく従属、つまりは臣従と同じではないか」


「確かに、有り体に申せば臣従と考えても仕方ありませぬ。ただ、左京大夫殿から進んで降伏すれば話は別にござるが、此度は伊東家が日向一国を安堵される保証はござらぬ。日向は大きい国にござる故、せいぜい日向半国の安堵にござろう」


「なっ、日向半国と申すか! ぐっ……」


(ふふふ、交渉事で相手に手の内を見せれば、足元を見られるのは当然のこと。まだまだ経験が足りぬな。だが、ここは手加減する訳には行かぬ)


56歳の老獪な小笠原長時にすれば、24歳の伊東義益の足元を見て交渉するのは、赤子の手を捻るくらい容易いことである。


「しかし、日向は海沿いの国故……」


「確かに日向は海沿いだが、それが如何したのだ?」


長時が聞こえよがしに語尾を濁すと、訝しんだ義益は素直に問い返した。


「昨年、難攻不落と謳われた相模の小田原城でさえ、寺倉水軍の南蛮船の砲撃により僅か1日で落とされ申した。海沿いの日向も言わずもがなにて……」


「くっ、寺倉家に歯向かえば同じ目に遭わせると脅すつもりか!」


長時の硬軟織り交ぜた交渉術に翻弄される義益を見て、すかさず雲林院祐基と細野藤光が合いの手を差し挟む。


「我ら兄弟は独り言を呟く癖があるのですが……。左馬頭様に何か手土産を持参して臣従を申し出れば、日向一国も安堵されるやも知れませぬな」


「そう言えば、左馬頭様の軍勢は南伊予の地蔵嶽城を包囲しておられましたな。地蔵嶽城が同士討ちで内から崩れれば、間違いなく喜ばれましょうな」


さすがに義益も同族の2人から救いの手を差し伸べられたのを理解した。


「同族の誼か。誠にかたじけない。……相分かった。寺倉家と盟を約そう」


「では、我らは敗北した体で北の国境まで兵を引きまする。左京大夫殿には此処から西の国境を越え、宇和島郡から北進して地蔵嶽城に援軍として入っていただきたい」


「承知した。必ずや我らの手で地蔵嶽城を落として見せよう」


かくして伊東家は寺倉家に内応する密約を交わしたのだった。




◇◇◇




それから3日後、伊東義益率いる2千の援軍到着を土居宗珊は喜んで地蔵嶽城に迎え入れた。ところがその夜、伊東軍が城内で反乱を起こし、地蔵嶽城が大混乱に陥ると、土居宗珊は已む無く城を捨てる他なく、城兵の半分の3千と共に本拠である中村城に撤退した。


南伊予の守りの要だった地蔵嶽城を失ったことにより、一条松平家の防衛構想は根底から崩れた。高岡郡の蓮池城に籠る松平党と松永久秀の4千の兵も中村城の防衛に向かわざるを得なくなり、一条松平家は幡多郡に閉塞する事態となる。


「日向伊東家当主、伊東左京大夫義益と申しまする」


「私は寺倉左馬頭蹊政だ。此度は地蔵嶽城を落としてくれ、礼を申すぞ」


「伊東家は寺倉家に臣従いたしますれば、九州征伐をお助けいたす所存にございまする」


名門意識の強い義益だったが、2歳年上の寺倉正吉郎と対面すると、その"天下人"たる威光の前に自然と平伏し、思わず臣従を誓っていた。


「うむ、期待しておるぞ。では、伊東家には日向一国を安堵しよう」


「ははっ、誠にかたじけなく存じまする」


こうして寺倉家は南伊予の喜多郡と宇和郡と西土佐の高岡郡を制圧し、伊予国36万石を平定した。

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