毛利の失墜③ 巨星の弔鐘
長門国・櫛崎城。
「宗歓。何としても田植えまでに勝山城を落とすのだ!」
「はっ、宗麟様。ただ倍の兵で力攻めしても徒に兵を失うばかりにございます。ここは嫌が応にも毛利が城から打って出ざるを得ぬ策を講じるべきにございまする」
「だが、野戦では兵数に勝る我らに分があるのは毛利も承知のはずだ。容易には城から打って出るまい」
大友宗麟と吉岡宗歓は四半刻ほど唸りながら策を練る。
「ならば、水攻め。勝山城の水源に毒を入れるのは如何だ? 水を断てば毛利も一溜りもなかろう」
「今は大雪が積もっておりますれば、暖を取るための炭や煮炊きの薪も蓄えてあるはずにて、雪を溶かせば幾らでも水は作れまする。ましてや水源に毒を入れてしまえば、勝山城を落とした後に我々も数年は勝山城を使えませぬぞ」
「うぅむ。確かに左様だな」
自賛した策を却下されて宗麟が渋面をすると、何か閃いたのか、吉岡宗歓は口角を上げて言葉を紡いだ。
「宗麟様。困った時は先人たちの知恵に頼るのが定石に存じまする。であれば、火攻めは如何にございましょうか?」
「宗歓。この大雪の中で火攻めが通じると申すのか?」
「かつて三好家が行った『比叡山焼き討ち』では炎で焼け死んだ者よりも、煙で息が出来なくなって死んだ者や炎や煙から逃げようとして斬り殺された者の方が多かったと聞き及んでおりまする」
「ふむ。つまりは煙攻め、という訳か?」
半信半疑で怪訝な顔だった宗麟の顔に希望の色が浮かぶ。
「左様にございまする。麓の木を切り倒して井桁を幾つも組み、山の北側で燃やせば生木は煙が出やすく、山の木々も葉が落ちております故、北風で煙が山頂の勝山城に流れ込みましょう。三日三晩煙攻めをして、堪え切れずに打って出て来れば良し……」
「打って出て来ぬのであれば、10日も続ければ良いか」
「さすがに10日も堪えられるとは存じませぬが、煙を吸って毛利兵が弱まったところを青山城から尾根伝いに攻め込めば、容易く落とせるかと存じまする」
顔を見合わせると、2人は大きく頷いてほくそ笑むのだった。
◇◇◇
長門国・勝山城。
勝山は春から秋に掛けては鬱蒼と草木が生い茂るが、真冬の1月には葉の枯れ落ちた木々の間を冷たい寒風が吹き抜けていた。
そんな厳寒の1月20日、早朝から『カーン、カーン』という甲高い斧の音が勝山の麓から絶え間なく響き渡った。
「左衛門佐様。今日は朝からずっと斧の音が響いておりまするな」
昼過ぎ、渡辺飛騨守長が小早川左衛門佐隆景に話し掛ける。
「うむ、確かに変だな。薪や炭ならば秋までに作って蓄えるのが当たり前のはずだ。それとも大友は薪が足りなくなったのか?」
「ふふっ、生木は煙が出るばかりで、すぐには薪には使えぬのを大友兵は知らぬようですな」
渡辺長が笑いながらそう言うと、小早川隆景は血相を変えた。
「飛騨守。今、何と申した。煙が出るばかりだと? 拙い! 大友は火攻め、いや、煙で我らを燻し殺すつもりだ!」
「なっ、何ですと!?」
さすがは"知将"と名高い小早川隆景である。渡辺長の何気ない言葉を聞き逃さず、大友軍の策を看破したのである。
「大友は田植えまでに何とかして我らを勝山城から追い出したいのだろう。それにしても厄介だな。火元を消そうとしても守りを固めておろう。ならば、城内に煙が入らぬように防ぐしかあるまい」
隆景は手遅れになる前にすぐさま城兵を集めて指示を下す。
「皆の者、大友は山の麓から火を焚き、煙で我らを燻し殺すつもりだ。煙を吸っては息が出来なくなる故、煙を城の中へ入れてはならぬ。城の北側と西側の城壁の上に雪を積み固めて、今よりも高い城壁を築くのだ。皆で手分けして掛かれ。急げ!」
「「「ははっ!」」」
しかし、隆景が大友の策に気づくのは僅かばかり遅きに失した。城兵に指示してから四半刻もすると、北西の麓から白い煙が北風に乗って立ち昇ってきたのだ。
「かはっ……。間に合わなんだか。くっ、私としたことが此様な策に嵌るとは……」
しばらくすると煙は城内に蔓延し、鼻や喉が痛くなり、目には涙が滲むようになる。
「ごほっ、左衛門佐様。大友もかなり焦っておる証拠ですな」
「左様だ。ここは一刻も早く雪壁を築くのを待つ他あるまい」
寺倉領以外でシャベルは存在しない。兵たちは陣笠を使ってバケツリレーで雪を運ぶと竹盾で叩き固め、必死に雪壁を築いていく。
しかし、余り高い雪壁を築くと、櫓から死角ができて敵兵の接近を許してしまうため、どうしても見張り兵の視界を遮らない高さに抑えざるを得ない。そのため雪壁は5m程度に留まった。
やがて1刻半(約3時間)ほど経つと、突貫工事で城の北側と西側に雪壁が築かれたが、雪壁の上を越えて煙が城内に流れてくるのを完全に防ぐことはできなかった。
「左衛門佐様。幾分か城内に流れ込む煙が減りましたな」
「左様だな、飛騨守。田植えで大友が兵を退くまで、じっと堪える他あるまい」
こうして煙攻めに遭いながらも毛利軍は籠城を続けるが、大友軍は昼夜兼行で火を焚き、煙攻めを続けた。
その結果、勝山城の城兵は睡眠中も煙たい空気を吸うこととなり、5日目を過ぎた頃から城内で身体の不調を訴える兵が徐々に増え始める。
「左衛門佐様。兵の士気も徐々に下がっておりまする」
「だが、麓には大友軍が我らが打って出るのを、今や遅しと待ち構えておる。城から打って出れば大友の思う壺だ。もうしばらくの辛抱だ」
しかし、それから5日後の1月31日の深夜、勝山城の城内に叫び声が響き渡った。
「「敵襲! 敵襲だぁぁーー!!」」
南西の青山城から尾根伝いに大友軍が夜襲を仕掛けてきたのである。
「痺れを切らして攻めてきたか!」
「左衛門佐様。兵たちは煙を吸い続けて力が落ちておりますれば、最早この城を守り切るのは難しいかと存じまする」
「くっ、こうなれば山口まで一旦兵を退き、兄上(吉川元春)と合流するしかあるまい。兄上と合流すれば勝山城はいずれ奪回できよう」
隆景が勝山城からの撤退を決断すると、渡辺長が断固とした口調で告げる。
「ならば、左衛門佐様は四天司城の城兵と合流して東の麓から退却してくだされ。拙者はこの城で殿を務めまする。拙者は門司城を守れず、櫛崎城も捨てて逃げてきた身にござれば、ここで最後の御役目を果たしたく存じまする」
決死の覚悟をした渡辺長の目に、隆景は激励の言葉を掛ける。
「飛騨守!……分かった。だが、必ずや生きて戻るのだ。良いな」
こうして、深夜に東の四天司城の城兵と合流して打って出た小早川隆景の軍1万5千は、東の麓で待ち構えていた大友軍2万5千と交戦した。
木々の合間を縫って僅かな月明りの下で、両軍合わせて4万もの兵が刃を交えるのだ。山中での夜戦は混迷を極め、両軍は1刻(約2時間)に渡って戦い続けた。
そして、兵数で劣る毛利軍は山の傾斜による地の利を活かして戦っていたが、朝日が昇った卯の刻、突如として戦いが決着する。
「「「ダダーン、ダダーン、ダダーン」」」
「うぐッ、……父上、兄上、無念にござる……」
小早川隆景の討死である。麓の山林からようやく平地に出た隆景の視界が開けた時、朝日により射撃可能となった大友鉄砲隊の一斉射撃を被弾したのだ。
「小早川左衛門佐、討ち取ったりぃぃーー!!」
総大将の討死を知らせる勝鬨が耳に届くと、毛利軍は散り散りに離散した。
2月1日、小早川隆景と渡辺長を討ち取り、勝山城を落とした大友宗麟は、本格的な長門侵攻は田植え後とし、長門の国人衆に降伏を促す書状を送って調略を開始した。
一方、毛利家にとって小早川隆景の死の衝撃は、勝山城の失陥よりも遙かに大きかった。
「又四郎、済まぬ。……許してくれ」
吉川元春は半ば仲違いで勝山城を離れたことを悔み、自分を責め続けた。
こうして"毛利の両川"が崩壊したことにより、毛利家の失墜はさらに加速を迎えることになる。
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