四国での正月① 報復

阿波国・勝瑞城。


年が明けた。永禄12年(1569年)の元日は四国で迎えることになってしまった。市や子供たちの寂しそうな顔が瞼に浮かぶが、四国征伐の途中で帰国するのは諦めるしかなかった。


「「新年おめでとうございまする」」


勝瑞城本丸の大広間には四国征伐に従軍している重臣たちが一堂に勢揃いしていた。重臣たちの後ろには四国で臣従した国人衆も並んでおり、末席には降伏したばかりの三好家を代表して安宅冬康の姿もある。


上座で年始の挨拶を受けた俺は、例年どおりの年頭訓示を行う。


「うむ。新年おめでとう。昨年はついに東四国を平定することができた。この寺倉正吉郎左馬頭蹊政、皆の忠勤に心より礼を申す」


「「ははっ」」


「あいにく今年は四国で正月を迎えることとなったが、残る西四国を平定するまでは帰国することは叶わぬ。皆も承知しているとおり一条松平は東伊予で破ったとは言えども強敵だ。阿波を制圧した勢いで一気に西四国を平定せねば、一条松平が勢威を回復しかねぬ。故に何としても今年中に四国を平定する。皆の奮励努力を期待するものである」


「「ははっー!」」


年頭訓示が終わると、続いて正月の祝宴が催された。酒好きな重臣たちはお目当ての熟成された焼酎を梅干割りで心ゆくまで堪能している。


一方、四国の国人衆は俺が提供したレシピで作られた前世の料理を初めて口にし、目を丸くしながらも神妙に味わっている。この正月料理を食べれば寺倉家に歯向かっても無駄だと、力の差を理解してくれるだろう。




◇◇◇




1月8日の昼過ぎ、俺は勝瑞城の物見櫓から吉野川の穏やかな流れを眺めていた。


「やはり四国は温かいな。近江とは全く違う。1月だというのに雪は降らず、北風で凍えることもない」


「阿波の民も喜んでおりまする」


側に控えていた明智光秀の声に、感慨に耽っていた俺は首を傾げる。


「ん、そうか?」


「まだ一月足らずですが、正吉郎様が阿波を平定されてから、民の暮らしは良くなったそうにございます。三好も永く善政を敷いておりましたが、先の戦で男衆を総動員したのが祟り、阿波の民は憔悴し切っておりました」


いくら三好家を慕う阿波の民でも男全員を徴兵されては、さすがに厳しいものがあるだろうな。


「ですが、戦いの後、父や兄弟、夫を亡くした民たちに炊き出しを行い、笑顔が浮かぶようにもなりました。これは紛れもなく正吉郎様の御力によるものにございまする」


安富政顕を代官に据えた讃岐は東讃岐守護代の名が功を奏したのか、安富盛定の補佐もあり、平定後は問題なく統治できている。


一方、阿波は平定してから時間が経っておらず、統治はまだ不安定だと考えていたのだが、思ったよりも早く寺倉家は受け入れられたようだ。


「民の笑顔こそが私の力の源だからな。やはり三好を滅ぼさずに東土佐で存続させたのが良かったか。それとも讃岐で善政を敷いているとの噂を志能便に流させたのが効いたのやも知れぬな」


阿波の民の三好家に対する思慕が強いのを懸念していたとおり、存続した三好家を慕って東土佐へ移った民もいるが、民心の掌握は順調に進んでいるようでひと安心だ。だが、現状では疲弊した阿波の民を徴兵するのはしばらくは無理だろう。


「目下の懸案は、その東土佐にございまする」


光秀は本題に入った。昨年末に一条松平が東土佐に攻め入った件だ。


「ふっ、てっきり河野を攻めると思うていたが、よもや名門の一条松平が火事場泥棒の真似をするとは笑止千万だな」


三好家が滅んで空き家同然の東土佐を掠め取ろうという姑息な魂胆だ。せっかく奪った東伊予を失い、一条松平の士気も低下しているはずだ。だが、今ならば俺が派兵できないと見て、東土佐を奪えば自然と求心力も高まるという算段なのだろう。


「一条松平は5千の兵で香美郡に攻め入り、次々と城を落としましたが……」


「確かに今は常備兵や根来衆も連戦直後で疲れているため、1万の兵を送るのは厳しいが、数千ならば捻出できる。それに寺倉軍には南蛮船があるのを、どうやら失念していたようだな」


元日の宴の直後に一条松平の東土佐侵攻を聞くと、俺はすぐ4千の兵を動員し、南蛮船で先回りして真田4兄弟を安芸城に派遣した。三好家に安堵した安芸郡を一条松平に奪われるのは避けたかったからだ。


今は大軍を派遣することはできないが、知恵を使えば数千の兵を以って大軍に見せることはできる。


俺は兵数以上の寺倉家の"二つ剣ノ銀杏紋"の旗印を掲げさせた上に、死んだ三好兵の鎧を着せた案山子を作れるだけ作り、至る所に多数配置させて1万の大軍が守っているかのように偽装したのだ。


また、安芸平野の中央に位置する安芸城は海岸から3km余り内陸にあり、艦砲射撃は届かないが、南蛮船で惜しみなく空砲を撃ち、萎縮した一条松平軍の将兵を足踏みさせた。


「岡豊城に逃げ帰ったか」


一条松平軍は空砲の轟音の威嚇により将兵たちの戦意を砕かれると、大きな被害を負ってまで安芸城を攻めるのは本末転倒と判断し、安芸郡を奪うのを諦めて西へ退却した。


「案山子が効果的だったようにございますな」


しかし、香長平野で鏡川(後の物部川)を挟んで長岡郡と隣接する香美郡は奪われてしまった。


「だが、香美郡を奪われたまま捨てては置けぬ。不埒な真似をした盗人どもには然るべき報いを受けさせねばならぬ。それがこの世の道理というものだ。違うか、十兵衛?」


「はっ、左様にございまする」


「"十倍返し"だ。香宗城だけでない。一条松平の海沿いのすべての城に南蛮船で砲撃し、度肝を抜かせてやろう。おそらく此度の策を考えたのは松永弾正であろうが、弾正の血の気の引いた顔が見ものだな。くくっ」


「正吉郎様。本拠の中村城が海から離れておる故、砲撃できぬのが残念にございますな」


「いや、たとえ海の近くであったとしても敵の本拠地を艦砲射撃で落としては味気ない。一番好きな料理は最後まで残して、御馳走はじっくりと味わうのが楽しかろう?」


「いえ、私は好きな料理は冷めない内に最初に食します故」


「左様か。人それぞれだな。はっはっは」


顔を見合わせた俺と光秀の笑い声が、吉野川の緩やかな風の中に消えていった。




◇◇◇




1月15日、植田順蔵、服部半蔵、三雲政持の3人が俺の元にやって来た。どうやら定期報告以外にも何か報告があるようだ。


まずは順蔵から一条松平のその後の動向について報告があった。


南蛮船に艦砲射撃された一条松平は案の定、慌てて香宗城から兵を岡豊城に撤退させた。だが、それだけでは終わらない。新造された4番艦「駿麗丸」を淡路水軍が操船し、4隻の南蛮船で中土佐や西土佐の海沿いにある城を一斉砲撃すると、一条松平はそれらの城をすべて放棄し、城兵を内陸の城に退避させたそうだ。


「ふん、東土佐を火事場泥棒しようとした代償が高くつき、さぞかし松永弾正は地団駄を踏んでいることだろう。これで香美郡を奪い返せるな」


俺は安芸城に送った兵ですぐに空き家となった香宗城を奪回する予定だが、当面は中土佐を攻めるつもりはない。4千の兵で堅城の岡豊城を落とせるとは思っていないからだ。


「それと、一条松平が東土佐を攻め始めたのと同時期に、宿老の土居近江守が日向の伊東家を訪ねた模様にございまする」


「伊東家? なるほど、伊東家には一条左近衛少将の妹が嫁いでいたな。間違いなく支援を頼んだのだろう。……そうなると狙いは、中伊予の河野か」


「はっ、松永弾正は河野配下の中伊予の国人衆に対して、盛んに調略を仕掛けておる模様にございまする」


「よし、一条松平が河野を狙っているとなれば、むしろ好都合だ」


俺は順蔵の言葉を聞くと、思わず膝を叩いて拳を握った。


「ふふふ。ならば黙って見ている手はないな。精々利用させてもらうとしよう」


俺の意図を察したのか、3人も悪どい笑みを浮かべていた。

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