乱世の終焉と天下泰平への船出
人物紹介(第16章まで) 永禄11年(1568年)12月時点
【寺倉家】 《石高:約270万石/北近江、西美濃、伊勢、伊賀、志摩、大和、佐渡、河内、南摂津、和泉、紀伊、淡路、讃岐、東伊予、阿波、東土佐》
◇寺倉正吉郎蹊政(1544~) 本作の主人公。寺倉家当主。統麟城城主。官位は従四位上・左馬頭・伊賀守。
◇寺倉市(1547~) 主人公の正妻。織田信長の妹。
◇寺倉蔵秀丸(1562~) 主人公の長男。
◇寺倉瑞葵姫(1564~) 主人公の長女。
◇寺倉峰珠丸(1565~) 主人公の次男。
◇寺倉誠錬丸(1567~) 主人公の三男。
◆寺倉蔵之丞政秀(?~1558) 主人公の父。六角義賢の手により謀殺される。
◆寺倉静(?~1544) 主人公の母。
《寺倉六芒星》
◇大倉源四郎久秀(?~) 陣中指揮官。甲良郷代官。
◇堀遠江守秀基(?~) 財政担当官。鎌刃城城代。主人公の父の偏諱を授かり新庄久基から改名。
◇明智十兵衛光秀(1528~) 副将兼参謀。
◇植田順蔵綱光(?~) 諜報担当官。志能便の頭領。
◇浅井玄透斎巖應(1526~) 内政担当官。多賀郷代官。浅井長政の父。出家して久政から改名。
◇藤堂源右衛門虎高(1516~) 総務担当官。藤堂高虎の父。
《寺倉十六将星》
◇前田又左衛門利蹊(1539~) 主人公の偏諱を授かり利家から改名。桑名郡代官兼桑名城城代。
◇本多平八郎忠勝(1548~) 史実の「徳川四天王」の一人。和泉国代官兼岸和田城城代。
◇榊原小平太政長(1548~) 史実の「徳川四天王」の一人、榊原康政。主人公の偏諱を授かり亀丸から改名。
◇滝川慶次郎利益(1533~) 史実の前田慶次。馬廻り。
◇冨田五郎左衛門入道勢源(?~) 寺倉家の剣術指南役。「中条流」の達人。
◇朝倉九郎左衛門尉景紀(1505~) 大垣城城代。元朝倉家一門衆。朝倉景垙と朝倉景恒の父。
◇服部半蔵正成(1542~) 伊賀上忍三家の一つ、服部家当主。史実の「徳川十六神将」の一人。二代目服部半蔵。
◇沼上源三(?~) 伊賀国代官。狼部隊を率いる。
◇大島雲八政光(1521~) 弓部隊を率いる。「大河内城の戦い」で北畠具教を討ち取る。主人公の偏諱を授かり甚六光義から改名。
◇小浜民部左衛門景隆(1540~) 小浜真宗の孫。史実の武田水軍の将。
◇小笠原信濃守長時(1514~) 小笠原流弓馬術礼法宗家。元信濃守護。「信濃四大将」の一人。騎馬隊を率いる。
◇島左近清興(1540~) 大和国代官。
◇武藤喜兵衛昌幸(1547~) 真田幸隆の三男。史実の真田昌幸。「表裏比興の者」
◇武田太郎義信(1538~) 河内国代官。武田信玄の長男。
◇三雲三郎左衛門政持(1543~) 三雲定持の三男。主人公の偏諱を授かり総持から改名。
《寺倉六奉行》
◇増田仁右衛門長盛(1545~) 史実の「豊臣五奉行」の一人。勘定奉行。
◇瑶甫恵瓊(1539~) 史実の安国寺恵瓊。寺社奉行。藪麟寺の開山。
◇今川彦五郎治部大輔氏真(1538~) 今川家当主。 主人公の親友。公事奉行。
◇武田無人斎道有(1494~) 外事奉行。武田信玄の父。出家して信虎から改名。
◇本多弥八郎正信(1538~) 史実の徳川家康の腹心。公安奉行。
◇大蔵藤十郎長安(1545~) 史実の大久保長安。鉱山奉行。
《寺倉家家臣》
◇箕田勘兵衛政景(?~) 蔵秀丸の傅役。
◇箕田靖十郎皓景(?~) 箕田勘兵衛の嫡男。蔵秀丸の傅役。
◇西尾藤次郎(?~) 主人公の側近。「近松屋」の商人。
◇初田三郎左衛門秀勝(?~) 梅戸城城代。
◇初田次郎三郎勝政(?~) 初田秀勝の嫡男。
◇安富六郎右衛門政顕(?~) 讃岐国代官。初田秀勝の次男。安富家の養子となる。主人公の偏諱を授かり勝顕から改名。
◇松笠勘九郎元春(?~) 寺倉郷代官。
◇中藤権作亮嗣政(?~) 佐渡国代官。
◇金次(?~) 志能便衆。諜報員養成所の教師。
◇馬場孫次郎(?~) 元堅田衆。寺倉水軍の頭領。
◇小川佐平次蹊祐(1547~) 主人公の近習。主人公の偏諱を授かり祐忠から改名。
◇岸宗尹(?~) 小川蹊祐の家臣。
◇高野瀬秀隆(?~) 肥田城城代。
◇猪飼昇貞(?~) 元堅田衆。寺倉水軍の頭領。
◇居初又次郎(?~) 元堅田衆。寺倉水軍の頭領。
◇根津甚八郎政影(?~) 志能便衆。諜報員養成所出身の元孤児。足利覚慶と顕如を暗殺。主人公から根津の姓と偏諱を授かり改名。
◇岡部次郎右衛門尉正綱(1542~) 今川氏真の家臣。岡部元綱の従弟。
◇服部半蔵保長(?~) 服部正成の父。初代服部半蔵。
◇蜂須賀小六正勝(1526~) 朝倉景紀の家臣。川並衆の頭領。史実の豊臣秀吉の腹心。
◇前野将右衛門長康(1528~) 朝倉景紀の家臣。川並衆。蜂須賀正勝の腹心。
◇百地新太(1556~) 服部正成の家臣。伊賀上忍三家の一つ、百地家当主。百地三太夫の長男。史実の百地丹波。
◇藤林長門守正保(?~) 本多正信の与力。伊賀上忍三家の一つ、藤林家当主。
◇大蔵太夫十郎信安(?~) 沼上郷代官。大蔵長安の父。「大蔵流」の創始者。
◇小浜将監真宗(?~) 志摩国代官。「志摩十三地頭」の一人。志摩水軍の頭領。
◇和田弾正忠惟政(1530~) 南摂津代官。史実の「摂津三守護」の一人。甲賀衆を率いる。
◇藤堂与吉(1556~) 史実の藤堂高虎。藤堂虎高の子。主人公の小姓。
◇鳥羽成忠(?~) 波切城城代。「志摩十三地頭」の一人。小浜真宗の与力。
◆越智民部少輔家広(?~1565) 越智家当主。「大和四家」の一つ。「多聞山城の戦い」で討死。
◇蒲生快幹軒宗智(1508~) 相談役。蒲生忠秀の父。「六角六宿老」の一人。出家して定秀から改名。
◇蒲生鶴千代(1556~) 蒲生忠秀の三男。史実の蒲生氏郷。主人公の小姓。
◇望月出雲守吉棟(?~) 甲賀望月家当主。
◇望月千代女(?~) 望月吉棟の娘。歩き巫女の頭領。
◇本間高秀(?~) 沢根本間家当主。
◇堀内安房守氏虎(?~) 牟婁郡代官。堀内家当主。熊野別当。熊野水軍の頭領。
◇有馬新次郎氏善(1549~) 有馬家当主。堀内氏虎の次男。
◇津守寛次郎治恒(?~) 摂津・津守村の土豪・津守勘十郎の嫡男。
◇柳生新左衛門宗厳(1527~) 「新陰流」の達人。
◇塩屋宗悦(?~) 堺代官。元・会合衆の一人で穏健派。
◇山上宗二(1544~) 堺代官。元・会合衆の一人で穏健派。屋号は薩摩。
◇奥村助右衛門永福(1541~) 前田利蹊の家臣。
◇弥助(?~) インド人。料理人・ポルトガル語教師。
◇下山四郎左衛門尉能高(?~) 下山家当主。
◇安富筑前守盛定(?~) 安富家前当主。
◇香西佳清(1553~) 香西家当主を継ぐ。
◇壬生川摂津守通国(?~) 壬生川家当主。鷺ノ森城城主。
《寺倉領の民》
◇木原十蔵(?~) 寺倉家の御用商人。「近松屋」の商人。
◇慶松平次郎(?~) 越前の豪商、慶松家の三男。「近松屋」の商人。
◇前田まつ(1547~) 前田利蹊の正妻。
◇前田幸(1559~) 前田利蹊の長女。
◇榊原仙(?~) 市の侍女。榊原政長の正妻。
◇寿桂尼(?~) 今川氏真の祖母。中御門家出身。
◇早川殿(?~) 今川氏真の正妻。北条氏康の娘。
◇嶺松院(?~) 武田義信の正妻。今川氏真の妹。武田義信に嫁ぎ、離縁されるも復縁。
◇宵樂屋忠助(?~) 摂津の行商人。津守寛次郎の幼馴染。
◇安曇真蔵(?~) 山師。治田銀山と佐渡金山を発見。
《北畠家》
◆北畠具教(1528~1564) 北畠家先々代当主。北畠具房の父。「大河内城の戦い」で討死。
◆北畠左近衛中将具房(1547~1564) 北畠家先代当主。「大河内城の戦い」で切腹。
◇北畠嵯治郎惟蹊(1550~)北畠家当主。主人公の弟。寺倉家からの入婿。官位は従五位上・伊勢守。「寺倉十六将星」の一人。鉄砲隊を率いる。
◇北畠志波(1551~) 北畠惟蹊の正妻。竹中半兵衛の妹。
◇北畠茅夜(1556~) 北畠惟蹊の側室。北畠具房の妹。
◇北畠梓穂(1566~) 北畠惟蹊の長女。北畠志波の娘。
◇寺倉徳(?~) 北畠惟蹊の母。
◇鳥屋尾石見守満栄(?~) 北畠家重臣。
◇神戸蔵人大夫具盛(?~) 神戸家当主。北畠惟蹊の与力。
◇雲林院出羽守祐基(?~) 雲林院家当主。長野家からの養子。細野藤光の兄。
◇細野藤光(?~) 細野家当主。長野家からの養子。雲林院祐基の弟。
◇分部光高(?~) 分部家当主。
◇木造具政(1530~) 木造家当主。北畠家からの養子。北畠具教の弟。
◇目賀田次郎左衛門尉惟綱(1555~) 目賀田貞政の嫡男。北畠惟蹊の小姓。惟蹊の偏諱を授かり堅綱から改名。
◇別所寿治郎(1560~) 別所安治の次男。史実の別所友之。北畠惟蹊の小姓。
◇淡河弾正忠定範(1539~) 別所家重臣。別所安治の義弟。
《真田家》
◇真田左衛門尉信綱(1537~) 真田幸隆の長男。真田家当主。「武田二十四将」の一人。
◇真田兵部少輔昌輝(1543~) 真田幸隆の次男。「武田二十四将」の一人。
◇加津野隠岐守信昌(1547~) 真田幸隆の四男。武田義信の与力。
◇真田宮内介信春(?~) 真田幸隆の五男。武田義信の与力。
《根来衆》
◇津田監物算長(1499~) 根来衆の長。津田流砲術の祖。
◇津田明算(?~) 根来衆。津田算長の弟。杉ノ坊妙算。
◇津田太郎左衛門算正(?~) 根来衆。津田算長の長男。
◇往来右京(?~) 根来衆。「久米田の戦い」で三好実休を討ち取る。
◇奥大蔵(?~) 根来衆。根来忍者の棟梁。
◇奥小密茶(?~) 根来衆。根来忍者。奥大蔵の弟。
《淡路国十人衆》
◇安宅大炊頭秀益(?~) 湊里城城主。「安宅八家衆」。「淡路国十人衆」の一人。
◇賀集美濃守盛政(?~) 鍛冶屋城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇梶原越前守秀景(?~) 沼島城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇加藤主殿助(?~) 山添城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇菅平右衛門達長(?~) 猪熊城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇島田遠江守時儀(?~) 栗原城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇田村経春(?~) 郡家城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇武田山城守久忠(?~) 阿那賀城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇野口肥前守則守(?~) 志知城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇蟇浦藤次郎常利(?~) 蟇浦城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇船越左衛門尉景直(?~) 庄田城城主。「淡路国十人衆」の一人。
◇柳沢隼人佐直孝(?~) 柳沢城城主。「淡路国十人衆」の一人。
《伊予石川家》
◇石川備後守政宅(1551~) 伊予石川家を継ぎ、主人公の偏諱を授かり金子元宅から改名。
◆金子十郎元成(?~1568) 金子家当主。石川政宅の父。一条松平家の侵攻で討死。
◆金子対馬守元春(?~1568) 金子元成の次男。一条松平家の侵攻で討死。
《黒川家》
◇黒川肥前守通尭(?~) 黒川家当主。剣山城城主。長宗我部元春から改名。
◇黒川通長(?~) 黒川通尭の嫡男。
◇玉井備前守(?~) 黒川家重臣。
◇安藤次右衛門(?~) 黒川家重臣。
◇下見越後守(?~) 黒川家重臣。
◇十河又五郎(?~) 黒川家重臣。
《三好家》
◇三好孫次郎(?~) 三好義興の嫡男。史実の三好義資。
◇安宅摂津守冬康(1528~) 三好長慶の三弟。
◇安宅甚太郎信康(1549~) 安宅冬康の嫡男。
◇海部義清(?~) 海部友光の嫡男。
【浅井家】 《石高:約235万石/北近江、若狭、越前、加賀、越中、能登、丹波、丹後、但馬、因幡、隠岐、伯耆》
◇浅井新九郎長政(1545~) 浅井家当主。主人公の義弟。賢政から改名。官位は正五位上・加賀守。
◇浅井阿幸(1551~) 浅井長政の正妻。主人公の妹。
◇赤尾美作守清綱(1514~) 「浅井三将」の一人。
◇海北善右衛門綱親(?~) 「浅井三将」の一人。
◇雨森弥兵衛清貞(?~) 「浅井三将」の一人。
◇百々内蔵助盛実(?~) 浅井家家臣。
◇磯野丹波守員昌(1523~) 浅井家家臣。
◇上坂正信(?~) 浅井家家臣。
◇今村掃部助(?~) 浅井家家臣。
◇安養寺三郎左衛門氏秀(?~) 浅井家家臣。
◇丁野若狭守(?~) 浅井家家臣。
◇朝倉孫四郎景恒(?~) 金ヶ崎城主。元朝倉家一門衆。朝倉景紀の次男。僧籍に入り松林院鷹瑳を名乗るが、還俗。
◇朝倉権丸(?~) 朝倉景恒の嫡男。
◇萩原八郎右衛門尉宗俊(?~) 朝倉景恒の家臣。
◇逸見駿河守昌経(1522~) 砕導山城城主。
◇沼田光兼(?~) 熊川城城主。沼田祐光の父。
◇沼田上野之助祐光(1539~) 軍師。
◇内藤備前守貞勝(?~) 八木城城主。
◇川勝大膳亮継氏(1531~) 島城城主。
◇鉢屋弥之三郎(?~) 鉢屋衆の頭領。
◇奈佐日本之介(?~) 浅井水軍の将。
◇赤井金左衛門幸家(?~) 赤井直正の弟。
◇草刈三郎左衛門尉景継(?~) 草刈家当主。
◇草刈加賀守衡継(?~) 草刈景継の父。
◇草刈次郎(?~) 草刈景継の弟。史実の草刈重継。
◇隠岐隠岐守為清(?~) 隠岐家当主。
◇隠岐三左衛門清家(?~) 隠岐為清の弟。
◇村上右京亮景宗(?~) 隠岐水軍の将。
《高島七頭》
◆高島越中守(?~1561) 高島家当主。「高島七頭」の筆頭。「後瀬山城の戦い」で若狭武田家に寝返り、討死。
◇朽木弥五郎元綱(1549~) 朽木家当主。「高島六頭」の筆頭。「後瀬山城の戦い」で高島越中守を討ち取る。
《畠山七人衆》
◇遊佐美作守続光(?~) 「畠山七人衆」の一人。
◇長対馬守続連(?~) 「畠山七人衆」の一人。
◇飯川主計助光誠(?~) 「畠山七人衆」の一人。
◇三宅綱賢(?~) 能登国代官。「畠山七人衆」の一人。「津川の戦い」で蘆名盛興を討ち取る。
《一色家》
◇一色式部大夫義道(1533~) 一色家前当主。稲富直秀に降伏し、隠居。
◇一色式部少輔藤長(1536~) 式部一色家当主。元幕臣。一色家当主を継ぐ。
◆稲富相模守直時(1508~1567) 一色家重臣。弓木城城主。
◇稲富玄蕃頭直秀(?~) 一色家重臣。稲富直時の子。稲富家当主を継ぐ。
◇稲富弥四郎直家(1552~) 一色家重臣。稲富直秀の嫡男。稲富流砲術の開祖。
《尼子家》
◇尼子孫四郎勝久(1553~) 尼子家一門。
◇山中鹿之助幸盛(1545~) 元尼子家家臣。「尼子十勇士」の一人。
◇立原源太兵衛尉久綱(1531~) 元尼子家家臣。「尼子三傑」の一人。
《山名家》
◇山名右衛門督祐豊(1511~) 山名家前当主。隠居し、隠岐島に流される。
◇山名慶晋丸(1559~) 山名家当主を継ぐ。史実の山名堯熙。隠岐島に流される。
◇山名豊弘(?~) 山名祐豊の弟。隠岐島に流される。
◇垣屋越前守続成(1482~) 山名家重臣。「山名四天王」の一人。
◇塩冶高清(?~) 山名家重臣。
◇垣屋豊続(?~) 山名家重臣。
◇田公豊高(?~) 山名家重臣。
【蒲生家】 《石高:約120万石/南近江、山城、北摂津、播磨》
◇蒲生山城守忠秀(1534~) 蒲生家当主。賢秀から改名。官位は正五位上・山城守。
◇高畑源十郎(?~) 元六角家家臣。北里館城主。「野洲川の戦い」で蒲生家に寝返る。
◇永原重虎(?~) 元六角家家臣。小提城山城城主。「野洲川の戦い」で蒲生家に寝返る。
◇矢島越中守(?~) 元六角家家臣。矢島城城主。「野洲川の戦い」で蒲生家に寝返る。
◇浮気時貞(?~) 元六角家家臣。浮気城城主。「野洲川の戦い」で蒲生家に寝返る。
◇伊丹大和守親興(?~) 伊丹城城主。「摂津三守護」の一人。「山崎の戦い」で蒲生家に寝返る。
◇伊丹兵庫頭忠親(1552~) 伊丹親興の嫡男。
◇村雨雲四郎晴久(?~) 村雲党の棟梁。
◇伊賀仙柳庵宗賢(?~) 伊賀家前当主。出家して久隆から改名。
《赤松家》
◇赤松兵部少輔義祐(1537~) 赤松家当主。
◇小寺加賀守政職(1529~) 小寺家当主。
◇小寺兵庫助職隆(1524~) 小寺家重臣。
◇黒田官兵衛忠高(1546~) 軍師。小寺職隆の子。忠秀の偏諱を授かり小寺祐隆から改名。
【織田家】 《石高:約160万石/尾張、三河、遠江、駿河、東甲斐、伊豆、相模》
◇織田三郎信長(1534~) 織田家当主。主人公の義兄。官位は正五位上・尾張守。
◇織田奇妙丸(1555~) 織田信長の長男。史実の織田信忠。
◇武田菊(1558~) 武田信玄の娘。史実の上杉景勝の正室。織田奇妙丸の婚約者。人質として織田家に預けられる。
◇遠山艶(?~) 遠山景任の正妻。織田信長の叔母。遠山景任の死により織田家に帰される。
◆織田勘十郎信勝(?~1558) 織田信長の弟。末森城主。織田信長により謀殺。
◇丹羽五郎左衛門尉長秀(1535~) 織田家重臣。「米五郎左」
◇池田勝三郎恒興(1536~) 織田家重臣。
◇河尻与兵衛尉秀隆(1527~) 織田家重臣。
◇蜂屋兵庫頭頼隆(1534~) 織田家重臣。
◇金森五郎八長近(1524~) 織田家重臣。
◇羽柴藤吉郎秀吉(1537~) 織田家重臣。史実の「太閤」豊臣秀吉。木下から改姓。
◇羽柴小一郎長秀(1540~) 軍師。羽柴藤吉郎の弟。木下から改姓。
◇柴田権六勝家(1522~) 織田家重臣。「鬼柴田」
◇佐久間出羽介信盛(1528~) 織田家重臣。「逃げ佐久間」
◇滝川彦右衛門一益(1525~) 織田家重臣。
◇森三左衛門尉可成(1523~) 織田家重臣。
◇村井吉兵衛貞勝(?~) 織田家重臣。
◇簗田出羽守政綱(?~) 織田家重臣。
◇毛利新介良勝(?~) 織田家家臣。「桶狭間の戦い」で今川義元を討ち取る。
◆織田玄蕃允秀敏(?~1560) 織田家重臣。「桶狭間の戦い」で鷲津砦にて討死。
◆飯尾近江守定宗(?~1560) 織田家重臣。「桶狭間の戦い」で鷲津砦にて討死。
◆佐久間大学允盛重(?~1560) 織田家重臣。「桶狭間の戦い」で丸根砦にて討死。
◇服部平左衛門康信(?~) 織田家家臣。「森部の戦い」で長井利房を討ち取る。
◇恒河久蔵(?~) 織田家家臣。「森部の戦い」で日比野清実を討ち取る。
◆飯尾隠岐守尚清(1528~1566) 織田家重臣。「安祥城の戦い」で討死。
◇佐々内蔵助成政(1536~) 織田家重臣。
◇九鬼右馬允嘉隆(1542~) 織田家重臣。
◆吉良義昭(?~1567) 吉良家当主。「矢作川の戦い」で一向一揆勢に寝返り、討死。
◇安部大蔵尉元真(1513~) 織田家家臣。元今川家家臣。
◇風間出羽守(?~) 風魔党の棟梁。「風魔小太郎」
《北条家》
◇北条助五郎氏規(1545~) 北条氏康の四男。北条家当主を継ぐ。
◇北条幻庵宗哲(1493~) 北条家一門。北条早雲の四男。出家して長綱から改名。
◇北条国王丸(1562~) 北条氏政の嫡男。史実の北条氏直。
◇北条国増丸(1564~) 北条氏政の次男。史実の太田源五郎。
◇北条菊王丸(1565~) 北条氏政の三男。史実の太田氏房。
◇松田左衛門佐憲秀(?~) 北条家重臣。
◇遠山甲斐守政景(?~) 北条家重臣。
【竹中家】 《石高:約155万石/中東美濃、飛騨、信濃、上野、西甲斐》
◇竹中半兵衛重治(1544~) 竹中家当主。主人公の義兄弟。官位は正五位上・美濃守。
◇竹中久作重矩(1546~) 竹中半兵衛の弟。
◆竹中遠江守重元(1499~1565) 竹中半兵衛の父。
◇安藤伊賀守守就(1503~) 「西美濃三人衆」の一人。竹中半兵衛の舅。
◇氏家常陸介直元(1512~) 「西美濃三人衆」の一人。
◇稲葉伊予守良通(1515~) 「西美濃三人衆」の一人。
◇木曾中務大輔義康(1514~) 「信濃四大将」の一人。木曾義昌の父。
◇木曾左馬頭義昌(1540~) 木曾家当主。
◇仁科右衛門大夫盛政(?~) 仁科家当主。
◇望月新六郎頼盛(?~) 望月党の棟梁。望月印月斎の弟。
【上杉家】 《石高:約155万石/越後、南陸奥、南出羽》
◇上杉越後守輝虎(1530~) 上杉家当主。関東管領。後の「軍神」上杉謙信。山内上杉家の養子となって家督を継ぎ、長尾景虎、上杉政虎から改名。官位は正五位上・越後守。
◇柿崎和泉守景家(1513~) 「上杉十七将」の一人。
◇甘粕近江守景持(?~) 「上杉十七将」の一人。
◇村上左近衛少将義清(1501~) 上杉家家臣。北信濃の大名であったが、武田家に敗れて上杉家に亡命。「信濃四大将」の一人。
◇高梨政頼(1508~) 「上杉十七将」の一人。北信濃・中野の国人。
◇斎藤下野守朝信(1527~) 「上杉十七将」の一人。「越後の鍾馗」
◇長尾喜平次顕景(1556~) 史実の上杉景勝。上杉輝虎の甥。
◇直江大和守景綱(1509~) 「上杉十七将」の一人。
◇小島弥太郎貞興(1522~) 「上杉十七将」の一人。
◇二本松修理大夫義国(1521~) 二本松畠山家当主。
◇二階堂信濃守盛義(1544~) 二階堂家当主。
◇田村安芸守隆顕(1489~) 田村家当主。
◇結城左京大夫晴綱(1520~) 結城家当主。
◇猪苗代弾正忠盛国(1536~) 猪苗代家当主。
◇相馬弾正大弼盛胤(1529~) 相馬家当主。
◇最上出羽守義守(1521~) 最上家当主。
◇三雲新左衛門尉賢持(?~) 三雲定持の嫡男。
《石川家》
◇石川大和守晴光(1528~) 石川家当主。
◆石川佐衛門太夫親宗(1550~1566) 石川家の嫡男。伊達家からの養子。伊達輝宗の四弟。上杉家の侵攻で家臣に殺される。
《石橋家》
◇石橋式部大輔尚義(?~) 石橋家当主。
◆大内備前守義綱(?~) 石橋家重臣。当主の石橋尚義を軟禁して実権を握るも、上杉家の侵攻で討死。
《伊達家》
◆伊達左京大夫輝宗(1544~1567) 伊達家当主。上杉家の侵攻で切腹。
◆伊達次郎晴宗(1519~1567) 伊達輝宗の父。杉目城城主。上杉家の侵攻で切腹。
◇伊達梵天丸(1567~) 伊達輝宗の長男。史実の伊達政宗。上杉家の人質となる。
◇伊達義(1548~) 伊達輝宗の正妻。伊達梵天丸の母。上杉家の人質となる。
◇伊達六郎政景(1549~) 伊達輝宗の三弟。留守政景から改名し、伊達家当主を継ぐ。
◇伊達藤五郎実元(1527~) 伊達晴宗の三弟。大森城城主。
◆梁川伊達左衛門宗清(1532~1567) 梁川家当主。伊達晴宗の八弟。梁川城城主。
◆亘理元宗(?~1567) 亘理家当主。伊達晴宗の十二弟。亘理城城主。
◇鬼庭周防守良直(1513~) 伊達家重臣。
◇片倉意休斉景親(?~) 伊達家家臣。伊達梵天丸の傅役。
◇片倉小十郎景綱(1557~) 伊達家家臣。片倉景親の甥。伊達梵天丸の側仕え。
◇片倉喜多(1538~) 片倉景綱の義姉。伊達梵天丸の乳母。
【六角家】
◆六角弾正少弼定頼(1195~1552) 六角義賢の父。室町幕府管領代。
◆六角承禎(1521~1560) 六角家当主。出家して義賢から改名。「野良田の戦い」で討死。
◆六角四郎義治(1545~1559) 六角承禎の嫡男。「寺倉郷の戦い」で討死。
◆六角中務大輔義定(1547~1560) 六角承禎の次男。「野良田の戦い」の後に捕縛され斬首。
◆後藤但馬守賢豊(?~1561) 「六角六宿老」の一人。「野洲川の戦い」で討死。
◆後藤壱岐守(?~1561) 後藤賢豊の嫡男。「野洲川の戦い」で討死。
◆後藤高治(?~1563) 後藤家当主。後藤賢豊の次男。「三雲城の戦い」で討死。
◆進藤山城守賢盛(?~1563) 「六角六宿老」の一人。「三雲城の戦い」で討死。
◆平井加賀守定武(?~1563) 「六角六宿老」の一人。「三雲城の戦い」で討死。
◆目賀田次郎左衛門尉忠朝(?~1560) 「六角六宿老」の一人。「野良田の戦い」で討死。
◆目賀田摂津守貞政(?~1561) 目賀田家当主。「目賀田の戦い」で討死。
◆三雲対馬守定持(?~1563) 「六角六宿老」の一人。「三雲城の戦い」で切腹。
◇永原重興(?~) 六角家家臣。
◇池田孫次郎景雄(1528~) 六角家家臣。
◆小川壱岐守(?~1560) 小川蹊祐の父。「佐和山城の戦い」にて討死。
《朝廷・公家衆》
◆御奈良天皇(1497~1557) 第105代天皇。
◇正親町天皇(1517~) 第106代天皇。
◇近衛前久(1536~) 近衛家当主。関白。
◇渓江院(?~) 近衛前久の妹。赤井直正に嫁ぐも離縁。
◇山科言継(1507~) 山科家当主。内蔵頭。献金獲得のために各地を奔走。
◇勧修寺晴豊(1544~) 武家伝奏。
《足利幕府》
◆足利義輝(1536~1564) 室町幕府第13代征夷大将軍。「永禄の変」で討死。
◆足利覚慶(1537~1564) 足利義輝の次弟。興福寺一乗院門跡。史実の室町幕府第15代征夷大将軍、足利義昭。「永禄の変」の直後に暗殺される。
◆足利周暠(?~1564) 足利義輝の三弟。相国寺鹿苑院の院主。「永禄の変」の直後に暗殺される。
◆足利義栄(1538~1565) 室町幕府第14代征夷大将軍。足利義輝の従弟。足利義親から改名。将軍就任後、半年で病死。
◆細川晴元(1514~1562) 細川吉兆家当主。室町幕府管領。三好長慶により殺害。
◆進士美作守晴舎(?~1564) 幕臣。「永禄の変」で切腹。
◆一色輝喜(?~1564) 幕臣。「永禄の変」で討死。
《摂津国人衆》
◆池田民部大輔勝正(1539~1566) 池田家当主。蒲生家の摂津侵攻で討死。
《本願寺勢力》
◆顕如(1543~1567) 一向宗法主。石山本願寺住職。「石山合戦」にて討死。
◆下間頼廉(1537~1567) 本願寺の坊官。顕如の側近。「石山合戦」にて討死。
◆七里頼周(1517~1563) 本願寺の坊官。加賀一向一揆の指導者。雪崩により一乗谷で生き埋め。
◆杉浦玄任(?~1563) 本願寺の坊官。加賀一向一揆の指導者。雪崩により一乗谷で生き埋め。
◆下間頼照(1516~1564) 本願寺の坊官。加賀一向一揆の指導者として派遣される。「犀川の戦い」にて討死。
◆窪田経忠(?~1564) 加賀一向一揆の将。「犀川の戦い」にて討死。
◆岸田常徳(?~1564) 加賀一向一揆の将。「犀川の戦い」にて討死。
◆証意(1537~1566) 伊勢国・願証寺の住職。長島一向一揆の指導者。寺倉軍の攻撃により願証寺と共に焼死。
◆下間頼旦(?~1566) 本願寺の坊官。長島一向一揆の指導者。降伏したところを寺倉軍の一斉射撃により討死。
◆服部友貞(?~1566) 尾張国の土豪・服部党の首領。長島一向一揆に参加し、志摩水軍の攻撃により討死。
◆空誓(?~1567) 三河国・本證寺の住職。蓮如の孫。三河一向一揆の指導者。織田軍の攻撃により討死。
◆下間頼成(?~1567) 本願寺の坊官。三河一向一揆の指導者。織田軍の攻撃により討死。
【河内畠山家】
◆畠山尾張守高政(1527~1566) 畠山尾州家前当主。「高屋城の戦い」で討死。
◆畠山左衛門督政頼(1534~1566) 畠山尾州家当主。河内・和泉守護。畠山高政の三弟。堺の会合衆に毒殺される。
◆畠山紀伊守政尚(1533~1568) 紀伊守護。畠山高政の次弟。「紀州征伐」にて討死。
◆畠山左衛門佐義続(?~1567) 畠山義綱の父。浅井家の侵攻で降伏するも反逆して追放処分となる。「岸和田城の戦い」で討死。
◆畠山修理大夫義綱(?~1567) 能登畠山家当主。浅井家の侵攻で降伏するも反逆して追放処分となる。「岸和田城の戦い」で討死。
◆安見美作守宗房(?~1566) 畠山家重臣。「高屋城の戦い」で討死。
◆遊佐河内守信教(1548~1566) 畠山家重臣。「高屋城の戦い」で討死。
◆湯川民部少輔直光(?~1566) 畠山家重臣。「高屋城の戦い」で討死。
◆遊佐越中守高清(?~1568) 畠山家重臣。「紀州征伐」にて討死。
《堺会合衆》
◆油屋常琢(?~1566) 堺の会合衆の一人で筆頭格。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆高三隆世(?~1566) 堺の会合衆の一人。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆松江隆仙(?~1566) 堺の会合衆の一人で強硬派。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆千宗易(1522~1566) 堺の会合衆の一人。屋号は魚屋(ととや)。茶湯の「天下三宗匠」の一人。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆紅屋宗陽(?~1566) 堺の会合衆の一人で強硬派。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆今井宗久(1520~1566) 堺の会合衆の一人。屋号は納屋。茶湯の「天下三宗匠」の一人。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆津田宗及(?~1566) 堺の会合衆の一人。屋号は天王寺屋。茶湯の「天下三宗匠」の一人。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
◆茜屋宗左(?~1566) 堺の会合衆の一人。寺倉蹊政暗殺未遂の罪で磔刑となる。
《雑賀衆・根来衆・紀伊国人衆》
◆土橋平次守重(?~1568) 雑賀衆の頭目。「紀州征伐」にて討死。
◆土橋重治(?~1568) 雑賀衆。土橋守重の弟。「紀州征伐」にて討死。
◆土橋泉識坊(?~1567) 根来衆。土橋守重の子。口封じのため殺される。
◆佐武義昌(?~1568) 雑賀衆の棟梁。「紀州征伐」にて討死。
◆岡吉正(?~1568) 雑賀衆の棟梁。「紀州征伐」にて討死。
◆隅田肥前守能継(?~1568) 隅田家当主。「紀州征伐」にて討死。
《伊賀衆》
◆百地三太夫正永(?~) 伊賀上忍三家の一つ、百地家当主。「関谷の退き口」にて討死。
《北勢四十八家・伊勢国人衆》
◆梅戸実秀(?~1563) 梅戸家当主。梅戸城城主。寺倉家侵攻で切腹。
◆関中務大輔盛信(?~1563) 関家当主。亀山城城主。寺倉家の北伊勢再侵攻で切腹。
◆長野次郎具藤(1552~1564) 長野家当主。北畠家からの養子。北畠具房の弟。「長野の戦い」で討死。
《丹波国人衆》
◆赤井悪右衛門直正(1529~1568) 黒井城城主。「丹波の赤鬼」。「香良の戦い」にて討死。
◆赤井市郎兵衛忠家(1549~1568) 赤井家当主。赤井直正の甥。「香良の戦い」にて討死。
◆赤井時家(1494~?) 赤井家先々代当主。赤井直正の父。赤井忠家の祖父。
◆余田為家(?~1568) 赤井家重臣。「香良の戦い」にて討死。
◆波多野元秀(?~1567) 波多野家秀治の父。
◆波多野秀治(?~1568) 波多野家当主。八上城城主。浅井家の丹波侵攻で討死。
◆宇津左近大夫頼重(?~1567) 宇津城城主。浅井家の丹波侵攻で捕らえられ、禁裏領横領の罪で磔刑にされる。
◆川勝彦治郎広継(?~1567) 川勝継氏の父。浅井家の丹波侵攻で切腹。
◆足立基助(?~1568) 浅井家の丹波侵攻で討死。
◆蘆田国住(?~1568) 浅井家の丹波侵攻で討死。
◆塩見頼氏(?~1568) 浅井家の丹波侵攻で討死。
【山名家】
◆太田垣輝延(?~1568) 山名家重臣。竹田城城主。「山名四天王」の一人。赤井家に降るも浅井家の丹波侵攻で討死。
◆八木豊信(?~1568) 山名家重臣。八木城城主。「山名四天王」の一人。赤井家に降るも浅井家の丹波侵攻で討死。
◆田結庄左近将監是義(?~1568) 山名家重臣。「山名四天王」の一人。
【因幡武田家】
◆武田刑部少輔高信(1529~1568) 因幡武田家当主。「鳥取城の戦い」にて切腹。
【別所家】
◆別所大蔵大輔安治(1532~1568) 別所家当主。「三木合戦」にて切腹。
◆別所山城守吉親(?~1568) 別所安治の次弟。鷹尾山城にて自害。
◆別所重宗(?~1568) 別所安治の三弟。「三木合戦」にて切腹。
◆別所小三郎長治(1558~1568) 別所安治の嫡男。「三木合戦」にて切腹。
《播磨国人衆》
◆赤松下野守政秀(1510~1568) 龍野赤松家当主。「龍野城の戦い」にて切腹。
◆宇野下総守政頼(?~1568) 宇野家当主。「長水城の戦い」にて切腹。
【浦上家】
◇浦上与次郎宗景(?~) 浦上家当主。
◇宇喜多和泉守直家(1529~) 浦上家重臣。
◇宇喜多七郎兵衛忠家(1533~) 浦上家重臣。宇喜多直家の弟。
◇伊賀与三郎家久(?~) 伊賀家当主。伊賀久隆の子。
◇伊賀与四郎(?~) 伊賀家久の弟。史実の伊賀久道。
【三村家】
◇三村修理進元親(?~) 三村家当主。
【毛利家】
◆毛利陸奥守元就(1497~1568) 毛利輝元の祖父。「山陽・山陰の覇者」。毛利輝元に刺殺される。
◆毛利少輔太郎輝元(1553~1568) 毛利家前当主。毛利就辰に粛清される。
◇吉川少輔次郎元春(1530~) 吉川家当主。毛利元就の次男。「御四人」の一人。
◇小早川又四郎隆景(1533~) 小早川家当主。毛利元就の三男。「御四人」の一人。
◇毛利太郎右衛門尉就辰(1546~) 毛利元就の四男。毛利家当主を継ぐ。二宮就辰から改名。
◇毛利少輔四郎元清(1551~) 毛利元就の五男。
◇宍戸弥三郎隆家(1518~) 毛利家一門衆。毛利元就の娘婿。
◆乃美兵部丞宗勝(1527~1567) 小早川家重臣。「木津川口の戦い」で討死。
◇口羽善九郎通良(1513~) 毛利家重臣。「御四人」の一人。
◇福原弥五郎貞俊(1512~) 毛利家重臣。「御四人」の一人。
◇熊谷次郎三郎信直(1507~) 毛利家重臣。
◇渡辺飛騨守長(1534~) 毛利家重臣。
◇市川伊豆守経好(1520~) 毛利家重臣。高嶺城城主。
◇市川桐(?~) 市川経好の正妻。
◇内藤越後守就藤(?~) 毛利家重臣。
◇山県元重(?~) 市川家重臣。
◇有馬善兵衛(?~) 市川家家臣。
◇津守輔直(?~) 市川家家臣。
◇寺戸対馬守(?~) 市川家家臣。
◆南条備後守宗勝(1497~1568) 南条家当主。「羽衣石城の戦い」で切腹。
◆杉原播磨守盛重(1533~1568) 毛利家重臣。尾高城で討死。
◇多賀元龍(?~) 毛利家重臣。
◇細川兵部大輔藤孝(1534~) 毛利家家臣。元幕臣。
◇細川麝香(1544~) 細川藤孝の正妻。沼田祐光の妹。
◇細川熊千代(1563~) 史実の細川忠興。細川藤孝の嫡男。
◇細川頓五郎(1566~) 史実の細川興元。細川藤孝の次男。
◇尼子右衛門督義久(1540~) 尼子家当主。毛利家に降伏し、円明寺に幽閉される。
【村上家】
◆村上掃部頭武吉(1533~1567) 能島村上家当主。「木津川口の戦い」で討死。毛利家家臣。
◇村上少輔太郎元吉(1553~) 村上武吉の嫡男。能島村上家当主を継ぐ。
◇村上又三郎吉充(?~) 因島村上家当主。毛利家家臣。
◆村上太郎左衛門通康(1519~1567) 来島村上家当主。河野家家臣。
◇村上助兵衛通総(1561~) 村上通康の四男。来島村上家当主を継ぐ。
◇村上河内守吉継(?~) 来島村上家家臣。甘崎城主。村上通総の後見役。
【大内家】
◆大内左京大夫義長(1532~1557) 大内家当主。大友義鎮の弟。大友晴英から改名。「勝山城の戦い」で切腹。
◆陶尾張守晴賢(1527~1555) 陶家当主。「厳島の戦い」で討死。
◆大内太郎左衛門尉輝弘(1520~1568) 大友家の客将。「大内輝弘の乱」で切腹。
◇大内六郎太郎武弘(?~) 大友家の客将。大内輝弘の嫡男。
【三好家】
◆三好修理大夫長慶(1522~1564) 三好家前当主。天下人。「日本の副王」。精神病にて病死。
◆三好筑前守義興(1542~1568) 三好家当主。寺倉家の阿波侵攻で切腹。
◆十河讃岐守一存(1532~1561) 三好長慶の四弟。細川晴元の手により毒殺。
◆十河讃岐守重存(1549~1568) 十河家当主。十河一存の子。史実の三好義継。「勝瑞城の戦い」で討死。
◆三好物外軒実休(1527~1562) 三好長慶の次弟。「久米田の戦い」で討死。
◆三好山城守康長(?~1562) 三好長慶の叔父。「教興寺の戦い」で討死。
◆三好日向守長逸(?~1566) 「三好三人衆」の一人。「芥川山城の戦い」で討死。
◆三好兵庫助長虎(?~1568) 三好長逸の嫡男。「勝瑞城の戦い」で討死。
◆三好釣竿斎宗渭(?~1566) 「三好三人衆」の一人。出家して政勝から改名。「山崎の戦い」で討死。
◆三好一任斎為三(1536~1566) 三好宗渭の弟。「山崎の戦い」で討死。
◆岩成主税助友通(?~1565) 「三好三人衆」の一人。「勝竜寺城の戦い」で討死。
◆伊沢大和守(?~?) 三好家重臣。
◆松永備前守長頼(?~1564) 三好家重臣。松永久秀の弟。黒井城攻めで討死。
◆篠原右京進長房(?~1568) 三好家重臣。「勝瑞城の戦い」で討死。
◆平田和泉守(?~1568) 三好家重臣。「勝瑞城の戦い」で討死。
◆筒井藤政(1549~1565) 史実の筒井順慶。元大和守護。「大和四家」の一つ。「山辺の戦い」で討死。
◆筒井順国(?~1565) 筒井藤政の叔父。「多聞山城の戦い」で切腹。
◆荒木信濃守村重(1535~1568) 元池田家家臣。池田家前当主・池田長正の娘婿。「勝瑞城の戦い」で討死。
◆池田久左衛門知正(1555~1568) 池田家前当主・池田長正の子。「勝瑞城の戦い」で討死。
◆香西元載(?~1568) 香西家当主。寺倉家の讃岐侵攻で切腹。
◆香川中務丞之景(1527~1568) 香川家当主。寺倉家の讃岐侵攻で切腹。
◆香川景全(?~1568) 香川之景の弟。寺倉家の讃岐侵攻で切腹。
◆大西出雲守頼武(?~1568) 大西家当主。「白地城の戦い」で切腹。
◆大西備中守元武(?~1568) 大西頼武の弟。東山城で討死。
◆寺野源左衛門武次(?~1568) 三好家重臣。田尾城で討死。
◆東条隠岐守頼高(?~1568) 三好家重臣。中西城で討死。
◆海部左近将監友光(?~1568) 三好家重臣。海部城城主。「勝瑞城の戦い」で討死。
【長宗我部家】
◆長宗我部宮内少輔元親(1539~1568) 長宗我部家前当主。「姫若子」。「岡豊城の戦い」にて切腹。
◆吉良左京進親貞(1541~1568) 土佐吉良家当主。長宗我部元親の次弟。「吉良城の戦い」にて討死。
◆香宗我部遷仙(?~1568) 香宗我部親泰の養父。出家して親秀から改名。「香宗城の戦い」にて討死。
【一条松平家】
◆一条左近衛少将兼定(1543~1568) 土佐一条家当主。「中村騒動」にて切腹。
◇一条次郎三郎家康(1559~) 松平一条家当主。史実の松平信康。土佐一条家に婿入りし、土佐一条家当主を継ぐ。
◇一条清(1563~)一条家康の正妻。一条兼定の娘。
◇土居近江守宗珊(1513~) 土佐一条家の筆頭家老。土居清良の義兄。
◇土居式部少輔清良(1546~) 史実の「西園寺十五将」の一人。
◇渡辺半蔵守綱(1542~) 史実の「徳川十六神将」の一人。「槍半蔵」。
◇鳥居彦右衛門尉元忠(1539~) 史実の「徳川十六神将」の一人。
◇内藤甚一郎正成(1528~) 史実の「徳川十六神将」の一人。強弓の名手。
◇蜂屋半之丞貞次(1539~) 史実の「徳川十六神将」の一人。
◇石川与七郎数正(1533~) 元松平家重臣。
◇植村新六郎家存(1541~) 史実の「徳川十六神将」の一人。
◇鈴木孫一重秀(?~) 雑賀衆の頭目。「雑賀孫一」
◇松永弾正少弼久秀(1508~) 元三好家重臣。元大和守護。
◇窪川外記俊光(?~) 土佐一条家家臣。「仁井田五人衆」の一人。
◇長宗我部内記親泰(1543~) 長宗我部元親の三弟。長宗我部家当主を継ぐ。
◇長宗我部千雄丸(1565~) 長宗我部元親の嫡男。史実の長宗我部信親。
◇長宗我部千勝丸(1567~) 長宗我部元親の次男。史実の香川親和。
【河野家】
◇河野左京大夫通宣(1522~) 河野家当主。
【伊予宇都宮家】
◇宇都宮遠江守豊綱(1519~) 伊予宇都宮家当主。土佐一条家に降伏し、隠居。
【西園寺家】
◆西園寺公広(1537~1567) 西園寺家当主。「西園寺崩れ」にて討死。
【大友家】
◇大友休庵宗麟(1530~) 大友家当主。出家して義鎮から改名。
◇戸次麟伯軒道雪(1513~) 大友家重臣。出家して鑑連から改名。立花道雪。
◇吉岡宗歓(?~) 大友家重臣。出家して長増から改名。
◇若林鎮興(1547~) 大友水軍の将。
◇三雲次郎右衛門成持(1540~) 三雲定持の次男。
【伊東家】
◇伊東左京大夫義益(1546~) 伊東家当主。
◇伊東阿喜多(?~) 伊東義益の正妻。一条兼定の妹。
◇伊東三位入道義祐(1512~) 伊東家前当主。伊東義益の父。
【若狭武田家】
◆武田大膳大夫義統(1526~1561) 若狭武田家当主。若狭守護。「後瀬山城の戦い」の後に斬首。
◆武田彦五郎信方(?~1561) 武田義統の弟。新保山城城主。「後瀬山城の戦い」の後に切腹。
◆松宮玄蕃允清長(?~1561) 若狭武田家臣。「後瀬山城の戦い」で討死。
【朝倉家】
◆朝倉左衛門督義景(1533~1562) 朝倉家当主。六角家からの養子。朝倉景鏡により謀殺。
◆朝倉孫九郎景垙(?~1561) 朝倉家一門衆。敦賀郡司。金ヶ崎城城主。「三方の戦い」で討死。
◆朝倉孫八郎景鏡(1525~1562) 朝倉家一門衆。大野郡司。亥山城城主。主君・朝倉義景を謀殺し、謀反を起こすも「足羽川の戦い」で討死。
◆朝倉景次(?~1562) 朝倉家一門衆。朝倉義鏡の弟。加賀一向一揆との戦いで敗れ切腹。
◆朝倉右兵衛尉景隆(1508~1562) 朝倉家一門衆。安居城城主。「足羽川の戦い」で討死。
◆朝倉孫三郎景健(?~1563) 朝倉家一門衆。朝倉景隆の末子。加賀一向一揆との戦いで討死。
◇山崎新左衛門尉吉家(?~) 朝倉家重臣。
【神保家】
◆神保宗右衛門尉長職(?~1565) 神保家当主。浅井家の越中侵攻で討死。
【佐渡本間家】
◆本間佐渡守高統(?~1565) 河原田本間家当主。寺倉家の侵攻で討死。
◇本間三河守高信(?~) 羽茂本間家当主。寺倉家の侵攻で追放処分となる。
【美濃一色家】
◆斎藤山城守道三(1494~1556)斎藤義龍の父。「長良川の戦い」で討死。
◆一色左京大夫義龍(1527~1561) 一色龍興の父。ハンセン病により病死。
◆一色治部大輔龍興(1548~1562) 美濃一色家当主。「沼上の戦い」で捕縛され討死。
◆斎藤飛騨守(?~1562) 美濃一色家重臣。「稲葉山城乗っ取り」で斬首。
◆長井甲斐守利房(?~1561) 「斎藤六宿老」の一人。「森部の戦い」で討死。
◆日比野下野守清実(?~1561) 「斎藤六宿老」の一人。「森部の戦い」で討死。
【遠山家】
◆遠山内匠助景任(?~1564) 岩村遠山家当主。竹中家の恵那郡侵攻で切腹。
【姉小路家】
◆姉小路四郎二郎嗣頼(1520~1563) 姉小路家当主。竹中家の飛騨侵攻で討死。
【松平家】
◆松平次郎三郎元康(1543~1560) 松平家当主。後の徳川家康。「桶狭間の戦い」の後に自害。
◇築山殿(?~) 松平元康の正妻。今川義元の姪。
◆酒井左衛門尉忠次(1527~1560) 史実の「徳川四天王」の一人。「桶狭間の戦い」の後に自害。
【今川家】
◆今川治部大輔義元(1519~1560) 今川氏真の父。「海道一の弓取り」。「桶狭間の戦い」で討死。
◇荻小次郎清誉(1508~) 今川家重臣。
◆岡部五郎兵衛元綱(1527~1562) 今川家重臣。史実の岡部元信。岡部正綱の従兄。甲斐武田家の駿河侵攻で討死。
◆松井左衛門佐宗信(1515~1560) 今川家重臣。「桶狭間の戦い」で討死。
◆久野元宗(?~1560) 今川家重臣。「桶狭間の戦い」で討死。
◆井伊信濃守直盛(1526~1560) 今川家重臣。「桶狭間の戦い」で討死。
◆由比美作守正信(?~1560) 今川家重臣。「桶狭間の戦い」で討死。
◆一宮宗是(?~1560) 今川家重臣。「桶狭間の戦い」で討死。
◆蒲原氏徳(?~1560) 今川家重臣。「桶狭間の戦い」で討死。
◆朝比奈左京亮泰朝(1538~1562) 今川家重臣。甲斐武田家の駿河侵攻で討死。
◆庵原安房守忠胤(?~1562) 今川家重臣。蒲原城城主。庵原忠縁の義兄。甲斐武田家の駿河侵攻で討死。
◆庵原将監忠縁(?~1562) 今川家重臣。庵原忠胤の義弟。甲斐武田家の駿河侵攻で討死。
【甲斐武田家】
◆武田徳栄軒信玄(1521~1565) 甲斐武田家当主。出家して晴信から改名。「甲斐の虎」。「焼津の戦い」で討死。
◆武田四郎勝頼(1546~1566) 武田信玄の四男。武田信玄の死により当主となる。「天目山の戦い」で切腹。
◇武田五郎盛信(1557~) 武田信玄の五男。仁科家の養子となるが、竹中家への臣従により武田家に追放処分となる。
◆武田左馬助信繁(1525~1561) 武田信玄の弟で副将。「武田二十四将」の一人。「第四次川中島の戦い」で討死。
◆武田刑部少輔信廉(1532~1566) 武田信玄の弟。「武田二十四将」の一人。高遠城城主。武田信玄の影武者を務める。「小諸城の戦い」で討死。
◆一条右衛門大夫信龍(1539~1566) 武田信玄の弟。「武田二十四将」の一人。「要害山城の戦い」で討死。
◆高坂弾正忠昌信(1527~1566) 「武田四天王」の一人。「逃げ弾正」。別名・春日虎綱。「天目山の戦い」で討死。
◆馬場美濃守信春(1515~1564) 「武田四天王」の一人。深志城城主。民部少輔信房から改名。竹中家の信濃侵攻で切腹。
◆飯富源四郎昌景(1529~1566) 「武田四天王」の一人。別名・山県昌景。「要害山城の戦い」で討死。
◆内藤修理亮昌豊(1522~1566) 「武田四天王」の一人。上原城城主。竹中家の信濃侵攻で討死。
◆山本勘助晴幸(1500~1561) 「武田二十四将」の一人。「第四次川中島の戦い」で討死。
◆秋山伯耆守虎繁(1527~1565) 「武田二十四将」の一人。「武田の猛牛」。飯田城城主。「飯田城の戦い」で切腹。
◆飯富兵部少輔虎昌(1504~1565) 「武田二十四将」の一人。武田義信の傅役。「甲山の猛虎」。「焼津の戦い」で討死。
◆曽根下野守昌世(?~1565) 「武田二十四将」の一人。「奥近習六人衆」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆甘利左衛門尉信忠(?~1565) 「武田二十四将」の一人。「奥近習六人衆」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆土屋右衛門尉昌続(1545~1565) 「武田二十四将」の一人。「奥近習六人衆」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆三枝勘解由左衛門尉昌貞(1537~1565) 「武田二十四将」の一人。「奥近習六人衆」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆原隼人佐昌胤(1531~1565) 「武田二十四将」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆小幡豊後守昌盛(1534~1565) 「武田二十四将」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆小山田備中守虎満(?~1565) 「武田二十四将」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆栗原伊豆守信盛(?~1565) 「武田二十四将」の一人。「焼津の戦い」で討死。
◆穴山梅雪斎不白(1541~1566) 「武田二十四将」の一人。出家して信君から改名。織田家に降伏するも処刑される。
◆小山田越前守信茂(1539~1566) 「武田二十四将」の一人。甲斐国郡内地方の国人。織田家に降伏するも処刑される。
◆真田弾正忠幸隆(1513~1566) 「武田二十四将」の一人。小諸城城主。「小諸城の戦い」で討死。
◆諸角豊後守虎定(?~1561) 甲斐武田家重臣。別名・室住虎光。「第四次川中島の戦い」で討死。
◆浅利式部丞信種(?~1561) 甲斐武田家重臣。「第四次川中島の戦い」で討死。
◆室賀山城守信俊(?~1561) 甲斐武田家重臣。「第四次川中島の戦い」で討死。
◆今福石見守友清(1513~1565) 甲斐武田家重臣。仁科家の監視役となるが、竹中家への臣従により粛清される。
◆横田十郎兵衛尉康景(1525~1565) 甲斐武田家重臣。仁科家の監視役となるが、竹中家への臣従により粛清される。
◆望月印月斎(1518~1566) 望月家当主。出家して信雅から改名。「小諸城の戦い」で討死。
◆長坂釣閑斎(1513~1566) 武田勝頼の側近。出家して光堅から改名。「天目山の戦い」で切腹。
《古河公方》
◇ 足利右兵衛佐義氏(1541~) 第5代古河公方。
◇藤田新太郎氏邦(1548~) 北条氏康の五男。藤田家の養子に入る。鉢形城城主。
◇北条左衛門大夫綱成(1515~) 北条家一門。「地黄八幡」
◇大道寺駿河守政繁(1533~) 元北条家重臣。
◇清水上野介康英(1532~) 元北条家重臣。
【北条家】
◆北条左京大夫氏康(1515~1568) 北条氏政の父。「相模の獅子」。「小田原征伐」にて切腹。
◆北条相模守氏政(1538~1568) 北条家前当主。北条氏康の次男。「小田原征伐」にて切腹。
◇北条梅(1543~) 北条氏政の正妻。武田信玄の娘。
◆大石源三氏照(1542~1568) 北条氏康の三男。大石家の養子に入る。滝山城城主。「滝山城の戦い」で切腹。
◆松田康長(1537~1567) 北条家家臣。山中城城主。「小田原征伐」にて討死。
◆大石播磨守定仲(1534~1568) 大石家の長男。戸倉城城主。「滝山城の戦い」で憤死。
【佐竹家】
◇佐竹常陸介義重(1547~) 佐竹家当主。
【蘆名家】
◆蘆名止々斎(1521~1565) 蘆名盛興の父。出家して盛氏から改名。「津川の戦い」で切腹。
◆蘆名修理大夫盛興(1547~1565) 蘆名家当主。「津川の戦い」で討死。
◆金上右衛門大夫盛備(1527~1566) 蘆名家重臣。「蘆名の執権」。上杉家の会津侵攻で討死。
【岩城家】
◆岩城孫次郎親隆(1539~1567) 岩城家当主。伊達家からの養子。伊達輝宗の長兄。相馬家と佐竹家の侵攻で討死。
【小野寺家】
◇小野寺景道(1534~) 小野寺家当主。
◆鮭延貞綱(?~1568) 小野寺家重臣。鮭延城城主。上杉家の出羽侵攻で討死。
【安東家】
◇安東侍従愛季(1539~) 下国安東家当主。
《キリスト教勢力》
◇ルイス・フロイス(1532~) ポルトガル人宣教師。イエズス会司祭。
◇ロレンソ了斎(1526~) 日本人。イエズス会修道士。盲目。
◇コスメ・デ・トーレス(1510~) ポルトガル人宣教師。イエズス会司祭。日本の布教責任者。
◇ガスパル・ヴィレラ(1525~) ポルトガル人宣教師。イエズス会司祭。
《その他》
◇慶松太郎三郎(?~) 越前国一乗谷の商人。慶松平次郎の父。
◇登誉天室(?~) 三河国・大樹寺の住職。
◇竺雲恵心(1522~) 京・東福寺の住職。
◇神屋紹策(?~) 博多の豪商。
◇曲直瀬道三(1507~) 医者。日本医学中興の祖。「医聖」
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