一条松平の謀議
土佐国・岡豊城。
東伊予から一旦撤退した一条松平軍は、岡豊城に留まっていた。寺倉軍と三好軍の戦いの趨勢を見届けながら、再度出陣する機を窺っていたのだ。
一条松平家当主の一条家康は未だ10歳であり、一条松平家をまとめ上げるには余りにも若すぎる。そのため、家中は重臣たちが政務を取り仕切っており、家康は言うなれば実権を持たないお飾りの当主でしかない。
しかし、家康が15歳に成長した暁には家康に実権を返上するつもりであり、松平家に忠節を誓う松平党の重臣たちは、家康を傀儡にして御家を簒奪するつもりなど毛頭なかった。
12月28日の朝、岡豊城の本丸の大広間に一条松平軍の諸将が参集した。
上座に座る人物は一条松平家の宿老の土居近江守宗珊である。土佐一条家の一門で古くから忠義を尽くしてきた宗珊は、家康の後見役も務めており、実質的に一条松平家の当主代行と言っても過言ではなかった。
今回の東伊予への遠征も家康が従軍することなどなく、一条松平家の本城である中村城で宗珊と共に留守を守っていたが、宗珊は一条松平軍の東伊予からの撤退の報を聞くと、今後の方針を見定めるため、家康を中村城に残して岡豊城に移動していた。
突然の評定開催に騒々しかった空気がやがて静寂に染まると、しばし瞑目していた宗珊は徐に口を開いた。
「皆の衆。勝瑞城で三好が寺倉に敗れたことは聞いておろう。して、つい先ほど素破から報告が届いた。……一昨日、海部城で三好筑前守(義興)が切腹し、三好が滅んだ。どうやら御家断絶だけは免れたようだがな」
「「「なっ……」」」
三好滅亡の一報に重臣たちのどよめきが起こった。面々は複雑な様子で視線を彷徨わせている。
「これが何を意味するか、分かるな?」
四国の雄どころか、一時は天下の覇権をも我が物とした三好家が寺倉軍に為す術もなく滅んだのだ。寺倉家の次なる敵が一条松平家なのは自明の理である。
現実は極めて厳しい。危惧していた事態がついに訪れたことを悟った重臣たちは脂汗を滲ませながら顔を伏せ、重苦しい空気が大広間を支配する。
「我らは東予を失った。兵の士気も下がっておる今、寺倉と戦っても勝ち目は薄い」
一つの勝敗は御家の興亡を左右しかねないほど大きい。連戦連勝だった一条松平家が敗れた事実は余りにも大きかった。せっかく苦労して奪った東伊予を手放す破目になったのだ。兵が意気消沈するのも当然である。
「近江守殿。兵は目の前の出来事に一喜一憂するものにございます。我らが新たな領地を奪い取れば、東伊予を失ったことなど、すぐに忘れましょう」
落ち着いた態度で発言したのは、軍師の松永弾正少弼久秀である。
「盛者必衰はこの世の理にござる。かつて天下を手中に収めた三好が滅んだのであれば、次は寺倉が滅ぶ番ではござらぬかな?」
不敵な笑みを浮かべる久秀に、口角を吊り上げた鳥居彦右衛門尉元忠が自信ありげに言葉を繋ぐ。
「然り。我ら松平党は一度は仕える主家を失い、織田に扱き使われた挙句、三河を追われる破目になった。一条家もまた先代の狼藉により一度は御家断絶の憂き目を見た。我らに失うものなど何もない。龍が如く天高く昇るのみにござる」
2人の言葉が皆の自信を焚きつけ、沈滞した大広間の雰囲気が消えると、宗珊が口を開いた。
「2人の申すとおりだが、問題は如何にして寺倉を討ち破るか、だ。寺倉も三好の本貫である阿波の民を掌握するには少しは時が掛かろう。三好が滅んだ隙を突き、今が東土佐を刈り取る好機だと思うが、如何か?」
「火事場泥棒は否めませぬが、土佐を統一する千載一遇の好機にござるな」
元忠が賛同すると、松永久秀が続く。
「寺倉と戦う力を蓄えるためにも、守りの薄い東土佐を奪うのは良き策かと存じます。ですが、その前に河野の扱いを決めねばなりませぬ」
「河野か。左様だな」
伊予守護の河野家は伊予の最大勢力だ。東伊予で敗れた一条松平家が落ち目と見て、東土佐に攻め入った隙を突いて、河野家に南伊予に攻め込まれる最悪の事態は避けたかった。
「同盟を組んでは如何でござるか?」
内藤正成が清爽な面持ちで提案する。だが、縁戚関係の毛利家から支援を受ける河野家は長年の宿敵であり、1年前にも「伊予合戦」で戦ったばかりである。
「河野は昨年、南予の鳥坂峠で敗れた恨みがあろう。今さら毛利と縁切りして、我らと手を結ぶはずもなかろう。それに、我らが四国に覇を唱えんと志す以上、いずれ河野は滅ぼさねばならぬ」
宗珊が眉を顰めて正成の案を退ける。
「左様ですな。失礼を申した」
「近江守殿。ここは先代の縁をお借りしては如何ですかな?」
「弾正少弼殿、それは如何なる意味か?」
「先代の一条左近衛少将(兼定)殿の妹御は日向の伊東家に嫁いでおられます。その縁を頼り、伊東家から援軍を借りるという案にございまする」
久秀の言葉どおり一条兼定の妹・阿喜多が伊東家当主・伊東左京大夫義益に嫁いでいた。
「なるほど、日向か。それは考えておらなんだな」
海を挟んだ日向の伊東家を頼るという久秀の提案は、宗珊にとっても目から鱗であった。
伊東家は飫肥を領する島津豊州家と南日向を巡って、80年以上の長きに渡って攻防を続けてきた。しかし、今年1月の「小越の戦い」で大勝を収め、南日向から島津豊州家を撤退させるに至った伊東家は現在、史実における最盛期を迎えていた。
一方、島津家は北上の障害となる南肥後の相良家とも敵対しており、大口城を攻めるも敗れ、劣勢に立たされていた。伊東家に援軍を頼むには絶好のタイミングであり、正に名案だった。
「確かに今ならば伊東家に援軍を頼むことに支障は見当たらぬな」
妻の兄・一条兼定から娘婿の一条家康に代替わりしたとは言え、伊東義益が妻の実家である一条松平家との縁を無碍にするとは考え難い。
「左様にございまする。伊東家から援軍を借りられれば、河野から中伊予を奪うのも夢ではないかと存じまする」
「では、私は直ちに日向へ向かい、伊東家から援軍の約定を取り付けよう。弾正少弼殿、彦右衛門尉殿。貴殿らには東土佐を刈り取る役目を任せたい。頼めるか?」
「無論、お引き受けいたしまする」
「お役目、成し遂げて見せましょう」
「うむ、頼みましたぞ」
宗珊はそう告げると評定を終了し、足早に大広間を去った。そして、その日の内に岡豊城を出立すると、翌29日には浦戸湊から日向へ向かう船上にあったのだった。
◇◇◇
日向国・都於郡城。
伊東義益は23歳と若いながらも智勇に優れ、温厚な性格で家臣や領民に深く愛される当主であったが、先代の父・伊東三位入道義祐も未だ57歳と健在であり、居城の佐土原城で実権を握っていた。
そのため伊東家は都於郡城の義益と、佐土原城の義祐による二頭政治が行われていたのだが、阿喜多が正妻という縁戚関係から宗珊は当然ながら当主の義益を重視した。
大晦日の12月31日、土居宗珊は都於郡城を訪ね、伊東義益と会見した。
「良かろう。妻の実家からの頼みとあらば、無碍に断る訳にも参らぬ。私が兵を率いて土佐へ参るとしよう。なあに、日向は名将の父上がおる故、心配など要らぬ」
「左京大夫様、誠にかたじけなく存じまする」
義益は一条松平家の援軍要請を快諾した。日向の後事は父・伊東義祐に託し、義益が自ら援軍を率いて土佐へ渡ることとなった。
義益は知る由もないが、史実では義益は翌年7月に岩崎稲荷に参籠中に島津家の刺客によって暗殺される運命にあり、義益を失った伊東家は島津家の反攻を受け、凋落の一途を辿ることとなる。
しかし、四国に渡ることにより義益は幸運にも難を逃れることとなり、伊東家の運命もまた大きく変わることとなるのであった。
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