但馬・丹波平定① 山名家滅亡
但馬国・此隅山城。
「よもや一色までもが滅びるとはな……」
但馬守護である山名家当主の山名祐豊は長々と嘆息し、現状を憂いていた。それもそのはず、ここ最近の祐豊の策はことごとく裏目に出ているのだ。
昨年の冬、浅井家に侵攻された波多野家の救援に向かった赤井直正が不在の西丹波を、空き巣狙いで掠め取ろうと兵を送ったものの、反転した赤井軍にものの見事に返り討ちにされた。
それだけで済めばまだマシであった。追撃した赤井軍に逆侵攻された挙句に、南但馬の朝来郡と養父郡を失ったばかりか、山名家の財源の過半を担う生野銀山までも失う羽目になってしまう。
南但馬では養父郡の八木城を八木豊信が、朝来郡は竹田城を太田垣輝延が守備していたが、「山名四天王」と謳われた2人は命を惜しんで共に赤井家に降ってしまった。祐豊が欲を掻いたばかりに、山名家は痛恨の大損害を被ったのである。
さらに、丹後では守護の一色家と対立する重臣の稲富家が浅井家に臣従すると、祐豊は同盟を結ぶ一色義道に物資援助を行ったものの、3月上旬に一色家は稲富家と浅井家に攻め込まれ、義道は呆気なく隠居に追い込まれた。近い内に浅井家の手が但馬に及ぶのは明らかだった。
山名家は源義国を祖とする新田庶流で、鎌倉幕府の御家人から足利幕府の"四職"の一家に伸し上がった名門である。200年ほど前には山城、丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、備後、美作、播磨、和泉、紀伊の守護職を独占し、全国66か国の内11ヶ国を領国とした山名家は「六分一殿」と呼ばれるに至った。
しかし、一族の相続争いから「明徳の乱」を起こした山名家は3ヶ国の守護に没落するが、山名宗全が「嘉吉の乱」を起こした赤松家討伐で功を上げて9ヶ国の守護に返り咲き、再び全盛期を築いた。
だが、宗全は幕政の主導権を巡って管領・細川勝元と対立し、畠山家の後継者争いも重なって「応仁の乱」が勃発する。宗全は西軍総大将として東軍総大将の勝元と戦うが、宗全が乱の最中に病死した後、山名家は再び急速に衰退していた。
そして、当代の山名祐豊は但馬国11万石の守護だったが、南但馬を失った今、北但馬では二方郡に塩冶高清、美含郡に垣屋豊続、七美郡に田公豊高、城崎郡に田結庄是義、気多郡には垣屋続成といった半独立の重臣たちが割拠しており、祐豊が支配しているのは此隅山城のある出石郡2万石のみとなっていた。
現実的には祐豊は重臣たちに担がれた"盟主"という立場だったが、度重なる失策により家中の求心力を失うだけに留まらず、「年内にも浅井が攻めて来れば山名家は滅亡必至だ」、「右衛門督(祐豊)の首を手土産にすれば領地は安堵されるだろう」といった謀反の噂が半ば公然と囁かれる有様であり、祐豊はもはや"盟主"として不適格の烙印を押されていた。
一方、反山名派の急先鋒は垣屋続成だった。垣屋家は代々山名家に仕える守護代だったが、85年前の播磨遠征で一族郎党350人を失ったのを始め、9年間で4人の当主を失って衰退していたため山名家を敵視し、反山名派の中心として祐豊と対立していたのである。
垣屋続成も「山名四天王」の一人であったが、最後の「山名四天王」である田結庄是義とは非常に険悪な仲だった。史実で山名家が織田家と毛利家のどちらと組むかで家中が二分した際も、毛利派の続成と織田派の是義は対立し、是義は奇襲によって続成を討つものの、続成の子・光成に敗れ、自害に追い込まれている。
田結庄是義は山名家の忠臣であり、家中でも祐豊の唯一の味方と言える存在だった。是義は家中を乱す続成を痛烈に批判し、2人の対立が家中の均衡を保つことにより、祐豊が辛うじて生き残る要因にもなっていたのである。
「右衛門督様。お耳に挟んでおきたい儀がございまする」
「こんな夜更けに何だ? 左近将監」
「垣屋越前守が浅井と接触を図ったようにございまする」
4月上旬のある夜、密かに主君の居室を訪ねた田結庄是義は祐豊に耳打ちした。
「何?!」
「どうやら浅井の手を借り、山名家を滅ぼす心積もりかと存じます。誠に不忠な輩にございますな」
「くっ、越前守め。黙っておれば、つけ上がりおって」
祐豊は憎々しげに歯噛みする。
「丹後を手中にした浅井が越前守に合力すれば、もはや歯が立たぬのは明らかにございます。越前守はいち早く浅井に取り入り、おそらく制圧後の北但馬を治めようという魂胆にございましょう」
垣屋続成と長年の対立関係にあった是義も、憎悪の滲んだ口振りで告げた。
「ふん、どこまでも欲深な男だな。だが、朝来郡と養父郡を失った今、これが公になれば他の国人たちも離反し、今度こそ山名家は滅んでしまうぞ」
「これに抗するためには、毛利家を頼りたいところでございますが、今は無理でございましょう。ならば、赤井と手を組む他はないかと存じまする」
赤井と手を組む、という是義の言葉に、祐豊は露骨に眉を顰めた。当然だろう。赤井家には朝来郡と養父郡、そして虎の子の生野銀山をも奪われたのだ。祐豊は自分が先に攻めたのは棚に上げて、憎き赤井家と協力するなど以ての外だった。
史実の織田家の但馬侵攻においては、毛利派だった垣屋家庶流の垣屋豊続や八木豊信が吉川元春に直談判するなどして、毛利家から援軍を得ているが、現在の毛利家はそれどころではない。
実質的な当主で毛利家の精神的支柱だった毛利元就が3月末に死去したばかりで、前当主の毛利輝元は病に伏して当主の座を追われて寺に幽閉されている。その間隙を縫って、大友家に門司を攻められており、もはや但馬に援軍を送る余裕などあるはずもなかった。
「左近将監、戯言を申すな。赤井と手を組むくらいならば、腹を切った方がマシだ」
「……では、如何いたしますか?」
深い谷を綱渡りするような非常に難しい判断を迫られた祐豊は考え込んだ。赤井家と手を組むなど以ての外だが、かと言って名門の山名家を自分の代で滅ぼしたとなれば、御先祖様に顔向けできない。
やがて重い口を開くと、祐豊は憚るような小さな声で告げる。
「……ならば、越前守を消すしかあるまい。足が付かぬようにだ」
「はっ」
是義の目は長年の私怨を晴らす機会に煌々と燃えていた。
◇◇◇
しかし、既に浅井家に臣従を誓っていた垣屋続成は、浅井家から借り受けた鉢屋衆に2人の動きを探るよう命じていた。以前は山名家の庇護を受けていた鉢屋衆は此隅山城の構造を熟知しており、この2人のやり取りも此隅山城に忍び込んだ鉢屋衆に筒抜けとなっていた。
「ふっ、狙いどおり食い付いたか。沼田殿の策に従い、我が命を餌にした甲斐があったな。ならば、降り掛かる火の粉は振り払わねばならぬな」
垣屋続成はそう独りごちた。
結果、垣屋続成の暗殺計画も全て捕捉されていた。田結庄是義はすぐに続成の暗殺を実行に移したが、続成を暗殺するどころか、是義は返り討ちに遭って殺されてしまう。
垣屋続成が浅井家に臣従する動きを態々露見するように動いたのは、山名祐豊に自分の暗殺を企ませ、それを阻止して山名家への反乱を正当化しようという命懸けの策であった。祐豊が続成の暗殺を命じたのが明るみになれば、祐豊に与する国人も鞍替えするだろうと踏んだのである。
頼みの綱だった田結庄是義が死に、暗殺計画が明るみになったことにより、山名祐豊は命だけは助けられたものの、隠居に追い込まれた。山名家の家督は10歳の祐豊の三男・山名慶晋丸(後の山名堯熙)が継いだが、後見役の垣屋続成に乗っ取られた山名家は、大名としては事実上滅亡する結末を見るのであった。
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