長宗我部の落日① 香宗城の戦い

土佐国・岡豊城。


少し時を遡り、3月中旬。長宗我部元親は焦燥に駆られていた。


一条家と三好家が手を組んで、長宗我部家を東西から挟撃して一気に押し潰そうと企んでいるのを察知した元親は、1月に三弟の香宗我部親泰に命じ、一条家の本拠である中村城下で宿老の土居宗珊の謀反の噂を流布させる。


そして、狙いどおりに当主の一条兼定がこれを信じ、怒りに狂って宗珊を手打ちにしようと試みたまでは良かったが、暗殺決行の夜に宗珊は"運良く"外出しており、間一髪で難を逃れるに至った。


その結果、兼定による宗珊暗殺の失敗は明るみとなり、一条家中に大きな亀裂を生む。


元々、兼定は一条家中でも家臣の信望が低い暗愚な当主であった。その兼定が土居宗珊という家中で最も信頼を得る知勇兼備の宿老を、無実の罪で殺そうとしたのだから無理もない。


たとえ当主と言えども兼定が明らかな虚偽妄言の噂に惑わされ、一時の疑心の赴くままに宗珊を手に掛けようとした軽挙は、既に低かった家中の信望をも完全に失うには十分だった。2月下旬、今度は本当に謀反を起こされた挙句、兼定は中村城で自刃する羽目となる。


一条家の家督は、最近名を挙げた三河出身の松平党が担ぎ上げた10歳の松平家康が、一条家の清姫の婿となって後を継ぐ形で、一条家は松平家に事実上乗っ取られる形となり、土居宗珊は家康の後見役として一条松平家の実権を握るに至った。


加えて、一条松平家には元・天下人の松永久秀が軍師として仕えている。その一条松平家と、東四国の雄でやはり一時は天下を握った三好家が共闘し、10万石にも満たない中土佐を治める長宗我部家を挟み撃ちにしようと言うのだ。


こうなれば、中村城下に土居宗珊の謀反の噂を流したのは状況証拠から長宗我部家の策謀であるのは誰の目にも明らかであった。元親の策謀はものの見事に裏目に出て、元親は一条松平家から「この恩知らずめ」という罵声を浴びることとなった。


この"恩知らず"の意味とは、長宗我部元親にとって一条家は父・国親の恩人であり、御家再興の恩人でもあったためである。


元親の父・国親は5歳の時に祖父・兼序を本山家に殺され、保護された土佐国司の一条家の下で養育された。そして、成人した国親は一条家の後援により本領の岡豊城に復帰し、以後は長宗我部家を中土佐の大名にまで再興させる礎を築いたのであった。


元親がその恩人である一条家に対して恩知らずとも言える策謀を弄したことは、もはや無意味どころか、むしろ暗殺未遂事件を契機として一条家中の長宗我部家に対する敵意を増幅して結束させてしまい、元親にとっては正に火に油を注ぐ結果となった。


しかし、道半ばで病に倒れた父・国親の四国統一の夢を継いだ元親は、恩知らずの誹りを受けるのも厭わなかった。下剋上の世ならば致し方なしと一条家への恩義をかなぐり捨て、四国に覇を唱えるという野望を達成するために邁進していたのである。


だが、このままでは長宗我部家よりも強大な三好家と一条松平家に東西から挟撃されるのを待つだけの絶望的な状況となり、焦った元親は間違いなく田植え後にも予想される戦の支度を進めていたのだった。




◇◇◇




現在、土佐国では3大名家が割拠しており、東土佐の安芸郡(1.7万石)には三好家が、香美郡・長岡郡・土佐郡・吾川郡の中土佐(6.8万石)には長宗我部家が、高岡郡と幡多郡の西土佐(9.6万石)は一条松平家が治めている。


戦国時代の当初は土佐守護の細川家が治めた土佐だが、1507年の細川家の内乱である「永正の錯乱」により細川家が畿内に基盤を移すと、土佐では「土佐七雄」と呼ばれる有力7国人家が割拠した。


しかし、安芸郡は安芸家を滅ぼした三好家に占領され、中土佐の長岡郡では長宗我部元親が祖父・兼序の仇を討つ形で本山家を滅ぼし、吾川郡の吉良家には次弟・親貞を、香美郡の香宗我部家には三弟・親泰を養子として送り込み、乗っ取っている。


そして、西土佐の高岡郡では、土佐国司の一条家が土佐に下向する際に援助を受けた大平家を容赦なく討ち滅ぼし、津野家は一条家に臣従して家臣として存続しており、その一条家も今では松平家に乗っ取られ、既に「土佐七雄」は崩壊しているのが現状だ。


そして、5月上旬。一条松平家と三好家は歩調を合わせ、同時に中土佐に侵攻を開始したのであった。




◇◇◇




土佐国・香宗城。


香美郡の東に接する安芸郡から三好家の軍勢5千が、香宗我部親泰が守る香宗城に向けて兵を進めていた。


香宗我部親泰は史実では元親の右腕として四国平定に尽力し、外交手腕にも非凡な才を持つ元親の三弟である。脂の乗り切った26歳の親泰は三好軍を食い止めるため、並々ならぬ闘志を燃やしていた。


そんな親泰を見て、義父の香宗我部遷仙は普段の温厚な様子からは想像できない厳かな態度で徐に口を開いた。


「弥七郎よ、お前は宮内少輔(長宗我部元親)様の元に参るのだ」


「何を仰いますか、義父上!」


親泰は尊敬する義父の突然の言葉に、目を見開いた。自分の命を助けようという義父の気持ちを慮ったとしても、到底受け入れることのできない指示であった。


「何も逃げろという訳ではない。香宗我部家は儂とお前が死ねば断絶する。この戦で万が一があってはならんのだ」


香宗我部家は「土佐七雄」の一角として香美郡を治めてきたが、安芸家との抗争で大敗した際に嫡男を失う。自家勢力の閉塞に危機感を覚えた香宗我部親秀は遷仙と号して隠居し、衰亡する香宗我部家を復興しようと長宗我部家から養子に迎え入れ、勢力を拡大する長宗我部国親と結ぼうと動いた。


しかし、それに対して自分に後を継ぐ男子がいることを理由に猛烈に反発したのが、嫡男の死後に養子に迎え入れた遷仙の弟・秀通だった。香宗我部家の次期当主の座を失うことを恐れた秀通は、クーデターにより長宗我部家との盟約を阻止しようと画策する。それを知った遷仙はさすがに放置できなくなり、秀通と郎党の暗殺を命じた。


その結果、香宗我部家には遷仙以外の血族は存在せず、親泰と妻である秀通の娘との間に男子が生まれるのを待つだけの状況になっていた。嫡男や弟を失った遷仙は、親泰まで失いたくないという心理に拍車が掛かり、血の繋がりがなくとも優秀で香宗我部家の将来を背負うに足る存在である親泰を、遷仙は心の底から寵愛していたのである。


そして、僅か2万7千石の所領しかない香宗我部家では、香美郡全土から兵を集めたとしても7百が限界だった。7倍の三好軍を相手に籠城するのはあまりに無謀であった。


「義父上、お言葉ですが、某は死ぬつもりなどございませぬ!」


親泰はそれでも食い下がる。元親の弟として敵を目前にして退くことなど、自分が許せなかったのだ。


「儂もお主が死ぬとは思うてはおらぬ。だがな、戦には何があるか分からぬのだ。お主は宮内少輔様を支え、四国に覇を唱えると、あれほど申していたであろう。万が一ここで死ねば、それは叶わぬのだぞ」


「ぐっ……」


親泰は声を詰まらせ、遷仙の目を見据えることができなかった。遷仙が修羅の覇気と菩薩の慈愛を掛け合わせたような有無を言わせない空気を纏っていたからだ。


「分かってくれ、弥七郎。儂はお主を失いたくはないのだ」


「……分かり申した、義父上。必ずや勝って、共に長宗我部を支えましょうぞ」


「うむ」


遷仙は力強く頷いた。


翌朝、親泰は妻と共に香宗城を発った。


香宗城は7倍の三好軍に対して半月もの間、堅守を見せるも最後はあえなく落城に至った。こうして香美郡を制圧した三好軍は、西の長岡郡へ兵を進めたのだった。

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