小田原征伐⑧ 北条家の残光

北条氏康は抗戦か降伏かで激論する家臣たちの様子を冷静な目で眺めていた。


ご意見番の北条幻庵は氏康の心境を察し、「やれやれ」と口の中で呟くと、70歳を過ぎた老人とは思えない厳然とした怒声を発する。


「えぇぃ、静かにせぬか! 確かに打って出れば織田に痛い目を見せられ、我らも少しは留飲を下げられよう。して、我らは領民兵を大勢死なせた挙句、最後に織田に降伏する腹づもりか? その時は北条家の存続は認められぬぞ? 無論、ここにおる皆も全員打首じゃ。覚悟はできておろうの?」


「「「ぐっ、……」」」


幻庵の冷徹な脅迫の言葉に、大広間がしんと静まり返ると、氏康が幻庵に頭を下げる。


「幻庵翁、済まぬな。……皆の考えは良く分かった。今夜一晩、儂と左京大夫でじっくり考える故、明日再び評定を開いて結論を申し伝える。今日の評定はここまでとする」


こうして、緊急の評定は散会となった。



◇◇◇




その夜の戌の刻(夜8時)、本丸奥の居室に氏康と氏政、そして幻庵の3人が車座となった。北条家の最高意思決定機関とも言える3人の会合である。


「……実はな。朝、城内に南蛮船の砲撃を受けた直後、儂は幻を見たのじゃ。小田原の町が炎に焼かれ、大勢の領民たちが逃げ惑い、家に押し潰される光景をな。もし二の丸や三の丸を襲った砲弾が城下の町を襲ってみよ。幻は現実のものとなるであろう」


「「はぁ……」」


瞑目していた氏康が心中を告白すると、氏政と幻庵は深い溜息を吐いて無言で頷く。


「そうなれば、たとえ我らが織田に勝ったとしても、領民たちが大勢死んでしまっては、儂は御祖父様(北条早雲)や父上(北条氏綱)に面目が立たぬ」


「確かに、それでは拙僧も冥土で父上や兄上に会わせる顔がないのう」


「父上。無念にございまする」


もはや戦意を失っていた氏康が淡々と言葉を紡ぐと、幻庵と氏政が苦渋の声を絞り出す。


「ですが、御本城様、左京大夫様。織田に降伏を申し出たとして、北条家の存続を認められるためには、御二人には……」


幻庵は影を帯びた表情で歯切れ悪く告げる。


「元より覚悟はできておる。家臣と領民の命を助けるためじゃ。我らの命で済むのであれば安いものじゃ。左京大夫も良いな?」


「はい。北条家の当主となった時に覚悟はできておりまする」


氏康と氏政は疾うの昔に命を捨てる覚悟はできていた。


「……左様か。この拙僧も冥土に同道いたす覚悟じゃが、まずは降伏の使者として拙僧が明日出向くといたそう」


「うむ。だが、国王丸(史実の北条氏直)はまだ7歳、国増丸(史実の太田源五郎)と菊王丸(史実の太田氏房)に至っては5歳と4歳だ。故に幻庵翁は追腹などせず、国王丸を後見し、北条家の行く末を見守ってもらいたい。どうか頼む」


氏政には3人の幼い男子がおり、その後見役を幻庵に頼んだ。


「生き恥を晒すことになるが、已むを得ぬの。じゃが、北条家の次代の当主が国王丸殿とは限りませぬぞ?」


「ん?」


「……幻庵翁。助五郎(北条氏規)か?」


幻庵の謎掛けに氏政が首を捻ると、氏康が四男の名前を口にした。


「左様。おそらく織田尾張守が助五郎殿を捕虜とした理由はそれでござろう」


「助五郎ならば安心して北条家を託すことができよう」


「うむ。これで後顧の憂いはないな」


2人は智謀と武勇に優れた氏規を可愛がっており、織田軍の捕虜となったと聞いて大変心配していた。だが、氏規が次の当主ならば何の心配も要らないと笑みを浮かべた。


「では、幻庵翁。明朝早くに織田の本陣へ出向いてくれぬか? 降伏条件を聞いた後に評定を開き、家臣たちに伝えるとしよう」


「確かにそれが宜しいかと存じますな」


こうして3人による合議の結果、北条家の降伏が決まった。



◇◇◇



相模国・小田原。


翌4月22日の早朝。幻庵は降伏の使者として織田軍の本陣に出向いた。


「拙僧は北条幻庵宗哲と申しまする」


「織田尾張守信長だ。……では、北条家の返答を聞かせてもらおう」


信長は鋭い眼光を湛えて、幻庵に返答を促した。


「……北条家は織田家に降伏し、小田原城は開城いたしまする。何卒、尾張守様のご温情を賜りたくお願いいたしまする」


「であるか。ならば降伏を認める条件を伝える。吉兵衛、読み上げよ」


「はっ。では、読み上げまする。……『一、北条左京大夫および北条相模守の切腹を条件として、北条一門および家臣を助命する。一、北条家の次の当主を北条助五郎とし、北条家の存続と臣従を認める。一、相模国、伊豆国、武蔵国、上総国にある北条家の領地を全て召し上げる。一、北条家には甲斐国山梨郡および八代郡の2郡への国替えを命ずる。一、ただし、小田原城の開城後も降伏せぬ者は一切助命は能わぬ』……以上にございまする」


信長に代わって、村井貞勝が降伏条件の記された書面を朗々と読み上げる。


「……山梨郡と八代郡、およそ12万石でございますな。北条家の存続を認めていただいた上に、過分なご配慮をいただき、誠にかたじけなく存じまする」


「であるか。では、城に戻って伝えるが良い」


「はっ。では、失礼いたしまする」


そう言うと幻庵は小田原城に戻って行った。




◇◇◇




小田原城では評定を開かれ、北条家は織田家が提示した降伏条件を受諾した。


翌4月23日の朝、氏康と氏政は切腹し、小田原城は開城して北条家は降伏臣従した。しかし、北条家中は必ずしも全てが降伏に賛成した訳ではなかった。武闘派の大道寺政繁や清水康英など、北条家に代々仕えてきた重臣の多くが開城後に小田原城を脱出し、玉縄城の北条綱成や鉢形城の藤田氏邦らと共に、東相模や武蔵で織田家に徹底抗戦する構えを見せたのである。


その後、竹中家は約束どおり援軍の対価として西甲斐の巨摩郡10万石を織田家から譲渡された。


(やはり南蛮船の大砲の威力は凄まじい。小田原城が海から離れた城であれば、竹中家との6万の兵では落とせなんだろう)


だが、信長は難攻不落の小田原城を落とした最大の勝因が、寺倉家の南蛮船による艦砲射撃であることを認めていた。長兄としての矜持から正吉郎が要求した西伊豆の土肥と伊豆諸島、その南の海域という対価だけでは少なすぎると、考えを巡らせていた。


(それに、正吉郎は武田信玄を討ち取り、長島で市江島を譲られた借りも返せてはおらぬ。この程度の対価では全く釣り合わぬ。ならば……)




◇◇◇




近江国・統驎城。


「そうか。小田原城が落ちたか」


4月30日。織田家の使者が訪れ、俺は信長からの書状を受け取った。


実は既に順蔵からの報告で3日前に知っていたが、味方の"六雄"にも素破を送っているのが知られると、信頼関係を損ねる恐れがあるため、俺はわざと初めて知ったかのように振舞った。


北条家は北条氏規が当主となり、甲斐国の2郡で存続が認められた。今川彦五郎(氏真)に伝えたら喜ぶだろうな。


信長が北条家に山梨郡と八代郡の12万石も大盤振る舞いしたのは、おそらく厄介な地方病の存在を知って、触らぬ神に祟りなしと難治の土地を敬遠したのだ。確か日本住血吸虫症が根絶されたのは昭和の時代だから、この時代では原因不明の死病の扱いなのだろう。


半兵衛に湯之奥金山のある巨摩郡10万石を譲ったのも同じ理由で下駄を預けたのだろう。織田家に残った都留郡だけは地方病は発症していないから少しえげつないが、腹心の村井貞勝の入れ知恵かもな。だが、甲斐の領民にとっては善政で評判の両家に治められて良かったんじゃないかな。


これで、寺倉家も西伊豆の土肥と伊豆諸島、その南部の海域を得られた。書状を更に読み進める。「遠江の相良油田の採掘権の半分の譲渡」を追加するだと?如何いう意図だ?


成る程、信長はプライドが高いから、長兄として弟に借りを作りたくなかった。故に俺が喜びそうな対価を考えたのだろう。確かに相良油田の採掘権ならば俺としても大満足だ。お礼の手紙を送るとしよう。


そうだ。折角だから天照大神のお告げだと言って、地方病の対処方法を教えてあげよう。地方病は川や水田の泥にいる小さな巻貝の寄生虫の幼虫が人間の皮膚から体内に侵入して発症する。


したがって、貝の駆除と同時に、水田を畑作や果樹園に転換し、甲斐に自生する葡萄で葡萄酒を作ったり、桑を植えて養蚕をして絹を作るように勧めるとしよう。北条家や半兵衛ならきっと上手く対処するだろう。


さて、俺の方も夏にはいよいよ四国征伐の開始だ。まずは淡路へ出陣だな。

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