小田原征伐⑥ 小田原評定

相模国・小田原城。


4月19日の昼過ぎ、小田原城の本丸の大広間には北条家一門衆や重臣たちが集まり、評定が開かれていた。


「ふん。半年を過ぎても未だ諦めぬとは、織田も意外としぶといの」


「だが、10万の上杉でも落とせなんだ小田原城が、3万の織田に落とせるはずもあるまい。はっはっは」


北条家の「三家老衆」の家柄である重臣の松田憲秀と大道寺政繁が、小田原城を包囲するだけの織田軍を揶揄して笑い声を上げると、「三家老衆」のもう一家の遠山政景が異を唱える。


「ですが、滝山城ではひと月前から竹中軍3万が包囲しております。……源三様に援軍が必要かと存じまする」


「父上、如何されますか?」


上座で腕を組んだ北条家第4代当主の北条氏政は遠山政景の発言を受けて、上座の隣に向けた氏政の視線の先には、地蔵のように目を瞑って沈黙を貫く先代当主の父・北条氏康の姿があった。


9年前に「永禄の飢饉」の責任を取って嫡男の氏政に家督を譲って隠居してからも、氏康は北条家の実質的当主として内政や外交、軍事の多岐に渡って精力的に活動していた。


しかし、3年程前からは氏政の当主としての力量に成長が見られたことや、関東における北条家の勢威が最大規模に強くなっていたこともあり、氏康は相模守に退いて氏政に左京大夫の官位を移譲し、氏政への権力移譲を進め、静かに隠居生活を過ごす日が多くなっていた。


だが、そんな平穏な日々は終わりを告げる。織田家が武田家を打ち破り、今川家との盟約を破ってまで手に入れた河東の地に攻め寄せてからは、御家存亡の危機を氏政に任せておく訳には行かないと判断した。氏康は54歳にして再び実権を取り戻して発言力を伸ばし、当主の氏政を凌ぐ「御本城様」と呼ばれる地位に返り咲いている。


その氏康は何か思考を巡らせたまま黙考しており、氏政や重臣たちもじっと氏康を見つめながら、口を開くのを待つばかりであった。


「……滝山城の戦況はどうなっておる?」


氏康はやがて濁った太い声を響かせると、氏政は即座に反応する。


「最近は風魔の報告が途絶えており、詳しくは存じませぬが、芳しくない模様にございます。源三も出来うる限りの抵抗を見せてはおりますが、いくら堅城とは言え、何時まで耐えられるかは分かりませぬ」


3月上旬に小田原郊外の織田軍に合流した竹中軍は、2日後に小田原を発つと西武蔵に向かい、滝山城を包囲した。滝山城を守る大石氏照は連日の竹中軍の猛攻に晒されながらも、良く凌いでいるとの報せであったが、今月に入ってから何故か風魔の情報が途絶えていた。


滝山城主の大石氏照は氏康の三男であり、武蔵守護代の家柄である大石家に婿養子として送り込まれていた。27歳ながら北関東と南関東の取次役を務める氏照は、北条家の外交・軍事において重要な役割を担っていた。


戦においては勇猛果敢で先陣に立って敵に槍で突っ込むような激しい気性を持つ一方で、氏照は人の心の機微に敏感で、優れた外交手腕を見せるなど繊細な部分も兼ね備え、実父の氏康も将来を嘱望していたのだ。


その氏照が窮地に追い込まれながらも、織田軍に包囲された小田原城からは滝山城に援軍を送れない苦境にいた。すると突然、廊下をドタドタと軋ませ、忙しなく駆け込むような足音が響いてくる。


「申し上げます! 4月14日夜、滝山城が竹中軍により落とされ、大石源三様が自刃されたとの由にございまする!」


「「「な、何だと!」」」


「「源三が、死んだだと!!」」


まるで申し合わせたかのようなタイミングで伝令兵の口から滝山城落城と大石氏照の死という衝撃的な一報がもたらされると、氏康や氏政はもちろんのこと、重臣たちも驚きに包まれた。やがて大広間は大石氏照の死を悼んで沈痛な空気に変容していった。


「ここは弔い合戦しかあるまい」


「「そうだ!」」


「愚か者! 源三殿の父上と兄上が堪えておるのだぞ! 軽はずみな言葉は慎まんか!」


末席の血気に逸る若手家臣に、武闘派の家臣たちが賛意を示して騒然とした雰囲気になると、そこへ下座の最前列から厳然とした声を響かせたのは、初代・北条早雲の末子で北条家四代に仕え、北条家の守り神とも言われる76歳の北条幻庵宗哲であった。


「相模守様、落ちぬ滝は無いとはよく言ったものだが、誠に惜しい若者を亡くしたの。……だが、14日の夜に滝山城が落とされ、小田原城まで伝わるのが5日後の今日とは、いささか遅くはあるまいか?」


「確かに幻庵翁の申すとおりじゃ。風魔は如何しておったのだ? 出羽守は何処だ?」


氏康が重臣たちに問い質すと、誰もが首を左右に振る。それを見た幻庵が呟いた。


「くっ、織田にしてやられたか。……相模守様、おそらく風魔は寝返ったのじゃろうて」


「何と! 長い間、禄を与えてやった恩を忘れたと申すか」


「くっ、やはり所詮は下賤な山賊風情であったか!」


幻庵の直感からの推測に、風魔の寝返りは間違いないと確信した氏康と氏政は風魔党を罵る言葉を発した。だが、そんな北条家中の差別意識が風魔党の離反の原因であったとは、誰一人として気づいてはいなかった。


やがて、31歳で最も気力体力の充実した年齢を迎えた氏政は割り切った表情ながらも、どこか猛々しさを残すギラギラとした目つきで呟いた。


「父上。巷では上杉も動くとの噂が広まっております。今月中にも小田原に援軍に来ると。それが真であれば、織田、竹中と合わせて10万の兵になりますぞ」


「ふっ、10万が何だ。7年前、我らはこの小田原城で10万の上杉軍をも退けたではないか。それに、上杉が動いたなどという証は何処にもない。おそらく上杉の援軍は織田が流した偽の噂であろう。左京大夫よ、何も案ずることはない」


しかし、強気な言葉を返すものの、氏康にとって10万という数字はトラウマに近いものだった。7年前の関東の諸勢力を巻き込んだ上杉軍の関東侵攻によって、氏康は一時は本拠の小田原城と伊豆を残すまでに追い詰められたためであった。


上杉軍が退却した以降も、勢力を回復させた北条家は、武蔵や上野で上杉家と小競り合いを繰り返し、上杉軍の援軍が事実であれば、織田・竹中との連合軍により今度こそ小田原城も危ないかもしれないと、北条家の家臣たちは内心で恐れていたのである。


それに加えて、上杉の関東侵攻のあった7年前は状況が全く違う。当時は今川家が勢力を大きく後退させていたとは言え、依然として「甲相駿三国同盟」は健在であったのだ。


上杉政虎は三国同盟により北条家の同盟国だった武田家に背後を牽制される形となり、武田家に川中島に海津城の築城を許してしまうなど、常に背後を気にする状況を強いられたのである。


しかし、今回は三国同盟の同盟者だった武田家も今川家も存在しない。上杉家は背後を"六雄"という盤石な勢力を誇る大大名で固めている。背後が安全ということは即ち、全力を以って小田原城を攻められるため、長期戦も必至な状況であった。


「ですが、父上。風魔が寝返ったとなると物見も送れず、上杉軍が来ても事前に掴むこともできませぬぞ」


「風魔の離反は籠城する我らにとっては、目と耳を奪われたも同然じゃ。だが、もう一つ腑に落ちないのは、正月に織田から降伏勧告の使者が来て以来、4ヶ月も何の音沙汰のないことじゃ。その間に風魔を寝返らせる工作をしておったのであろうが、それだけとも思えぬ。他にも何か企んでおるのではないかの?」


「確かに幻庵翁の申すとおりじゃ。だが、幻庵翁に分からぬのならば、我らに分かるはずもなかろう。今日は源三を弔うため喪に服す。評定はこれまでとし、続きは後日としよう。皆の者も良いな」


「「「ははっ」」」


こうして、北条家の評定は終了した。

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