小田原征伐② 城攻めの上策

(斯様な策を授けてくれる半兵衛のような軍師がやはり俺には必要だな。良く探せば軍師となり得る人材はいると、正吉郎は申しておったが、……家中で機転が利く者は猿くらいか。だが、猿は農民の出である故、軍師が務まるほど戦術を理解しておるとは思えぬ)


「なるほど。だが、生半可な城では北条に畏怖など到底与えられぬぞ。猿っ!」


「ははっ、ここに」


「猿、竹中殿が申した城を笠懸山に築けるか?」


信長は迷うことなく笠懸山築城の責任者に木下藤吉郎を指名した。


「無論にございまする!」


また功を挙げる機会だとほくそ笑むような表情で、藤吉郎は返事をする。


藤吉郎は長島一向一揆の一夜城建設で一揆鎮圧に大きく貢献し、三河一向一揆における隠密作戦でも別働隊の大将として指揮を振るい、大きな戦功を挙げた。立て続けの殊勲甲により織田家中における藤吉郎の序列は一気に大躍進し、柴田勝家や丹羽長秀、滝川一益と並んで「織田四天王」と呼ばれる序列第4位の重臣の地位を確立するまでに至っている。


一方、織田家中の大半の重臣たちは藤吉郎を農民からの成り上がり者と蔑み、藤吉郎の出世を心中では苦々しく思いながらも、その功績は誰もが認ざるを得ないところであったため、表向きは藤吉郎の待遇に異を唱えることなど誰一人もできなかった。


だが、今回の笠懸山築城は長島一向一揆の際に築いた一夜城とは目的と規模が全く異なる。長島の一夜城は輪中に上陸するための橋頭保が目的のプレハブ造りの砦であったが、今回は外見的に小さな脆そうな城では北条を畏怖させることができず、築城が無駄になってしまう。


「此度は長島の時のような小さな砦ではないぞ。如何する?」


信長は鋭い視線で藤吉郎を射抜く。


「はっ、北条を驚かすような大きな城を築く必要がございますれば、食い扶持のない貧しき民を銭と飯で大勢雇い、昼夜を分けずに城を築かせる算段にございまする」


藤吉郎は少し思案に耽った後、自信満々に顔を上げて告げる。


「何日だ?」


信長は悠長に時間を掛けるつもりはなかった。既に5ヶ月以上も包囲しているのだ。今年の夏に武蔵に侵攻するためには、これ以上ここで無駄な時間を割く訳には行かない。


「はっ、2ヶ月で築きまする」


「遅い! 1ヶ月半だ。上杉軍が来ぬと北条に知られる前に築かねばならぬ。4月20日までに巨大な城を築き上げろ!」


上杉家が援軍を送る噂が真実であれば、豪雪地帯の越後や奥羽から兵を送るとしても、遅くても4月中には到着するはずである。それを過ぎれば10万の兵は嘘だと北条に露見してしまい、忽ち北条の将兵の士気が上がってしまう。


「ははっ、承知いたしました」


信長のパワハラとも言える無理難題な注文に対して、さすがの藤吉郎も内心では「厳しい」と感じつつも、決して「無理だ」とは言わなかった。藤吉郎は清洲城の城壁を割り普請で補修したのを皮切りとして、築城の速さには定評があったからだ。


それに加えて、大きな城の築城とは言っても今回は北条に戦意を喪失させるために築く城であり、籠城するための耐久性は必要なく、要するにハリボテでも構わないのである。だが、たとえハリボテでも山上に大きな城を短期間で築くのが非常に困難であるのは間違いなかった。


すると、半兵衛が信長に進言する。


「三郎殿。たとえ笠懸山に城を築いて北条の将兵の心を挫いたとしても、それで北条が降伏するくらいならば、疾うの昔に小田原城は落ちているはずにございます。北条の戦意を喪失させるには、徹底的に将兵の心を攻めるべきにございまする」


「であるか。……ならば、やはり武の力を見せるしかあるまい」


「左様にございます。笠懸山に城が完成する時期に合わせて、我ら竹中軍は西武蔵の滝山城を攻め落としましょう。滝山城は北条にとって武蔵最大の拠点でございます故、ここを落とせば大きな痛手となるはずと存じまする」


滝山城は上杉軍の侵攻を阻止するため、多摩川と秋川の結節点にある加住丘陵に築かれたばかりの天然の要塞である。そして、城主には北条氏康の三男で大石家の養子に入った大石氏照が守る関東随一の規模を誇る堅城であった。


「それはありがたい。では半兵衛、頼んだぞ。……だが、小田原城にも何らかの打撃を与える必要があるな」


「では、正吉郎に寺倉水軍の助力を頼んでは如何でしょうか?」


寺倉水軍の力を借りるというのは、海沿いにある小田原城に南蛮船で相模湾から大砲を撃ち込み、北条家に海と陸の両方から小田原城を包囲されていると心理的重圧を掛ける作戦である。


南蛮船の艦砲射撃は僅かに小田原城の本丸には届かないものの、二の丸にまで物理的な被害が出れば、北条家も畏れ慄くに違いないと踏んだのであった。


「であるか。……再び正吉郎の力を借りるのは長兄として口惜しいが、徹底的に北条の将兵の心を砕くためならば已むを得まい。吉兵衛、寺倉家に水軍を派遣するよう文を書く故、すぐに使者を送れ」


「はっ、承知いたしました」


信長は静かに息を吐きつつ、村井貞勝にそう命じた。




◇◇◇




紀伊国・金剛峯寺。


高野山が降伏し、紀州征伐が決着したばかりの3月8日の夕暮れ時、織田家の使者が織田信長からの書状を持って訪ねてきた。


やはり信長から援軍要請が来たか。武田信玄との「焼津の戦い」で俺に信玄を討ち取ってもらった負い目があるから、信長の本音としてはできることなら家臣の手前、再び俺の力を借りたくはなかっただろうな。


とはいえ、小田原城を包囲して5ヶ月以上経過しており、これ以上長引けば今後の関東制圧で敵対勢力に侮られて支障を来たすことになるのは想像に難くない。したがって、信長の立場としては一日でも早く小田原城を落とす必要があり、背に腹は代えられないのだろう。


それに、半兵衛の援軍と合わせて6万の兵となったとは言っても、10万の上杉軍を撃退した実績のある小田原城だ。やはり艦砲射撃で小田原城を直接攻撃すれば北条氏康の心を砕けるだろうしな。こちらとしても兵を損耗する陸上兵力ではなく、南蛮船の艦砲射撃だけならば兵の損害は皆無で済むだろうからありがたい。


そうなると、援軍の対価は何を要求しようか。たとえ義兄弟でも無償の援軍は織田家を見下していることを意味し、義兄の信長に対する侮辱となるのであり得ない。とは言っても、西尾張を貰えば津島湊が含まれるので無理だな。そうなると必然的に海沿いの飛び地になる。


では、まだ金山が発見されていない西伊豆の土肥を要求するとしよう。佐渡金山を発見した安曇真蔵に命じれば、すぐに金山を見つけるだろう。整備すれば蝦夷との交易の寄港地としても使えそうな漁港もあるしな。


だが、援軍の対価が小さな漁村の土肥だけだと、却って信長に不審に思われるかもしれない。ならば、伊豆諸島とその南部の海域を加えよう。南部の海域とはもちろん小笠原諸島を指している。


小笠原諸島は史実では江戸時代に発見されるので、今は未発見で無人島のはずだ。小笠原諸島を手に入れれば、南のグアムやサイパンのあるマリアナ諸島を狙えるし、さらにハワイ諸島も視野に入ってくる。いずれルソンのスペイン艦隊を攻める上でも重要な拠点となるに違いない。


信長もまさか土肥に金山が眠っているとか、伊豆諸島の遙か南に小笠原諸島があるとは知るはずもないから、この程度の要求ならば二つ返事で快諾するだろう。よし、これらの条件を提示の上、援軍派遣に応じる手紙を返すとしよう。

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