鳴動する大山の慟哭と葬送
小田原征伐① 竹中家の援軍
相模国・小田原。
時は少し遡り、永禄11年(1568年)2月上旬。昨年9月に伊豆国を平定した後、3万の軍勢で小田原城を包囲した織田軍だったが、小田原城の想像以上の堅牢さに戦況は停滞していた。
「おい! いつまで待てば小田原城は落ちるのだ!」
小田原城は総構えが全長9kmにも及ぶ難攻不落の名城であり、上杉家の関東侵攻における10万の兵を以ってしても落ちなかった堅城である。織田信長もそれは十分に承知の上ではあったが、織田家独力での小田原城攻略に拘った結果、信長は鬱憤を募らせていた。
(……そう言えば以前、正吉郎が申しておったな)
フラストレーションが溜まって、配下の重臣たちに当り散らしていた信長だったが、ふと一昨年の暮れに長島一向一揆を征伐した後の祝勝会で、義弟の寺倉正吉郎と交わした会話を思い出した。
◇◇◇
「正吉郎。もし貴様が織田家と敵対していたとして我が尾張を攻めるならば、如何ように攻めるか?」
「え? 三郎殿。私が尾張国を攻める場合など、あり得ませぬぞ?」
正吉郎は身に覚えのない隔意を追及され、困惑した表情で述べる。
「分かっておる。仮の話だ。浅慮なく申してみよ」
「左様なことなど考えたこともありませなんだが、……尾張は石高が高く、動員できる兵が多い国でございます故、やはり兵糧攻めを狙うでしょう。具体的には寺倉水軍の船で海から上陸し、まずは津島湊と熱田湊を制圧し、海からの物資の補給を止めます。その後で大垣と岐阜との街道も封鎖します」
「だが、それでもまだ東海道を使って三河から補給できるぞ?」
「左様。ですが、清洲城は平城でさほど堅い城ではございませぬ故、南北西から包囲して徐々に圧迫し、戦況がある程度不利になれば、東の三河に退却せざるを得なくなるかと存じます。ところが、東海道まで封鎖すると退路が断たれてしまい、最後の一兵まで死兵となって戦うことになり、我らも損害が大きくなり、得策ではございませぬ」
「なるほど。わざと退路を開けておいて、退却を促すという訳か。……さすがは我が義弟だな。織田家にも貴様のような知恵者がおればいいのだが、生憎と武辺者ばかり故、俺が戦術を考えねばならぬ。くっ、先が思いやられるわ」
「三郎殿。良く探せば織田家中にも軍師となり得る人材がいるはずかと存じまする」
正吉郎は柔和な笑みを浮かべ、諭すように告げた。
◇◇◇
正吉郎との会話から何かを捻り出そうと、信長は脳の回転を加速させる。
(……だが、小田原城は清洲城とは違う。小田原城の包囲を少しでも開ければ兵糧を運び込まれ、兵糧攻めの意味が無い。それでも小田原城には1万5千の兵が詰めておるのに、一向に兵糧が尽きる気配も見せぬ。海から補給しているのは間違いなかろうな。……やはり九鬼水軍だけでは力が足りぬか)
正吉郎の尾張攻めと小田原城攻めとの違いに溜息を吐くと、信長は懐から一通の手紙を取り出した。それは昨年末に正吉郎から届いた手紙であり、それには竹中家に援軍を要請し、半兵衛の知略に頼るべきだという助言が書かれてあった。
(……もはや竹中家に助力を求めるしかあるまい)
「誰かある! 紙と筆を持って参れ」
小田原城を包囲してから4ヶ月が経過しても一向に進展しない城攻めへの焦燥感と精神的疲労から、信長は現状の織田家の独力では小田原城を攻め落とすことは不可能だと判断した。そして、下手なプライドを捨てて、遂に竹中家への援軍要請を決断したのである。
◇◇◇
信濃国・深志城。
竹中半兵衛は今年から居城を岐阜城から南信濃にある深志城に移していた。領地が美濃から上野まで東西に長く伸びてしまったため、中間地点にある深志城を居城にするのは極めて合理的な判断であった。
2月10日。その半兵衛の元を織田家の使者が訪ね、半兵衛は織田信長からの書状を受け取った。
(ふむ。昨年末の正吉郎の文に書いてあったとおり援軍の要請だな。小田原城は織田家の3万の包囲では落とせぬ故、私の知謀の助力が必要だと正吉郎は申しておったが、ここは"六雄"の結束を高める上でも援軍を送らねばなるまい)
「久作。私は織田殿の要請に応じて小田原城へ向かう。お主には深志城と領内の守りを任せる故、頼んだぞ」
「はい、兄上。承知いたしました」
弟の竹中重矩に留守居役を命じると、半兵衛はすぐに信長への手紙を書いた。まず小田原に上杉家と竹中家から総勢7万の援軍が向かっているという噂を小田原城の城下に流布するように信長に進言した。
さらに、信長からの援軍要請に応じる対価として、半兵衛は西甲斐の巨摩郡10万石を要求した。巨摩郡は東信濃の佐久郡を繋ぐ佐久甲州街道を有しており、竹中家にとっては石高以上に喉から手が出るほど欲しい土地であった。
そして、2月下旬。半兵衛は僅か半月で援軍の準備を整えると、すぐさま兵を率いて深志城を出陣した。その数3万。竹中家は上杉家の伊達家征伐への援軍の対価として、50万石に匹敵しようかという石高を誇る上野国を譲渡されて、150万石近い領地を有するに至っていた。3万の兵数は竹中家の動員兵力の8割に及ぶ戦力であった。
◇◇◇
相模国・小田原。
「半兵衛。『統驎城の会盟』以来3年ぶりだな。よくぞ援軍に応じてくれた。礼を申すぞ」
3月3日。竹中軍3万が小田原近郊に到着し、これにより北条征伐軍は6万に達していた。
「三郎殿。お久しゅうございます。我らは義兄弟の契りを交わした間柄。兄者の苦難に弟が助けに馳せ参じるのは当然にございます」
「であるか。早速だが、文に書かれてあった援軍の噂はすぐに流したが、俺は上杉家には援軍を求めてはおらぬぞ? あれは如何なる目算であったのか?」
「噂だけならば単なる出鱈目だと思われるでしょうが、こうして竹中家の援軍が到着すれば、噂は真実だと信じられ、春には上杉家の援軍も到着するだろうと北条家は考えるでしょう。北条にはかつて10万の上杉軍に包囲された記憶が鮮明に残っており、その再現を恐れているはずにございます。此度は実際には上杉家の援軍が来ずとも、北条は幻の10万の兵の圧力に恐れ慄いて、戦況は好転するはずにございます」
「何と! 上杉家4万の幻を信じさせるのか!」
来るはずのない上杉軍4万の援軍を北条に信じさせる、という半兵衛の策略に信長は震撼した。
「三郎殿。城攻めとは、何も城門や城壁を力攻めするだけではございませぬ」
「ああ、故に兵糧攻めをしておる。だが、調略は北条には効かぬぞ?」
「籠城する将兵の心を攻めるのです。仲間の兵が死んでいく。援軍が来ない。兵糧が減る。そうした中で籠城する城兵たちの心を挫くことこそ、城攻めの極意にございまする」
(正吉郎の申した策の真意はこれであったか! 清洲城の兵を三河に退却させるという尾張攻めも、やはり城兵の心を攻める策であったな)
「では半兵衛。如何にして小田原城の将兵の心を攻め、心を挫くのだ?」
「先ほどの幻の10万の兵の噂もその一つですが、さらに小田原城に籠る北条の兵を畏怖させるため、小田原城に近いあの笠懸山に突然、城を築き上げるのが宜しいかと存じまする」
そう言うと、半兵衛は小田原城の西にある笠懸山を指差した。
「ほう、悪くはない策だが、城を1日や2日で築くのは無理だ。何より北条も兵を出して築城は許さぬはずだ」
「確かに北条も築城に気づけば兵を出すでしょう。故に、小田原城からは木に隠れて姿が見えないように笠懸山の山頂に城を築き、完成した後に山頂の木を一気に切り倒して、一夜にして城を築いたように見せ掛けるのでございます。長島一向一揆での正吉郎の一夜城を応用した策にございますが、如何でしょうか?」
笠懸山は小田原城のすぐ西に位置する山である。史実の豊臣秀吉の小田原征伐でも、ここに石垣山城が築かれている。半兵衛の提案は、正に史実の「石垣山一夜城」の策そのものであった。
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