郡山騒動③ 謀神の最期

安芸国・吉田郡山城。


吉田郡山城の本丸の奥にある離れの書院で、食事を運んでくる家臣以外とは誰とも話すことなく引き籠っていた毛利輝元は、二宮就辰が正式に次期当主に決定されてから20日後の3月下旬の朝、翌日に自分が当主の座を剥奪されることを知ることとなった。


(あれほど優しかった御祖父様が、そこまで私のことを嫌いになられたのか! 一体、私のどこが悪かったというのか!)


これまで元就から溺愛され、甘やかされて育った輝元は、年が明けてからの突然の元就の態度の変化に精神を蝕まれ、気鬱の病に罹っていた。しかし、当主の地位の剥奪という屈辱まで突きつけられたことにより、これまで何とかギリギリで踏み止まっていた輝元の精神はついに崩壊してしまう。


(私は毛利家の当主に相応しくないほど無能だというのか? 毛利家から追放され、寺に入れられねばならないほどの不始末など、一度もした覚えもないと言うに!)


輝元は次期当主が二宮就辰改め毛利就辰であることや、就辰が元就の隠し子であることを知らされていなかった。それは、輝元が就辰に恨みを持つのを避けようとした元就の考えによるものであった。


(次期当主は一体誰なのだ? 私に弟はおらぬ故、叔父上たちの誰かであろう。少輔次郎(吉川元春)叔父上や又四郎(小早川隆景)叔父上であろうか? だが、吉川家の嫡男(吉川元長)は21歳だが、小早川家には嫡男はいない。少輔次郎叔父上ならば、私よりも当主に相応しいのは明らか故、仕方あるまいな)


吉川元春が次期当主になるのだろうと考えて、一旦は納得した輝元だったが、その日の夕食を運んできた家臣に、吉川元春が毛利家に復姓するのかと訊ねると、家臣が怪訝な表情をするのを見た輝元は、次期当主は吉川元春ではないと察した。


(次期当主は少輔次郎叔父上ではないのか? そうなれば年の順から言っても、次期当主は少輔四郎(毛利元清)叔父上に違いない。叔父上とは言え、私と2歳しか違わず、烏帽子親は私だというのに!)


元清は当主の輝元が烏帽子親となって加冠され、"元"の字の偏諱を授かって元服していた。常日頃から近くに控える一門衆だったが、正室の子である毛利隆元と両川の3人が元就から寵愛されたのに対して、元清ら側室の子たちは元就から「虫けらなるような子どもたち」と形容され、輝元の目から見ても元清が元就から愛されていたとは言い難かった。


(少輔四郎叔父上が御祖父様から自分に代わって毛利家の次期当主に指名された。御祖父様から最も寵愛を受けていた自分を少輔四郎叔父上が嫉妬から逆恨みし、御祖父様を誑かして自分を追放しようとしたに違いない)


猜疑心に染まった輝元が、元清こそが自分の当主剥奪の元凶だと邪推してしまうのは無理からぬことであった。


(それならば合点が行く。御祖父様が私に急に冷たくなったのは、おそらく少輔四郎叔父上の仕業に違いない! おのれ、少輔四郎め!)


こうして輝元の恨みの矛先は毛利元清に向けられた。被害妄想から自分の当主の地位が元清に横取りされたと思い込んだ輝元は、毛利家が震撼する暴挙を巻き起こすことになる。


◇◇◇


翌日の昼下がり、庭には山桜の花が咲き、早春の麗らかな陽気に包まれた吉田郡山城の大広間で家督継承の儀が執り行われた後、新当主となった毛利就辰に毛利元就、吉川元春、小早川隆景や毛利元清といった毛利家の重鎮が一室に集まり、今後の毛利家の戦略・方針について話し合っていた時に、それは起こった。


「少輔四郎、覚悟いたせーぃ!!」


血走って真っ赤な目をした毛利輝元が乱入すると、刀を握ったまま一心不乱に突進してきたのである。


「な、何?!」


部屋の外に控えていた護衛も、前当主である輝元の登場に疑問を抱くこともなく、部屋に通してしまったため、予期せぬ大事件が起こってしまう。


だが、突然の輝元の突進にいち早く反応したのは、意外にも年老いた元就であった。


「幸鶴丸、何をしておるのだ! たとえ心を病んだとは言えども、このような狼藉は決して許されぬぞ!」


そんな元就の叱責の言葉が正気を失った今の輝元の耳に届くことはなく、元清の胸に刃を突き刺そうと、輝元は刀を握った両手に力を込めた。刀で人を殺めた経験がなく、思わず目を閉じた輝元の両手には次の瞬間、確かに肉を貫いた感触が伝わった。


だが、輝元が目を開けると、刃が刺さったのは胸ではなく、痩せ細った腕であった。腕の先に皺だらけの手の甲が赤い血で染まるのを見て、青褪めた輝元が恐る恐る顔を上げると、そこには元清の身体を庇った毛利元就の二の腕に刀が刺さっていたのである。


「父上!」


元清は顔色を真っ青にして、力無くもたれ掛かった元就の身体を静かに横たえた後、呆然自失している輝元を睨みつけた。


「少輔太郎、何ということを! 気でも触れたか!」


輝元は最愛の祖父を刀で突き刺してしまったこと、そして祖父が庇った相手が「虫けら」のはずの元清だったことに混乱していると、吉川元春が輝元の首筋に手刀を叩き込み、輝元は気を失った。吉川元春はすぐに輝元を捕縛すると、秘密裏に座敷牢に入れるよう側近に命じた。


「父上、しっかりなさいませ!」


就辰は目に涙を浮かべながらも、目の前で起きた暴挙を受け止められずにいた。


「ふふっ、よもやこのような死に方を迎えるとはのぅ。少輔太郎よ、儂は幸鶴丸の育て方を誤っていたのかのぅ?」


元就がうわ言のように呟いたのは、今は亡き長男・毛利隆元の名前であった。


「誤ってなどおりませぬ! 父上には後10年は生きてもらわねばなりませぬ!」


わずか20日間ではあったが、就辰は次期当主として元就に厳しく指導されながらも、確かに"父子の絆"を感じていた。そんな元就が老衰や病ではなく、寵愛した孫に刺されて逝こうとしている。そんな事実を受け入れられるはずもなく、就辰は元就の身体に縋り付くように人目を憚らず涙を流すばかりだった。


すぐに医者が呼ばれて、元就の傷の手当が施された。何とか出血も止まり、一時は容体も落ち着いたかに見えた。だが、輸血の医療技術がない時代に、72歳の老人である元就は元々の体調の悪さに出血多量による衰弱が加わって、意識を取り戻すことなく2日後に儚く逝去したのであった。


安芸の一国人だった毛利家を、一代で"山陽・山陰の覇者"にまで伸し上げた稀代の謀将の突然の死に、毛利家中は激震した。だが、元就は先日も重臣たちに近い内に死ぬであろうと公言していたのと、輝元が手を掛けたという事実を隠蔽し、その場に居合わせた数人には他言を禁じたことにより、予想以上の混乱は避けられた。


本来であれば輝元は元就の殺害という大罪により処刑されるべきところだったが、世間には輝元が殺したとは知られていないため、どうしても輝元を処刑しなければならない必要性は低く、何よりも元就の死で家中が動揺している時に、前当主を処刑するのは家中の混乱を招きかねないため避けるべきだと判断された。


故に、輝元は元就の生前の言葉どおりに"一旦は"寺に幽閉され、事実上の"罪人"として一切の行動の自由が認められない生活を強いられることになった。


しかし、半年後に輝元は"病死"する。どうしても輝元を許すことができなかった毛利就辰と毛利元清の2人が世鬼衆に命じた毒殺であった。


輝元の葬儀では、吉川元春と小早川隆景は悲痛な表情で黙して語らず、対照的に毛利就辰と毛利元清はわずかに笑顔を漏らしていた。


こうして精神的支柱であった毛利元就を失った毛利家は、これまで以上に周辺の敵対勢力との戦に苦戦を強いられることになるのだった。

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