郡山騒動② 元就の隠し子

「陸奥守様が私の本当の父上? ……まさかそんな!」


二宮就辰は動揺を隠せない様子で声を上げた。


矢田家の娘だった就辰の母は毛利元就の側室として入ったが、就辰を身篭ったのが運悪く元就の正室・妙玖が病床にある時だった。間もなく妙玖が病死したため、喪に服している間の側室の出産はさすがに体面が悪かった。そこで、元就は矢田家の家臣で子供のいない二宮春久に身重の側室を密かに下賜した。そのため就辰は元就の実子でありながら、二宮家の子として今日まで育てられてきたのだった。


陪臣の嫡男でしかない就辰の元服の際に、元就が偏諱を授けたのは確かに異例のことだったが、それは元就の父親としての愛情表現であり、せめてもの罪滅ぼしだったのである。


「儂がこんな嘘を吐いて何の意味がある? 後で両親に訊ねれば真実と分かるであろう」


就辰は元就の真剣な表情と鋭い視線に射抜かれ、自分が本当に元就の子なのだと悟った。


「はい。承知しました。……ですが、誠に畏れながら、今さら何故それを私に明かされたのでしょうか?」


「今になって真実を明かしたのは、お主に毛利家に戻ってもらいたいからだ。既に、お主の父親には伝えてある」


(私が毛利家に戻る? 大殿は私に一体何をさせたいのだろう?)


「儂はな、孫の幸鶴丸(毛利輝元)が可愛くて仕方がないのだ。だがな、悲しいかな、幸鶴丸には毛利家をまとめ上げる才が足りぬ。少輔次郎(吉川元春)や又四郎(小早川隆景)を見れば分かるであろう? 当主として統べる才は天賦のものであり、成長して身に付くものではないのだ」


元就は遠い目で悲壮な表情で告げる。


「……当主が幸鶴丸のままでは毛利家は落ちていくだけよ。孫可愛さに道を誤り、毛利家を滅ぼす訳には行かぬのじゃ」


元就の非情とも言える容赦のない言葉に、就辰は思わず身震いした。


(ま、まさか……私が? いや馬鹿な、そんなはずなど!)


ここに来てようやく、就辰は自分が毛利家に戻る意味を察した。


「……そ、それは、つまり……」


だが、就辰はその後の言葉を紡ぐことができずに目を逸らした。つい先ほどまで陪臣の二宮家の嫡男として生きてきたのだ。就辰には畏れ多い禁断の言葉であり、口にするのが憚られるのは当然だった。


「うむ。太郎右衛門尉、お主には幸鶴丸とは違い、毛利家をまとめ上げる天賦の才がある。病床の幸鶴丸に代わって毛利家当主となり、毛利家をまとめ上げてもらいたい。兄である少輔次郎や又四郎、そして弟の少輔四郎(毛利元清)と共にな」


「……ですが、少輔太郎(毛利輝元)様は如何なさるのですか?」


だが、気になるのは主君である輝元の処遇である。今は病床にあるが、当主の座から下ろした後に輝元がどうなるのか、就辰は懸念していた。


「幸鶴丸は気鬱の病ゆえ、寺に入れ、療養させるつもりだ。可哀想だが、それしかあるまい」


冷淡に告げる元就の目には、病床の孫を思いやる一抹の愛情が垣間見えた。


(無限とも言えるほどの愛情を注いできた少輔太郎様に対して、ここまで厳しい決断を下すことができるのか。統治者は時には肉親に対しても非情にならねばならないか)


元就の非情とも冷酷とも言える決断に、これこそ毛利家を"山陽・山陰の覇者"にまで押し上げた稀代の名将の才なのかと、就辰は身震いするのを抑えられなかった。


「……分かり申しました。陸奥守様の命に従い、謹んで毛利家を継がせていただきまする」


しばらく考え込んだ後、覚悟を決めた就辰は顔を上げて元就に告げた。


その後、元就は五男の毛利元清を呼び出し、二宮就辰が実は隠し子で実の兄であり、輝元に代わって当主を継ぐことを伝えた。当然ながら元清は驚いたが、側近として就辰を支えるとの了承を得たのだった。




◇◇◇




毛利元就が二宮就辰に当主の座を継がせる意志を伝えた翌日から数日間、元就は体調を崩して寝込んでいた。現当主の輝元だけでなく、大黒柱である元就までもが寝込んだと知った毛利家の家臣は、当然ながら動揺を隠せずにいた。


しかし、5日経った後に元就は快復に至ると、3月8日、表立った重臣を評定の間に集め、寝込んでいた間の出来事について報告を受けた。幸いにして重大な問題は起きておらず、ひと通りの報告を聞き終えると、元就は側近らに人払いを命じ、厳粛な雰囲気を身に纏わせて語り始めた。


「皆の者、儂の命もさほど永くは持たぬ。昨日まで寝込んだのも、死期が迫っている証であろう」


元就の儚げな表情に重臣たちは思わず息を呑んだ。


「陸奥守様、左様なことを仰いますな! まだまだ長生きできまする」


「言葉には言霊が憑りつきますれば、滅多なことを申してはなりませぬぞ」


「病は気からと申しまする。弱気になれば御命を縮めるだけにございまする」


しかし、縁起でもないことを口にする元就に、口羽通良、福原貞俊、熊谷信直といった古参の忠臣たちがすぐに腰を浮かせて、元就を叱咤激励する。


元就は家臣たちの気遣いに感謝しながらも、"両川"の息子2人からも何度言われたか分からない言葉に本音では辟易としつつ、小さく笑みを浮かべて告げた。


「うむ、確かに皆の申すとおりだな。無論、今すぐ死ぬつもりはない故、安心せよ。……だがな、儂ももう72歳だ。己の寿命くらい分かっておる。そう遠くない内に儂は死ぬ。こればかりは誰も避けることのできぬ、この世の理だ」


「「ぐ、ぐッ……」」


有無を言わせぬ元就の威圧感に、重臣たちは歯噛みしながら腰を下ろした。


「さて、皆に訊ねるが、儂は病床の幸鶴丸が当主のままでは、毛利家は立ち行かぬと考えておる。皆は如何思うか? 忌憚なく思うことを申すが良い」


重臣たちは皆一様に顔を俯かせて口を噤んだ。現当主を表立って否定する真似などできるはずもなく、部屋には気拙い沈黙が漂うばかりだった。だが、その沈黙は元就の言葉を肯定したのに他ならなかった。


「……皆も同じ考えのようだな。儂は幸鶴丸を寺に入れて療養させ、ここに控える二宮太郎右衛門尉に家督を継がせるつもりだ。太郎右衛門尉は妙玖が病床にあった際に側室が身籠り、二宮家に下賜された後に生まれた子だ。太郎右衛門尉は儂の血を色濃く受け継ぎ、毛利家をまとめ上げる才を有した優れた息子だ。太郎右衛門尉を除いて、儂亡き後の毛利家を導ける者はおらぬ。異論のある者はおるか?」


上座の端に小姓のように控える二宮就辰に、重臣たちの視線が一斉に向けられ、評定の間は俄かにざわついた。


それもそのはず、二宮就辰が毛利元就の実子であることを知る者は、元就と就辰の両親以外は親族でも両川の2人だけくらいで、重臣に至っては誰も知らなかったのだから当然である。


その事実を知ってもなお、就辰の当主就任に異を唱えようとする者は一人もいなかった。就辰が若手家臣の中で特に優秀であるのは、家中の誰しも認めるところだったからである。


「……異論はないようだな。では、今月下旬の吉日を以って家督継承の儀を執り行い、太郎右衛門尉に毛利家の家督を継がせることとする。太郎右衛門尉、今より毛利太郎右衛門尉就辰と名乗るが良い」


重臣たちから沈黙を以って当主就任が認められたのを確認した就辰は、元就の声に一歩前に進み出ると、深々と頭を下げて述べた。


「はっ、毛利太郎右衛門尉就辰、謹んで毛利家の次期当主を拝命いたします。若輩者ゆえ、今後ともご指導ご鞭撻を宜しくお願いいたしまする」


二宮就辰改め毛利就辰はこの日から正式に次期当主となり、毛利家の家督を引き継ぐべく、元就から直々に当主教育を受け始めるのであった。

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