郡山騒動① 最後の策謀

毛利家当主・毛利少輔太郎輝元。


毛利輝元は史実で豊臣家の「五大老」の一人として名を馳せ、「関ヶ原の戦い」では西軍の総大将として戦場を駆け抜けている。だが、戦いに敗れた輝元は、戦後に総大将の責任を負わされ、辛うじて助命はされたものの、周防・長門2国に減封され、毛利家当主から隠居している。


ちなみに史実では、宍戸隆家の娘で毛利元就の孫娘である正妻の南の大方とは不仲であり、正妻との間に子供が出来なかった。一方で、親子ほど年の離れた児玉元良の娘の周姫に横恋慕し、周姫が杉元宣に嫁ぐと、当主の権力を使って強奪して側室にした女癖の悪い男である。


そんな史実の輝元ではあるが、曲がりなりにも史実で五大老になったほどの人物であり、決して暗愚ではなかった。しかし、かと言って文武で何か秀でた才能を持っているかと問われればそういう訳でもなく、至って凡庸な男であった。


毛利家が安芸一国の大名のままだったならば、輝元は吉川元春や小早川隆景の救けを借りて何とか無難に務めることができただろう。だが、毛利家は今や"山陽・山陰の覇者"としてその名を轟かせる大大名である。毛利家をまとめ上げ、広大な領地を治めるには輝元には少々荷が重いのは事実だった。


父・隆元の突然の死により輝元が家督を継いでから4年が経ったとは言え、まだ数え16歳になったばかりだったが、戦国時代ではそんな甘えなど許されない。


人生の経験値が絶対的に足りない輝元は、後見する祖父・元就や叔父の"両川"こと、吉川元春や小早川隆景という毛利家屈指の名将の薫陶を受けて、一日も早く自立するために自分の糧としようと必死に努めてきた。


さらに、一門衆や重臣の耳の痛い意見も疎んじることなく積極的に耳を傾ける輝元は、"人の話をよく聞く"物わかりの良い当主であった。だが、それは言い換えれば彼が自分に自信がないことの裏返しでもあった。多感な思春期であることもあり、輝元には致命的に自信が欠けていたのである。


そんな自信のなさから輝元は、隠居を考え始めていた毛利元就に懇願して隠居を引き留め、二頭政治体制が続いていた。日常の政務については輝元が差配してはいたが、重要事項については元就が決定権を握っており、実際には輝元はおんぶに抱っこという形になっていたのだった。


毛利家は今、東から"六雄"が西進し、西では大友家と対立する厳しい状況に置かれていたが、元就は領国を守り抜き、毛利家を存続させなければならないという使命感を人一倍強く胸に秘めていた。


そして、元就は長男・隆元の忘れ形見である孫の輝元を祖父として溺愛し、これまで輝元の成長を傍で暖かく見守る一方で、息子の隆元・元春・隆景のような戦国武将としての非凡な才能を輝元に見い出すことができず、厳しい評価を下していた。


このままでは早晩、自分の死後に輝元が当主の毛利家は確実に凋落すると考え、元就は非情とも言える当主交代の決断を下したのである。御家存続は武家として最も重要であり、肉親への愛情にも優先されるのは仕方のないことであった。


密かに当主を輝元から毛利元清か二宮就辰に替える決断を下した元就は、可愛い輝元への未練を自ら断ち切るため、年が明けた頃から心を鬼にして輝元に対して疎遠に接するようになった。それは吉川元春や小早川隆景も同じであり、明らかに輝元を遠ざけるような態度が目立つようになっていった。


自身に自信が持てない輝元は感受性が強く、他人が自分を見る目や接する態度には人一倍敏感だった。ましてや幼い頃から甘やかされ、当主となってからも後見役として頼ってきた祖父や叔父たちは、輝元にとって最も大切な肉親である。自分が何か不始末をして嫌われてしまったのかと、16歳の多感な少年である輝元は思い悩んだ。


自分に責があるなら幾らでも謝って許しを乞い、悪いところは改めるつもりだったが、何が悪いのか原因が分からないままでは謝りようもない。祖父や叔父たちに見放されたという孤独感から消耗した輝元の心は疲弊し、やがては周囲に対する猜疑心が大きくなって心を閉ざしていく。


当主交代のことなど知る由もない家臣たちが普段どおり輝元に接する態度にも、猜疑心に侵された輝元は冷たく当たられていると錯覚するようになり、次第に輝元は精神を病んでいった。やがて2月中旬には輝元は神経症により体調を崩し、自室に引き籠りがちになるのであった。


輝元が毛利家当主としての日常の政務を果たせなくなると、とりあえずは吉川元春や小早川隆景が代行していた。だが、子供のいない輝元が病床に就いた状況に、家臣たちが陰で毛利家の先行きに不安を抱く言葉を交わし始めているのを知った元就は、当主交代を実行するには好都合だと内心でほくそ笑んでいたが、それが後に悲劇を生むことになる。




◇◇◇




安芸国・吉田郡山城。


「二宮太郎右衛門尉、ご用命と伺い、参上いたしました」


3月上旬、毛利元就は密かに二宮就辰を自室に呼び出していた。


二宮就辰は寡黙ながら勤勉実直な性格であり、優秀な文官としての才を発揮する一方で、戦においては普段の静かな性格とは正反対で、経験不足による猪突猛進気味な粗が垣間見えるものの、勇猛果敢な指揮で味方を鼓舞するなど、家中の若手家臣の中では文武両面において飛び抜けた優れた才能を見せていた。


無言で自分を見つめる毛利元就からは厳粛な威圧感が発せられ、平伏した23歳の就辰は思わず身を強張らせ、元就が言葉を発するのを静かに待っていた。


だが、平伏したまま5分経っても元就から言葉がなく、やがて重圧に耐えられなくなった就辰は意を決して顔を上げると、目を瞑って瞑想した様子の元就におずおずと声を掛けた。


「……陸奥守様、私に話とは何用でございますでしょうか?」


「……太郎右衛門尉よ。お主は二宮家の嫡男として生まれ育ってきた。家中の"ほとんどの者"もお主が二宮家の男だと思うておる」


就辰は今さら当たり前のことを語り始めた元就の言葉に引っ掛かりを覚えた。


(大殿の言葉の裏を返せば、"一部の者"は自分が二宮家の男ではないと思っていると受け取れるではないか?)


就辰は眉根を寄せて怪訝そうに身を前に乗り出すと、元就の言葉の続きを待った。


「お主が元服する際に、儂はお主に"就"の字の偏諱を授けた。その意味が分かるか?」


(確かに私が大殿から偏諱を授かった時には身分不相応で驚いたが……)


「はっ、矢田家家臣である二宮家の嫡男に過ぎない私が、陸奥守様から偏諱を授かったのは誠に畏れ多いことでございます。如何なる意味か私には分かりませぬが、お教えいただけますでしょうか?」


就辰は正直に答えると、偏諱の意味を訊ねた。元就から返答が返ってくるまでにはかなりの時間を要したが、元就の言葉は就辰の予想だにしないものだった。


「……二宮太郎右衛門尉就辰、お主は儂の子なのだ。お主の母親は儂の側室であったが、お主を身籠った後に二宮家に嫁ぎ、お主を産んだのだ。儂が偏諱を授けたのは、お主が儂の子であるからだ」


自分が父親だという元就からの突然の告白に、就辰の頭の中は真っ白に染まった。

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