紀州征伐⑥ 高野山乗っ取りと別所の遺児

紀伊国・金剛峯寺。


俺は高野山に同行させた津田算長と根来寺の高僧に一つの提案をした。


「私は腐敗した金剛峯寺を残すつもりはない故、高野山の高僧や僧兵たちを処刑したが、できれば歴史のある高野山は残したいと考えている。そこで、根来寺をこの地に移し、"高野山根来寺"として再興してはいかがかな? 高野山を追放された根来寺の開山の無念を晴らすこともできよう」


根来寺の開山は400年以上前に高野山から追放された高僧の覚鑁(かくばん)だ。堕落していた高野山で空海の教義を復興しようとしたが、腐敗した衆徒と対立して高野山を追われ、那賀郡に今の根来寺を創建して分派したのだ。


「それは真にございますか! 覚鑁様も密厳浄土できっとお喜びにございましょう」


「だが、新たな根来寺では武装した僧兵は認めぬ。根来衆は根来寺から離れて寺倉家に仕えてもらう。したがって、寺領は根来寺の僧侶の人数相応に削り、新たな寺領の寄進も認めぬが、異論はないな?」


そこで俺は、根来寺に国替えならぬ"寺替え"させて、高野山を再興させることを提案したのだ。だが、タダではない。これを機に根来衆を根来寺から引き剥がし、従来の根来寺や金剛峯寺の寺領の大半を召し上げることを狙ったのだ。


「はい。高野山を取り戻して再興できるのならば、たとえ寺領を削られても構いませぬ。これからは弘法大師様の教義に立ち戻り、真言宗の信仰に努めて参ります。誠にありがとうございます」


根来寺の高僧たちは本家である金剛峯寺を乗っ取り、高野山を再興できることに感激し、俺に平伏して感謝の意を表していた。


高野山を本来の信仰の場に戻した俺は、後世には「高野山中興の祖」とでも称えられるのだろうか。もっとも、三好長慶に焼き討ちされて滅んだままの比叡山の方は、どうせすぐにまた腐敗するのが目に浮かぶので、たとえ朝廷に頼まれたとしても再建するつもりはないがな。


こうして北紀伊15万石の制圧が成り、寺倉家はついに広大な紀伊半島を平定したのである。


◇◇◇


紀伊国・岩室城。


一方、南紀から攻め入る役目を果たした第5軍の北畠惟蹊は、畠山政尚を討ち取った後、そのまま岩室城に駐留し、周辺の土豪や国人衆を攻略していた。


畠山家の一門衆や重臣は全員が討死しており、岩室城に残っていたのは女性や元服前の子供と護衛の家臣ばかりで、抵抗する者は一人もいなかった。


しかし、その中に一人だけ異彩を放つ男児がいた。まだ10歳にも達していない幼い風貌ながら、城に残っていた者の中でも一際目立つ直垂を身に纏っていた。


(まるで兄上の童の頃のような力の籠った良い目をしているな。只者ではあるまい)


睨みつけるような目ではなく、表面上は大人しいだけの子供の目から、並々ならぬ意思の力を感じ取った北畠惟蹊は思わず声を掛けた。


「私は北畠伊勢守惟蹊と申す。随分と良い身なりをしておるな。名は何と申す?」


「私は別所寿治郎と申しまする」


「某は寿治郎様の傅役の淡河弾正忠定範と申しまする」


子供は惟蹊の問いに顔を上げ、一切怯む様子もなく名乗ると、隣に座っていた初老の男が続けて名乗った。


「ほぅ、別所とな。別所とは、あの東播磨の別所家かな?」


「左様にございまする」


惟蹊が疑問を向けると、別所寿治郎が利発そうな声で応じた。


「確か今、東播磨は蒲生家から侵攻を受けていたはずだが?」


「父上の命により、縁戚の畠山家を頼って落ち延びた次第にございまする」


「なるほどな。得心が行った」


惟蹊が二度頷くと、淡河定範が意を決して訊ねた。


「……寿治郎様を如何されるおつもりでございますか? 某の命に代えても寿治郎様の御命だけはお救けいただきたく、何卒お願い申しまする」


「畠山の男であれば救ける訳には行かぬが、捕虜とは言えども別所家の貴殿らの命を奪う理由はない故、案じる必要はないぞ」


惟蹊は寿治郎と定範を安心させるように、穏やかな口調で答えた。


「かたじけなく存じまする。……ですが、別所家は寺倉家と同盟関係にある蒲生家と敵対しておりまする。ならば寺倉家にとっては蒲生家との関係を保つためにも、我らの身柄を引き渡すのが波風の立たぬ術ではございませぬか?」


「ほぅ」


(淡河弾正忠殿は評判どおり実直かつ聡明で、かなりの胆力を備えた人物のようだな)


北畠家の当主である惟蹊が命の保証をしたにも拘らず、主の寿治郎の身を危険に晒しかねない質問をする淡河定範の度胸に、惟蹊は感じ入った。


「ふむ。他家ならばそうするやも知れぬな。だが、寺倉家は違う。二心なき者で必要な人材だと思えば、兄上はどんな者でも受け入れる方だ。たとえ敵国の者であろうと、卑しい身分であろうと、出自など関係はないのだ」


だが、淡河定範は俄かには惟蹊の言葉を信じられない表情を浮かべていた。すると、惟蹊の脇に控えていた小姓の目賀田惟綱が声を上げた。


「淡河様。誠に僭越ながら、伊賀国代官の沼上様は河原者出身でございますし、素破の植田様は寺倉六芒星と呼ばれる重臣の一人にございます。そして何よりも、某は寺倉左馬頭様を一度は仇として襲った者にございますが、改心した某を助命していただいた上に、今はこうして伊勢守様の小姓を仰せつかっておりまする」


目賀田惟綱が自らの過去を伝えると、定範はようやく信じるに至った。


「……では、我らが蒲生家を打倒し、別所家の再興を目論んでいるとしてもでございますか?」


「ふっ、左様なことを本気で考えておる者は、北畠家当主である私の前で左様な言葉など吐かぬはずだ。違うかな?」


「確かに仰るとおりにございまするな」


そう言って、淡河定範は柔和な微笑みを浮かべて、ふっ、と息を漏らした。


(この2人は是非とも北畠家に迎え入れたい人材だな。兄上もお許しになるだろう)


短い会話だったが、惟蹊は2人の優れた才能を確信し、2人を北畠家に召し抱えようと決断した。


「実は私は小姓を欲していてな。寿治郎殿には将来のために私の傍で政や戦について学んでは如何かな? いずれ元服して功を挙げれば、領地を与えることもできよう。そうすれば別所家を再興することも叶おう」


「はい。伊勢守様、小姓としてお仕えいたします。宜しくお願いいたしまする」


「うむ。それと、淡河弾正忠殿の名は別所家を支える知勇兼備の将だと聞き及んでいた。これからは我が右腕として北畠家を支えては貰えぬだろうか?」


「寿治郎様が北畠家にお仕えするのであれば、傅役の某に否などございませぬ。誠心誠意お仕えさせていただきまする」


寿治郎が頭を垂れると、定範も倣うように深々と頭を下げた。寿治郎の童らしからぬ目には、御家再興への決意の光が籠っていた。


2人の仕官の快諾に惟蹊は笑顔で大きく頷いた。

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