紀州征伐⑤ 紀伊連合の壊滅

雑賀郷は紀の川と雑賀川という水流の激しい2つの川が流れ、西には海が、東には険しい山々が聳えるという正に天然の要衝である。


3月1日、寺倉軍は和泉国から海側の孝子峠を越えた第1軍と、東の雄ノ山峠を越えた第2軍が足並みを揃え、雑賀郷へと侵入した。藤堂虎高が率いる第1軍は中野城をわずか1日で落とすと、中野城から紀の川を下って北岸に布陣し、雄山峠を越えた大倉久秀の第2軍は雑賀川を下って南岸に布陣した。


翌3月2日、矢ノ宮神社の西に布陣した雑賀衆と、弥勒寺山城の東に陣を敷いた畠山軍は、ついに寺倉軍の第1軍、第2軍とそれぞれ激突した。


第1軍と雑賀衆の戦場は半刻ほどの戦闘で戦況は膠着していたが、突然の鉄砲の一斉射撃によって膠着状況は一変する。


「ッ、敵襲か?!」


突如として背後から響いた轟音。土橋守重は全て前方に向けていた意識を危機感と共に後方に向けた。


一体いつの間に自軍の背後に敵兵が潜んでいたのか。だが、守重は鉄砲を撃った敵兵の姿を視認できなかった。一斉に発射された黒色火薬の煙が視界を覆ったためである。


「兄者、寺倉の鉄砲かと思われまする!」


土橋重治は動揺を隠せず、声を震わせながら返答する。


「くっ、おのれ、寺倉め! 卑怯な真似を! 必ずや地獄へ送ってやるぞ!!」


土橋守重は息子の泉識坊を寺倉家に暗殺されたという思い込みから、寺倉家に対して並々ならぬ敵愾心を抱いており、その怨念は弟の重治も震え上がらせるものだった。


だが、守重の罵声が間断なく続く鉄砲の轟音に虚しく掻き消される間にも、雑賀衆の将兵が次々と倒れていく事態に、さすがの守重も焦りを感じ始めた。


「鉄砲には鉄砲だ! 態勢を立て直せ!」


守重は腹の底から大声を張り上げる。だが、背後から鉄砲で襲われたことによる将兵の動揺は激しく、前方にいる寺倉軍と応戦しながら態勢を立て直し、背後の敵に鉄砲を向けるのは不可能であった。


そして、10分近く続いた鉄砲の轟音が鳴り止み、視界から煙が姿を消した瞬間、雑賀衆の面々は絶句した。


「まさか……根来衆が裏切ったというのか?!」


土橋守重は呆然として状況を理解できずにいた。だが、根来衆は今、鉄砲の銃口を此方に向けている。根来衆が寝返ったのはもはや疑いようがない事実だった。


根来衆の裏切りを悟った雑賀衆の将兵は、射撃を再開した根来衆の鉄砲の餌食にされ、佐武義昌、岡吉正といった雑賀衆の棟梁までが倒れると、土橋守重と重治は憤慨しながらも本陣の僅かな兵と共に戦場から逃げ出し、雑賀城へと退却したのだった。




◇◇◇





紀伊国・雑賀城。


「こうなれば、籠城するしかあるまい」


夕方、命辛々雑賀城に逃げ込み、ほっと安堵した土橋守重がそう呟いた直後、城内に轟音と大きな振動が響き渡った。


「い、一体、何が起こったのだ!」


「兄者! う、海、海をご覧くだされ!」


雑賀城は海沿いの妙見山に立つ山城であり、本丸からは西の紀伊水道が一望できた。悲鳴にも似た重治の声に、土橋守重が窓から海に目を向けると、海上には巨大な南蛮船が2隻停泊し、今まさに雑賀城に向けて砲撃していたのだった。


「あ、あれが噂に聞く寺倉の南蛮船か。……まるで海の要塞ではないか。我らの鉄砲など通じるはずもないな」


「兄者、既に追撃してきた寺倉軍は城の周りを包囲しておりまする。このまま城と共に大砲の餌食になるか、打って出るしかありませぬ」


もはや降伏など認められるはずもなく、土橋守重に残された選択肢は"どのように死ぬか"だけであった。


「ぐ、ぐぬぬぬ……」


だが、守重が奥歯を噛み締めながら、苦渋の決断にしばし逡巡していると、2人のいる本丸の部屋を轟音と共に1発の砲弾が直撃した。2人は逃げる間もなく、崩れ落ちた柱や天井に押し潰され、息絶えたのであった。




◇◇◇




一方、少し時を遡り、第2軍と畠山軍の戦場では、1万の寺倉軍に対して2千の兵しかない畠山軍は劣勢を強いられながらも何とか踏み止まり、まるで第1軍と歩調を合わせるかのように、半刻ほどの戦闘で戦況は膠着していた。


実は、畠山軍が先に壊滅して雑賀衆に合流されると面倒なため、正吉郎の指示により大倉久秀が将兵に手加減させた結果なのだが、畠山政尚はまさか敵軍が手加減しているとは知る由もなかった。


そこへ、西の戦場から鉄砲の一斉射撃の音が響いてきた。


「ふむ。根来衆が援護射撃しているようだな。できれば兵数で劣勢の我らに援護してもらいたいのだがな」


畠山政尚がそう呟いてから、血相を変えた遊佐高清が報告したのは間もなくのことだった。


「紀伊守様、根来衆が寺倉に寝返りました! 雑賀衆は壊滅し、土橋殿らは雑賀城に逃げ込んだとの由にございまする」


「な、何だと! それは真か?!」


畠山政尚が驚愕の声を上げたその時、寺倉軍では雑賀衆の壊滅の報を待っていた大倉久秀が将兵に号令を掛けた。


「皆の者、もはや手加減は無用だ! 全力で畠山を討ち滅ぼせ! 掛かれーぃ!」


これまで不可解な手加減の指示で不満が溜まっていた寺倉軍の将兵は、一斉に畠山軍に攻め掛かった。


畠山軍の将兵はこれまで兵数で大きく劣りながらも膠着状態にあったことから、寺倉軍など大して強くはないと侮っていた。寺倉軍の突然の変貌に慌てて応戦するものの、5倍の兵数相手に始めから敵うはずもなく、僅か一刻で畠山軍は壊滅に至ったのである。


後方の本陣で戦況を見守っていた畠山政尚ら本陣の部隊は岩室城へ退却しようと、命辛々戦場を離脱した。


しかし、岩室城は南紀から攻め入っていた北畠惟蹊率いる第5軍と南蛮船の艦砲射撃によって既に攻め落とされていた。第5軍と追撃していた第2軍に前後から挟撃を受け、畠山政尚は討死し、"三管領"の名門・畠山家はここに滅亡したのである。




◇◇◇




紀伊国・金剛峯寺。


一方、最後に残った高野山は未だに籠城を続けていたが、3月3日、藤堂虎高の第1軍と前田利蹊の第3軍が九度山の島清興の第4軍に合流した。


3月4日、3軍合わせて3万近い兵が高野山を包囲し、降伏勧告の使者が高野山に向かうと、既に極度の緊張状態による精神的疲労の限界を迎えていた高野山の高僧たちは、ついに徹底抗戦する意思が挫け、寺倉軍に無条件降伏したのである。


伝令から高野山の降伏の報せを受けた正吉郎は、すぐさま岸和田城を出立し、3月8日、根来衆や根来寺の高僧らと共に高野山に到着した。


正吉郎が比叡山のように腐敗し切っていた高野山を焼き討ちしなかったのは、第一に日本平定後の統治のことを考えて、朝廷や寺社の心証を大きく悪化させないためだった。それに加えて、高野山は比叡山と並んで仏教界の名刹であるため、焼き討ちして後世まで悪名が残るのは御免被りたいという本音もあった。


だが、歴史のある金剛峯寺の伽藍は残す価値があるとしても、中にいる人間は残す価値が認められない。そこで、正吉郎は戦前から高野山の名前だけを残して、実質的には滅ぼすことを決意していたのだ。


既に高野山の高僧や僧兵たちは捕虜となっており、後は正吉郎の沙汰を待つ状態になっていた。正吉郎は躊躇うことなく、高野山の腐敗の根源となっていた高僧や僧兵たち全員の処刑を命じたのだった。

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