紀州征伐④ 紀伊連合の内紛
紀伊国・九度山。
武藤喜兵衛こと、真田昌幸にとって、九度山は史実で人生の終焉を迎える因縁の地であるが、もちろん今は真田家の家督を継いでさえいない喜兵衛は史実を知る由もなかった。
史実では、1600年の「関ヶ原の戦い」の際、西軍に付いた真田昌幸と次男の真田信繁(幸村)は、東山道を西進する徳川秀忠の率いる数万の軍勢を上田城に釘付けにし、関ヶ原への参陣を遅らせる大きな戦功を挙げた。だが、徳川秀忠の軍勢が不在であっても西軍は敗れ、戦後に捕われた2人が配流された地が九度山である。
真田昌幸は数年後に九度山で没し、真田信繁は「大坂の陣」に駆け付けて真田丸を築いて奮戦し、最後は徳川家康のいる本陣に吶喊し、家康をして「真田日ノ本一の兵(つわもの)」と震撼させたのは余りにも有名である。
その九度山に布陣する第4軍の島清興は、3交代制で兵を待機させ、夜間にも高野山に攻め入ろうとする動きを何度か見せながらも、実際には攻撃はしなかった。戦に慣れていない高野山の高僧たちに、寺倉軍がいつ攻めてくるのかという極度の緊張状態を強いらせ、真綿で首を締めるように精神的に追い詰め、疲弊させる巧みな心理戦術であった。
◇◇◇
紀伊国・粉河寺。
一方、和泉国から鍋谷峠を越えて紀伊に侵攻した前田利蹊が率いる第3軍も、正吉郎の指示に従い、第4軍に1日遅れの2月23日に粉河寺を取り囲んでいた。しかし、高野山とは違い、3千ほどの僧兵しかいない粉河寺は、1万の寺倉軍に対して兵の数的不利から身動きが取れずに立て籠もっていた。
しかし、2月27日、第3軍の包囲により補給も途絶えた粉河寺は、ジリ貧の状況を打破しようと、3千の僧兵たちが決死の覚悟で打って出た。
「ふっ、ようやく打って出てきたか。待ちくたびれたぞ!」
だが、粉河寺の僧兵は前田利蹊の軍略の前に手も足も出ずに返り討ちに遭い、炎上する伽藍と共に滅びの道を歩んだ。
こうして、高野山と粉河寺が雑賀郷に陣を構える畠山軍と雑賀衆の本隊に参陣することは不可能となり、一方、満を持して和泉国から攻め入った藤堂虎高率いる第1軍と大倉久秀の第2軍は、東西から挟撃する形で紀伊連合との決戦に臨むのであった。
◇◇◇
紀伊国・雑賀城。
「ええーぃ、高野山の僧兵どもは何時になったら来るのだ! 糞坊主どもめ、まさか合力する約定を違えるつもりか!」
2月28日、畠山軍と雑賀衆の本隊が本陣を置く雑賀城の本丸に、雑賀衆を率いる土橋守重の罵倒とも言える怨嗟の篭った野太い声が響き渡った。
土橋守重だけではない。本陣に居並ぶ佐武義昌、岡吉正といった雑賀衆の棟梁も焦燥感を抱いていた。それもそのはず、寺倉軍の軍勢が刻一刻とその足音を増して雑賀郷に近づいていたからである。
粉河寺が滅んだ報せが届いた今となっては、1万を軽く超える高野山の戦力は、寺倉軍との野戦において主力を担うべき存在となるはずだった。しかし、その高野山の兵が一向に姿を現さず、梯子を外された形となった諸将が一様に憤慨するのも仕方ないことであった。
「どうやら大和から侵攻してきた寺倉の別働隊に足止めを食らい、身動きが取れずにいるようだな」
怒髪天を突くような土橋守重とは対照的に、畠山家当主の畠山政尚は守重らを諫めるかのように冷ややかな態度で告げた。
「くそっ。やはり高野山の坊主など当てにならんな。弟よ、此方に向かっている寺倉の軍勢は如何ほどだ?」
土橋守重は悪態を吐きながら、30歳手前ながら豪傑の風貌を持つ弟の土橋重治に訊ねた。
「兄者、物見によれば2つの部隊を合わせて2万ほどとのこと。東西から雑賀郷に侵入し、我らを挟撃しようという算段かと思われまする」
土橋重治が伝えた2万という兵数は、寺倉家の動員兵力からすれば大分少ない数なのだが、別働隊が高野山を足止めしているとの話の直後だったため、土橋守重はさして不審に思うことはなかった。
「ふむ。ならば我らも部隊を分けて応戦しては如何か。皆の衆、如何思われるか?」
この場で作戦の主導権を握っているのは紀伊守護である畠山政尚ではなく、兵数に勝る雑賀衆の土橋守重だった。だが、不遜な態度の土橋守重が主導権を握っていることに、畠山家の将が不満を抱いて憎々し気な目で睨んでいるのは、当の守重本人も気付いていた。
元々、畠山家と根来衆、雑賀衆は身分の違いや過去に争った経緯から仲が良くないこともあり、ならば畠山軍と無理やり連携するよりも、東西から侵攻する寺倉軍に対して兵を分けて、個別に当たる方がお互い戦いやすいだろうと守重は考えたのだった。
すると、そんな土橋守重の心情を慮ったように、根来衆を率いる津田算長が声を上げた。
「では、西から来る軍勢には雑賀衆が、東から来る軍勢には畠山軍が当たり、我ら根来衆は鉄砲で後方や側面から援護するとしよう。だが、寺倉水軍の南蛮船が雑賀郷に向かっていると、寺倉の本陣に忍ばせた素破から報せがあった故、まずは我らが造った"新たな大鉄砲"を用いて寺倉水軍を食い止めるのを優先するとしよう。皆の衆は如何でござるかな?」
「我らに異はござらぬ」
津田算長の提案に対して、畠山政尚ら畠山家の将も異論はない様子で首肯した。
実は、正吉郎が津田算正に命じた策謀により、根来衆が数日前から陰で"雑賀衆は金で寺倉に寝返ったらしい"という噂を真しやかに流しており、その噂を耳にした畠山家の将は雑賀衆は味方とは言えども、やはり本音では信用することができず、背中を預けて共に戦うのは我慢ならず、津田算長の提案は正に渡りに船だったのである。
もちろん津田算長が話した"新たな大鉄砲"は口からの出任せなのだが、高い技術を持つ鉄砲鍛治に定評のある根来衆の津田算長の言葉を疑う者はいなかった。岸和田城を木っ端微塵に打ち砕いた寺倉水軍の艦砲射撃の威力は既に知られており、従来の鉄砲では射程が届かず、打ち破れる可能性は無きに等しい。だが、根来衆が造った"新たな大鉄砲"ならば、きっと寺倉水軍の南蛮船を打ち破ってくれるはずだという期待感を醸していた。
実は、津田算長の提案は事前に正吉郎と示し合わせた内容だった。根来衆は海で戦闘すると見せ掛けて、怪しまれることなく本隊から離れ、油断した雑賀衆を背後から鉄砲で一斉射撃する戦術を企てたのだ。だが、それを察知できた者は1人としていることはなかった。
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