紀州征伐③ 高野山の誤算
紀伊国・伊都郡。
2月20日。総勢5万の寺倉軍の中で、最初に動き出したのは島清興が率いる大和方面の第4軍だった。
第4軍は紀の川の上流部である大和国の宇智郡から国境を西進し、紀伊の有力国人である隅田一族が守る岩倉城と霜山城に攻め寄せた。岩倉城は隅田家が代々居城としており、霜山城は隅田家の庶流である下山家が治める城である。
隅田家は室町幕府で"三管領"だった畠山家に対して代々忠誠心が高い一族であり、幾度となく戦功を挙げて畠山家に貢献してきた国人だった。史実では畠山秋高が霜山城を居城としたこともあったほど、畠山家から信頼を置かれていた。
その日の夕方、岩倉城の前に第4軍を率いる島清興が5千の兵で押し寄せると、紀州征伐において島清興の副将兼軍師に任じられた武藤喜兵衛が、残る5千の兵を率いて霜山城を包囲した。
岩倉城の隅田家当主・隅田肥前守能継は、寺倉軍の降伏勧告を拒否し、頑強に抵抗する意思を明らかにした。だが、後詰めが期待できない中、両城を合わせてもわずか5百の兵しか詰めていない状況で、20倍の1万もの寺倉軍を撃退するのは、どれほどの堅城に名将が籠ったとしても困難を極めたに違いない。
「成り上がり者の寺倉になど膝を屈する訳には行かぬ! 我ら隅田党の力を見せつけよ!!」
翌2月21日の昼過ぎ、隅田能継は自ら数百の兵を率いて、寺倉軍に捨て身の吶喊を敢行した。
「皆の者、我が寺倉軍の強さを紀伊の田舎侍どもに教えてやるのだ! 掛かれーぃ!!」
しかし、岩倉城の正面に待ち構えていた島清興は、全く怯むことなく隅田党の突撃に応戦を指示すると、隅田能継はあえなく討死し、大した損害を被ることなく隅田党を退けた。
一方同じ頃、霜山城を包囲していた武藤喜兵衛は、島清興とは対照的に城主の下山四郎左衛門尉能高を調略により降伏させ、一兵も失うことなく霜山城を陥落させたのだった。
「左近殿、高野山に隅田家の敗北が知られる前に、我らは一刻も早く九度山に布陣すべきと存じまする」
島清興は合流した武藤喜兵衛の進言に大きく頷いた。
「うむ。今頃、間者が高野山へ報告に向かっておろう。明朝、高野山が報告を受けた時に我らは九度山に布陣しておらねばならぬ。皆の者、今から全速で行軍するぞ! 遅れるな!」
島清興が命じると、隅田一族の岩倉城と霜山城を落としたばかりの第4軍は、夜間の内に電光石火の行軍を行い、大和街道を南に折れ、2月22日の未明、高野山の麓にある九度山に布陣したのであった。
◇◇◇
紀伊国・金剛峯寺。
高野山は言わずと知れた弘法大師こと、空海が開山した真言宗の総本山である。
「座主様、一大事にございます! 寺倉軍から使者が参っておりまする」
2月22日の早朝、一人の僧侶が金剛峯寺の奥の院に慌ただしく駆け込んだ。
「寺倉からの使者だと? 一体何の要件であるか?」
「寺倉軍1万が九度山に着陣したとの由にございます」
「な、何ぃ?! 荘官どもは何をしておったのだ?!」
高野山の麓には高野山が差配する寺領を管理する荘官の居館が数多くあり、もし敵の侵攻があれば、すぐにでも報せが届くはずだった。なぜならば、高野山に近い九度山に敵軍に布陣されるのは、高野山にとって喉元に刃を突き付けられるのと同義であったからである。
「どうやら突然の夜襲に遭い、我らに報せる間もなく、荘官は皆捕らえられたようにございます。寺倉軍は荘官の身柄の引き渡しを条件に、我らに降伏を求めておりまする」
「くっ、卑劣な手を使いおって。だが、荘官など掃いて捨てるほどおるわ。荘官の命くらいで高野山を降伏させようなどとは、笑止千万! いかにも成り上がり者が考えそうな姑息な策よ。我らには1万を軽く超える兵がおるのだ。仏敵の寺倉など、我ら御仏に護られし兵が討ち滅ぼしてくれようぞ!」
座主が自信満々に吠えるのも無理はない。高野山は寺倉軍との戦に備え、僧兵を総動員したのはもちろんのこと、さらには伊都郡から数千の浪人を金で雇い、1万2千に上ろうかという大軍を擁していたのだった。
しかし、第4軍の島清興は高野山と真正面から戦うつもりなど一切なく、九度山に陣を敷いたのは紀伊連合の戦力の分断が目的であった。島清興が正吉郎から指示された第4軍の役割は、第一に高野山の僧兵を高野山に釘づけにし、畠山軍と雑賀衆の本隊に合流させないことであり、高野山の討滅はその次の役割だったのである。
元々、紀伊連合は畠山家、雑賀衆、高野山などの寺社勢力が合流し、野戦で決着を付ける算段であった。3万を超える紀伊連合と野戦で戦えば、たとえ勝てたとしても大きな被害は免れないため、正吉郎は紀伊連合の戦力を分断し、各個撃破する作戦を各部隊に指示したのであった。
さらに、正吉郎は岩室城を目指して南紀から北上していた北畠惟蹊率いる第5軍を利用して、「奥高野から別働隊が攻め込もうとしている」という噂を素破を使って高野山に流し、高野山の兵が高野山から離れる決断を下せないよう巧みな計略を施していた。
本山の麓の九度山に1万もの敵軍が陣を構えれば、高野山は絶対に無視できなかった。三好長慶に焼き討ちされた比叡山延暦寺を見れば分かるとおり、たとえ大寺院であろうとも本山である金剛峯寺を焼かれれば寺は滅亡するしかなく、一旦滅亡すれば時の権力者が許さない限り、再建は認められないのである。
留守の内に奥高野から別働隊に攻め入られ、焼き討ちされることを恐れた高野山は、麓の九度山にすら兵を派遣できない状況に陥り、高野山は高野山を守るための自衛的行動以外は取ることができなくなった。当然ながら野戦で決着を付けるため畠山軍と雑賀衆の本隊に合流する作戦も不可能になったのである。
さらに、島清興の第4軍が九度山に陣を構えれば、高野街道を封鎖することにもなる。大和街道と高野街道が交わる九度山を封鎖することにより、商人が大和街道を通って運んできた物資は、寺倉家が相場の倍の値段で強制的に全て買い上げ、物資の補給が遮断されたのである。利に聡い商人は誰に売ろうが関係なく、倍の値段で売れてホクホク顔であった。
こうなれば高野山はもはや陸の孤島である。畠山軍や雑賀衆に物資の補給を頼もうにも、大和街道を封鎖された畠山軍や雑賀衆に高野山に援助できるほど物資の余裕はなかった。1万2千もの兵を集めて傲岸不遜な態度だった高野山は、その兵の多さが災いして自滅へと向かっていくことになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます