尼子の遺臣と丹後平定
丹波国・八上城。
「加賀守様。誠に恐縮でございますが、一つお願いの儀がございまする。実は尼子家の遺臣が生き残っておりまする。一度、彼らとお会いいただけないでしょうか?」
浅井家に仕官が叶った鉢屋弥之三郎が、浅井長政におずおずと申し出た。
「ふむ。用件は想像するに難くはないが、会うのは構わぬ。左様に伝えよ」
「ははっ、誠にかたじけなく存じまする」
「ところで、弥之三郎。早速だが、鉢屋衆に一つやってもらいたい仕事がある」
長政はそう言うと、かねてから企てていた策を鉢屋弥之三郎に命じた。
2月上旬の吹雪の夜、浅井長政に初仕事を命じられた鉢屋衆は、堅牢なために浅井家の素破がこれまで侵入できなかった八上城にいとも簡単に忍び込むと、兵糧の大半を焼くことに成功する。
その結果、兵糧に困った波多野家はそれでも降伏を良しとせず、飢死するくらいならばと背水の覚悟で打って出て、最後の決戦に挑んだ。
八上城を2万の大軍を以って包囲していた浅井軍は、波多野秀治を始めとする波多野軍を返り討ちにし、4ヶ月以上を要してようやく八上城を落城させると、浅井長政は波多野一族の男子や抗戦した家臣に切腹を命じ、波多野家は滅亡する。
こうして2月中旬、浅井家は中丹波8万石の制圧に成功した。
◇◇◇
2月下旬、制圧した八上城にそのまま駐留していた浅井長政は、広間にて来訪者と面会していた。
「某は尼子家の元家臣、山中鹿之助幸盛と申しまする。突然の来訪をお許しいただき、かたじけなく存じまする」
「但馬は大雪だと聞いておるが、遠路はるばる雪の中を良くぞ参ったな」
但馬は山名家の本拠であり、もちろん鹿之助は山名家に身を寄せていたとは一言も話してはいない。だが、尼子家の遺臣は山名家に身を寄せていたのだろうと見抜いた長政は、遠回しにそれを問い質したのである。
「心配はご無用にございまする。我らが生まれ育った故郷の出雲や伯耆は、この程度の雪など日常茶飯事でございます故、童の頃から雪には慣れておりまする」
だが、豪胆な性格の鹿之助は長政の言葉を受け流し、一切の隙を見せない。
「左様か。……それで、毛利家に滅ぼされた尼子家の遺臣が浅井家に何用かな?」
尼子家の遺臣たちは御家再興への協力を得る代わりに、山名家に命じられて浅井家の内情を探ってくる役目を担っているのだろうと、長政は推測していた。
「はっ、我らは浅井家に仕官したく存じまする」
長政は鋭い眼差しで鹿之助の真意を探ろうと見つめたが、鹿之助の返事は長政の予想を覆すものだった。
「ほぅ。……だが、当家は貴殿らを召し抱えることにどんな利があるのか?」
「我らは山陰の地に明るく、尼子家の配下だった山陰の国人衆とも知己にございます。我らの力は毛利との戦にも必ずやお役に立つかと存じまする」
浅井家は山陽道を進む蒲生家と歩調を合わせて山陰道を侵攻する予定である。山陰の地理を熟知し、国人衆とも繋がりのある尼子家の遺臣は、大きな戦力になると期待できた。
「なるほど。だが、まだ足りぬな。正直に申せば、私は貴殿らが山名に通じておるのではないかと疑っておる。貴殿らが誠に臣従すると信ずるに足るものが必要だな」
尼子家と山名家は長年に渡って敵対してきた間柄だったが、山名家は毛利家から圧迫を受けている現状を打破すべく、尼子家の遺臣と密かに手を結び、活動資金を援助している。その関係を鉢屋衆から聞いていた長政は、まずその点を問い質した。
「元より容易く信じていただけるとは思うてはおりませぬ。確かに、月山富田城を追われた後、我らが山名家の支援を受けていたのは事実にございます。ですが、山名右衛門督殿(山名祐豊)は昨年末の丹波侵攻に失敗するだけでなく、逆に南但馬の朝来郡と養父郡を赤井に制圧され、あまつさえ竹田城と生野銀山まで奪い取られる始末に、我らは山名家を見限った次第にございまする」
丹波の国人領主に過ぎない赤井直正に容易く撃退された上に、重要な財源である生野銀山まで失った。これ以上、山名家に身を寄せても尼子家の再興が叶うことはないと、鹿之助らは思い至ったのだった。
「ですが、これも方便と言われても仕方ありませぬ故、我らの覚悟をご覧に入れまする。我らの最後の拠り所である尼子孫四郎(尼子勝久)様を人質として浅井家にお預けいたしまする」
現在、尼子家の血を継ぐ男子は京の東福寺の僧として身を置いていたが、尼子家再興を目指す鹿之助らに擁立され、還俗した尼子勝久ただ1人になっていた。
尼子家再興の命綱である尼子勝久を預けようと言うのだから、鹿之助らの覚悟は長政にも伝わった。
「……良かろう。貴殿らの覚悟は確と分かった。浅井家は尼子家再興に力を貸そう。だが、貴殿らには他にも望みがあるのではないか?」
確かに山中鹿之助にはもう一つの願いがあった。長政に図星を刺されて鹿之助は、初めて余裕の表情が崩れた。
「……尼子家当主の右衛門督(尼子義久)様は毛利家に降伏した際に助命され、御家断絶は免れましたが、右衛門督様とご一族は安芸の円明寺に幽閉されておりまする」
「やはり右衛門督殿を救出したい、ということか?」
長政は尼子義久らが幽閉されていることも鉢屋衆から聞いて知っていた。
「左様にございまする。右衛門督様の救出に手を貸していただきたく存じまする」
「毛利は既に寺倉家と敵対しており、当家もいずれ戦う敵である故、微力を尽くそう。だが、必ず救えるとは限らぬ。右衛門督殿が毛利に殺されても恨むではないぞ?」
「無論にございまする」
こうして、山中鹿之助を始めとする尼子家の遺臣が浅井家に加わり、彼らは後の毛利家との戦いにおいて、獅子奮迅の活躍を見せることになる。
◇◇◇
中丹波を制圧した浅井長政は、次なる標的として丹後国に目を向けていた。
本来ならば西丹波を制圧して丹波国を平定したいところだったが、丹波は地形が複雑であり、浅井家は決して武勇に優れていない波多野秀治にさえも地の利を活かした奇襲を受け、煮え湯を飲まされたという苦い記憶がある。
ましてや昨年末に侵攻してきた山名軍をいとも容易く撃退し、返す刀で山名家の要衝であった竹田城や生野銀山までも攻め取る大戦果を挙げ、南但馬を制圧した丹波一の猛将、赤井直正が相手である。
波多野家は鉢屋衆のおかげで何とか討ち滅ぼせたものの、真っ向から黒井城に侵攻して赤井直政を大将に据える赤井軍と対峙するのは、軍師の沼田祐光もたとえ兵数で勝ろうとも些か分が悪いと踏んだのだ。
そこで、長政は内紛により2つに割れている丹後に目を向けた。丹後では一色家当主の一色義道と、元幕臣で式部一色家の一色藤長を担いだ一色家重臣の稲富直秀が対立していた。
一色家の存続を図るため浅井家に臣従した稲富派に対して、一色義道は「応仁の乱」でも共闘した山名家と結んで徹底抗戦を掲げていた。しかし、頼みの綱であった山名家が赤井軍に大敗を喫して支援どころではないことから、義道派の国人衆の多くが稲富派に鞍替えし、一色義道は苦しい状況に追い詰められていた。
一方、稲富家は前当主の稲富直時が昨年末に病死したものの、父・直時の薫陶を受けて優秀な現当主の稲富直秀は直後に浅井家に臣従し、浅井家から尼子家の遺臣らが援軍として派遣されると、3月上旬、稲富軍は本拠の弓木城から出陣する。
稲富軍と尼子家の遺臣は一色家の本拠である建部山城に電光石火で攻め入ると、孤立無援の一色義道は、家督を一色藤長に譲って隠居することを条件に降伏した。これにより丹後の内乱はついに鎮まり、浅井家は丹後国11万石を支配下とした。
こうして一色家は浅井家の山陰侵攻の一翼を担うことになり、赤井家との対決でも大いに活躍することとなる。
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