土佐一条家乗っ取り② 長宗我部の策謀

土佐国・岡豊城。


1月下旬。長宗我部家は切迫した状況に置かれていた。元親は中土佐の有力国人だった本山家を滅亡寸前にまで追い込み、降伏は間近であった。本山家を従えた後、東土佐の安芸家に攻め込もうと目論んでいた元親だったが、先に三好家に安芸家を掠め取られる形となり、両者は互いに牽制し合って膠着状態に陥っている状況だった。


「兄上、一条が三好と接触を図ったようにございます」


長宗我部家の当主・長宗我部元親は、三弟の香宗我部親泰の報告を聞いて歯を軋ませた。


「やはりか。覚悟はしていたが、最悪の事態だな」


長宗我部家にとって三好家が最大の脅威なのは間違いなかったが、ここに来ての三好家と土佐一条家の接触は、長宗我部家にとっては最も恐れていた事態だった。両家の間にある大きな敵対勢力は河野家と長宗我部家しかなく、普通に考えれば両家の狙いが長宗我部家であるのは明白だったからである。


「三好と一条に挟まれる形になれば、我らはひと溜りもありませぬ。早急に手を打つべきかと存じます」


親泰は落ち着いた様子でそう進言すると、元親は冷静に分析を始めた。


「うむ。一条は南予での戦いに勝利し、宇都宮を飲み込んだ故、もはや正面から討ち滅ぼすのは難しい。であれば、謀を巡らせるしかなかろうな。一条家を取り仕切る要は筆頭家老の土居近江守だ。奴を取り除くのは一条の崩壊を意味する」


土居宗珊は一条家に宗珊がいる限り、手を出すことはできないと言わしめるほどの、一条家の守護神とも言える知勇兼備の名将であり、暗愚な当主の一条兼定に支えて、実質的に一条家を取り仕切っていた。


「……問題はどうやって取り除くかですが、我らの素破は暗殺に何度も失敗しておりまする」


「そうだ。ならば、身内に手を下させるしかあるまい。左京進、一条の中村城城下に近江守が謀反を企てているとの噂を流せ」


「なるほど離間の計ですな。承知いたしました」


吉良親貞は元親の次弟で諜報活動に優れており、自ら進んで汚れ役を買って出るような献身的な武将である。親貞はニヤリと口角を上げると、元親の命令を承諾したのだった。



◇◇◇



土佐国・中村城。


2月中旬、一条兼定は城下で実しやかに流れているある噂を側近から耳にした。


それは「暗愚な一条兼定には南予を制して大きくなった一条家を治める能力がないため、一条家一門である土居宗珊が一条兼定を廃して、自分の子に家督を継がせようと企んでいる」という内容であったが、それは長宗我部元親の指示により素破が流した流言だった。


「近江守よ、お主に謀反の企みがあるとの噂を聞いた。これは真か?」


兼定はその流言を真に受け、土居宗珊を広間に呼び出して詰問していた。


(その流言は知ってはおるが、まさか殿はあのような戯れ言を信じておられるのか?)


土居宗珊は兼定の曾祖父で土佐一条家第2代当主である一条房家の末弟であり、土居家の養子に入る前は一条家忠と名乗り、筆頭家老として土佐一条家を取り仕切ってきた土佐一条家一門の重鎮である。


「全くの出鱈目にございまする。それは長宗我部か河野による謀略にございまする」


「ふん、謀反を企んでおる者は皆そう申すのだ。叛意を認めれば、ここで手打ちになることが分かっておるからな」


宗珊は主君からの思いも寄らない詰問に内心では驚きながらも、あくまで平静を保って毅然と返答するが、兼定はそれを鼻であしらった。


「殿、左様な流言などに惑わされてはなりませぬぞ! 某は一条家一門でございまする。謀反の企みなどするはずがございませぬ」


「近江守は我が幼少の頃から一条家に良く仕えてくれた。だが、此度だけは見過ごすことはできぬ」


土佐一条家が土居宗珊の手腕によって支えられてきたとは露ほどにも思っていない兼定は、宗珊の言い分にも全く聞く耳を持たず、尊大な態度で言い放った。


26歳の兼定は普段は温厚で教養も高く、知能も決して低くはない人物であり、1年前の兼定ならば流言など戯れ言と一笑に付していただろう。しかし、名門生まれ故に自尊心だけは人一倍高い兼定には、元々一度思い込んでしまうと頑なに己の意思を曲げようとはしなくなる頑迷さという短所があった。


そこに来て昨年、南予を制してからは、"自分が四国の西半分を治める大大名になるのだ"という自信過剰から、次第に高慢な性格へと増長しつつあった兼定は、"暗愚な自分には一条家を治める能力がない"という流言を耳にして酷く自尊心を傷付けられ、頭に血が上ってしまったのだった。そんな浅慮な性格こそが、兼定が暗愚と評される所以でもあった。


一方、そんな兼定とは対照的に、土居宗珊は誠実で人徳が高い人柄から家中から絶大な信頼を一身に集めており、土佐一条家随一の忠臣である宗珊に対して、主君の兼定が顔を紅潮させて詰問する様子を他の家臣らは冷ややかな目で見守っていた。


「若、近江守殿は一条家一門であり、一条家にとって無二の忠臣にございますれば、一時の感情のままに流されてはなりませぬ。今しばらく時を置いて冷静になられてから、もう一度考え直してはいかがでございまするか?」


だが、このまま放ってはおけないと、家臣の中で「仁井田五人衆」の一人、窪川俊光が激高して我を見失っている兼定に諫言した。


「外記、お主まで我に逆らうと申すか?」


「一度頭を冷やすべきだと申しているまでにございます。左様に頭に血が上った状態では、いくら聡明な左近衛少将様でも正しい判断を下せるとは思えませぬ」


「……誰が何を言おうと我の意思は変わらぬが、確かにお主の申すとおりやも知れぬな。近江守、追って沙汰を下す故、それまで屋敷にて謹慎を命ずる」


宥めるような俊光の言葉に、兼定は強張っていた肩の力を緩めると、ふっと小さく息を吐いて宗珊を一瞥し、さっさと広間を退出してしまった。


「外記殿、助けていただき、誠にかたじけない」


「いや、近江守殿が謀反を起こすはずなどございませぬ故、当然のことを申したまでにございまする」


これ以上反論すれば火に油を注ぎ、この場で手打ちにされかねないと、兼定の頑迷な性格を知る土居宗珊は途中から押し黙っていたが、窪川俊光のおかげでどうにか難を逃れると、俊光に礼を告げたのだった。

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