家族団欒と琉球の情勢

伊賀国・玲鵬城。


統驎城のある北近江では、今年の冬も厳冬だった昨年と同じくらいの大雪が積もったため、1月中旬、俺は例年どおり家族と重臣を連れて、冬の居城である玲鵬城に居を移した。


やはり伊賀は積雪量が幾分少ないせいか、伊賀に着くと領民が城下に総出で出迎えてくれて、石山本願寺との戦勝を祝われた。ただ気になったのは、俺に両手を合わせて神様を拝むような老人たちが多く見受けられたことだ。


どうやら伊賀では一向門徒は相当憎まれていたようだ。個人的には石山本願寺との戦いはあまり気分の良い結末ではなかったが、そんな俺の感傷などお構いなしに、石山本願寺を滅ぼした俺は仏敵どころか、まるで現人神扱いされ、お祭り騒ぎの歓迎ぶりだった。


「「新年おめでとうございまする」」


玲鵬城に到着すると、嵯治郎を始めとして中南伊勢、志摩、大和、南摂津、河内、堺、和泉の重臣たちが出迎えてくれ、年始の評定では統驎城と同じく"六雄"などの動向を説明した後、正月の祝宴が催されたのだった。




◇◇◇




その後、俺と嵯治郎の家族は一緒に温泉にゆったりと浸かりながら、家族水入らずで暫しの家族団欒を謳歌していた。


「兄上、阿幸の出産が無事に済んで、誠に良かったですね。嫡男でなかったのは残念ではありましたが」


昨年7月に浅井長政に嫁いだ妹・阿幸が女児を出産した。嵯治郎と俺は温泉上がりに二人で杯を酌み交わしながら笑顔で会話をしていた。


「嵯治郎、男だろうが女だろうが、子供は天からの授かり物だ。嵯治郎も梓穂が可愛いであろう?」


「それはもう、目の中に入れても痛くないほどに。ふふっ」


「阿幸も赤子も無事に生まれてくれただけで十分めでたい。新九郎も待ち望んでいた初めての子である故、さぞかし喜んでおるだろうな」


「それは間違いないでしょうね」


昨年の7月と言えば俺は石山本願寺攻めでそれどころではなかったが、8月には初孫の誕生の報せに喜んだ浅井巖應が休暇を貰い、初孫に会いに敦賀の金ヶ崎城に出向いたそうだ。


俺は子供ができた時、父親として家族を守らなければならないという責任感が生まれた。新九郎にも父親の自覚が生まれて、ますます仕事に精が出るだろうな。




◇◇◇




今日は久しぶりに晴れて暖かいので、玲鵬城の建つ低い丘の坂で毎年恒例のソリ滑りをして子供たちと遊んでいる。


「父上、楽しいです!」


今年は蔵秀丸も7歳になり、言葉遣いもしっかりしてきた。身体も平均以上に大きくなったので一人で滑るのを許すと、蔵秀丸は念願が叶って先ほどから年相応に大はしゃぎしている。息子の靖十郎が横で一緒に滑っているが、怪我しないかと傅役の箕田勘兵衛がハラハラしながら見守っているのが面白い。


「おとうさま! ソリたのしい! キャッ!」


「ちちうえ、ショリ! キャッ、キャッ!」


5歳になった瑞葵姫は俺の膝の上に乗せて滑っているが、ソリは大のお気に入りのようだ。あまりお転婆にならなければいいがと少し心配だ。それと、峰珠丸も4歳になったので、今年初めてソリ滑りを体験させたが、やはり男の子だな。少しも怖がらず、瑞葵姫と交互で何度もせがまれて滑っている。


一方、生まれたばかりの誠錬丸はもちろんだが、嵯治郎の娘の梓穂もまだ3歳でソリ滑りは危ないので、市や志波に抱かれて、従兄姉が楽しむ様子を大人しく見ているが、嵯治郎は来冬には梓穂を膝の上に乗せてソリ滑りをしたいと楽しみにしている。完全に親バカだな。




◇◇◇




1月下旬、家族団欒のひと時を過ごしながら、玲鵬城で政務を行う俺の元に、植田順蔵、服部半蔵、三雲政持の3人が訪ねて来た。


「正吉郎様、昨年の夏にお命じになられたバテレンの使者を尾行した者たちの一陣が帰還しました。バテレンの使者と護衛はマカオへ向かう船上で、無事に始末したとの由にございまする」


素破の棟梁が3人揃って来るとは何か一大事でも起きたかと心配したが、人払いして植田順蔵の言葉を聞いて、気が抜けたように胸を撫で下ろした。


「そうか、上手くいったか。帰還した素破たちは此処に来ておるのか? 来ておるならば呼んでくれ」


「はっ。おい、お主たち、此処へ参れ」


「「ははっー」」


服部半蔵が後ろに声を掛けると、3人の素破が現れて平伏する。どうやら志能便、伊賀衆、甲賀衆の3人一組らしい。


「3人とも難しい役目をよく成し遂げたな。大儀であった。後で褒美を授けよう」


「「ははっ、もったいないお言葉にございまする」」


その後、3人の素破から詳しい説明を受けると、追放されたフロイスは肥前の大名・大村家に庇護されている宣教師の屋敷に着くと、俺と会見した内容をトーレスとヴィレラに詳しく報告したようだ。


そして、翌日には使者と護衛の3人が博多へ出立し、俺の予想どおり博多でマカオへ向かう明の船に乗ったそうだ。素破たちは商人に変装して同じ船に乗船し、2日目の夜に夜陰に乗じて使者たちを始末し、遺体は海に沈めたと報告された。


「正吉郎様の読みどおりでございましたな。こちらはバテレンの使者が持っていた文にございまする」


三雲政持が感心したように言うが、史実を知っていれば大して難しい予想ではない。宣教師がゴアに宛てた手紙を開封すると、ポルトガル語の筆記体で書かれた文章が記されている。もちろん俺もポルトガル語は理解できないが、アルファベットの文なので音読はできる。ならば、文字を読めない弥助でも音読した文の内容を訳すことはできるだろう。


「文は後で何とか読み解くとしよう。……ところで、マカオに着いた後はどうした?」


「はっ、我らはマカオで南蛮の言葉を話せる明の孤児2人を見つけ、その後は三手に分かれ、我らは明の孤児を連れて琉球に向かいました」


弥助とその孤児がいれば、明や南蛮の言葉の習得が進みそうだな。


「そうか。明の孤児には後で会うとして、琉球の様子を聞かせてくれ」


「ははっ、琉球は都の首里にて尚家の王が代々治めており、最近は戦もなく平穏にございます。その所為か、琉球の常備兵の数は多くなく、槍や刀よりも、徒手で戦う者が目立ちました」


それは琉球拳法だな。空手の原形だろうな。


「琉球では鉄が貴重だから、殴る蹴るという戦法が盛んになったのだろう。民の暮らしぶりはどうだ?」


「はっ、琉球は野分(台風)が多く、赤土の土地が多いため米はあまり採れず、芋や魚が主食にございます。また、税も重いため、民の暮らしは日ノ本より貧しい様子にございますが、温暖なため家や衣服が粗末でも凍え死ぬことはないようにございます。ですが、首里の湊には日ノ本や明、南蛮の船が何隻も停泊し首里の町は大変賑わっており、琉球の商人は交易により大きく儲けている様子にございまする。こちらが首里の絵図にございまする」


そう言って素破の一人が地図を差し出した。なかなか上手く描けているな。


「琉球は明の朝貢国だ。朝貢国というのは明に貢ぎ物を贈って従属することにより、国王は明の後ろ盾を得て王権を確保する国のことだ。数年毎に明に贈る貢ぎ物は琉球にとってかなりの負担だが、大国の明は君主としてのメンツがあるので、返礼に貢ぎ物の数倍の価値のある品々を下賜し、琉球は下賜された品々を売って、大きな利益を得ているそうだ」


「なるほど。小国が生き残るための知恵、というところでございますな」


順蔵が納得したように頷いた。だが、南蛮人の侵攻を防ぐためには、いずれは琉球を日本の支配下に置き、できれば台湾まで制圧して南の守りを固めたいところだ。


「琉球には今後も素破を送って様子を探り、情勢を毎年1回報告させてくれ」


「はっ、承知いたしました」


順蔵は恭しく首肯した。

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