正月と六雄の動向①

近江国・統驎城。


永禄11年(1568年)元日。


「「新年おめでとうございまする」」


年が明けた。大広間には「寺倉六芒星」に加えて、「将星」や「六奉行」と呼ばれる重臣、さらには寺倉家譜代衆など、近江と西美濃、北伊勢の主だった重臣が参集し、俺は上座に座って年始の挨拶を受けた。この後は俺が年頭訓示をする今年最初の評定だ。


「うむ。新年おめでとう。昨年は和泉制圧に続いて、ついに最大の難敵だった石山本願寺を滅ぼすことができた。この寺倉正吉郎左馬頭蹊政、皆の忠勤に心より礼を申すぞ」


「「ははっ」」


「だが、今年は来月には紀州征伐を予定しておる。寺倉家にとっては本州に残る最後の強敵だ。皆も承知しているとおり紀州は守護の畠山家以外にも、高野山を始めとする寺社勢力や雑賀衆などの土豪が割拠し、険しい山地も多く、攻め滅ぼすのは容易なことではない。だが、紀伊を平定せねば日ノ本を平穏にすることはできぬ。今年も皆の奮励努力を期待するものである」


「「ははっー!」」


ここで例年だと、俺の年頭訓示の後は正月の祝宴に移るのだが、今年はまだ終わらない。俺は小姓の藤堂与吉と蒲生鶴千代に命じて、大広間の中央に特大の日本地図を広げさせると、地図を取り囲むようにして重臣たちを座らせた。


「我らが日ノ本の平定を目指すからには、重臣である皆にも他の"六雄"の動向を承知しておいてもらいたい。十兵衛、説明を頼む」


他の"六雄"の動向については、俺は既に植田順蔵から逐一詳細に報告されて知っている。その中には副将の明智光秀にさえも知らせていない内容もある。だが、今後は他の重臣たちにも"六雄"筆頭である寺倉家の一員として「我らが日ノ本を平定するのだ」という自覚を持たせるため、年始の評定で概略を説明する場を作ったのだ。


「はっ、では、まずは東から、奥羽を攻めている上杉家の動向ですが、上杉家には竹中家が援軍を送っておりまする。上杉家は会津と中通りを制圧した後、奥羽の諸勢力に調略を仕掛け、浜通りの相馬家や出羽の最上家を寝返らせることに成功しました。伊達左京大夫の兄が当主である岩城家は奮戦するものの、裏切った相馬家と常陸から佐竹家に挟撃を受けて、為す術もなく滅んだとのことにございます」


「うむ。この相馬と最上の寝返りや佐竹の侵攻は半兵衛が平三殿に授けた策略だ」


「誠に恐ろしい智謀ですな」


俺の言葉に小さく呟いたのは公安奉行の本多正信だ。どうやら半兵衛の策謀に刺激を受けたようだ。そろそろ文官仕事よりも戦場が恋しくなったかな?


「窮地に追い込まれた伊達家は陸奥から米沢に兵を集め、8月に上杉・竹中連合軍と決戦を行いましたが大敗し、大館城に篭りました。ですが、相馬や最上の離反や岩城の滅亡により士気も下がり切っていたため、大館城は僅かひと月で開城しました。伊達家は伊達左京大夫が切腹し、家督は三弟の留守六郎が継ぎ、生まれたばかりの左京大夫の嫡男・梵天丸が人質となる条件で降伏臣従したとの由にございます。伊達家の降伏により竹中家の援軍は一旦終了し、竹中家は対価として上野国49万石を譲渡されたとの由にございます」


だが、留守政景は輝宗の弟だが、梵天丸が元服する歳になっても素直に家督は譲らず、自分の子に継がせようとするだろう。権力は一旦握ったら簡単には手放したくなくなるものだからな。


「伊達家もさすがに御家断絶は避けたようですが、そうなると伊達家には御家騒動の火種が残り、将来の禍根となりましょうな」


俺と同じことを予想したのか、総務担当官の藤堂虎高が鋭い指摘をする。


「うむ。皆も承知しているとおり上杉家には峰珠丸が養子に入って後を継ぐという平三殿との約束だが、伊達家の御家騒動は避けるべきだな。左京大夫の嫡男が峰珠丸の2歳下ならば、峰珠丸の側仕えにして、将来は峰珠丸の右腕のような存在にすれば、上杉家の次代も安心だろう」


梵天丸こと伊達政宗は野心を抱かせずに、峰珠丸の腹心に育てたいところだ。


「では、上杉家は次は陸奥の葛西・大崎攻めでございまするか?」


陣中指揮官の大倉久秀が光秀に訊ねる。


「いえ、それが葛西家は南部家と同盟を結び、斯波や稗貫、阿曽沼、和賀といった北陸奥の小勢力を糾合して兵を集めている他、敵対していた大崎家とも一旦和睦し、上杉家に徹底抗戦する構えにて、上杉家は陸奥の制圧を先送りするようにございます」


「となると、出羽に侵攻すると?」


「左様。出羽の大名は小野寺、大宝寺、安東くらいですが、いずれも陸奥の大名に比べて小勢力で、それ以外は国人や土豪ばかりの烏合の衆でございます故、出羽から制圧するのが得策かと存じまする」


「それに、弱小の国人や土豪には戦わずに降伏臣従する者も多いだろう。出羽は広いが、平三殿ならば力尽くで根切りするまでもなく、今年中に出羽を制圧するやもしれぬな」


「なるほど、左様にございますか」


横から訊ねたのは大垣城城代の朝倉景紀だ。景紀は今年64歳になるが、まだまだ元気だな。朝倉家は出羽とも交易していたから関心があるようで、俺が補足説明した。


「十兵衛、次は織田家の状況を頼む」


「はっ。織田家は北条家を攻めておりますが、9月に北条助五郎(北条氏規)殿が守る伊豆の韮山城が開城したことにより、伊豆国の平定が成ったとの由にございます」


「助五郎殿の身柄は如何なりましたでしょうか?」


「助五郎殿は捕虜となり、無事とのことにございまする」


明智光秀の説明に一早く声を上げたのは、公事奉行の今川氏真だ。そう言えば北条氏規が駿河で人質だった頃に友人関係だったな。氏規が助命されたと知って、氏真は安堵の表情を浮かべている。


ところで、伊豆国は山地が多いため石高は低いが、土肥金山など未発見の金山が幾つかある。だが、わざわざ教えずともじきに見つけることになるはずだ。史実では土肥金山はもうじき発見される頃なので、伊豆を得たのは織田家にとって財政的に美味しいだろうな。


「その後、織田軍は幾つかの部隊に分けて支城を攻め落とし、9月に3万の兵で小田原城を包囲したようです」


「小田原城は上杉家の関東出兵の際に10万の兵で包囲されても落ちなかった難攻不落の名城と聞き及んでおりまする。正吉郎様、3万の兵で落とせるのでしょうか?」


光秀が小田原城の包囲が始まったと伝えると、財政担当官の堀秀基が俺に訊ねてきた。


小田原城に加えて、伊豆と河東の所領を失う前の北条家は、相模・南武蔵・上総と合わせて100万石近い石高の勢力を誇っていたのだ。北条は安房の里見家など敵対する周辺大名の動きを警戒しながらも、1万5千の兵が小田原城に詰めている状況だ。


その里見家は関東屈指の水軍を用いて大国の北条と永く渡り合ってきたが、だからといって織田家に与して"六雄"の下に付くつもりもないらしい。関東の他の勢力も似たようなもので、静観を決め込んでいる。


鎌倉時代から続く古い家柄の多い関東の大名たちは、今でも幕府や古河公方に所領を安堵された"御恩"に対する"奉公"の観念が残っており、以前の上杉家の関東侵攻でも、関東管領という権威があったからこそ上杉家に味方していたのだ。


したがって、下剋上の成り上がり者である北条家や織田家に味方するなど、彼らにしてみれば言語道断ということらしい。所詮は天下の趨勢が読めない小大名たちだな。


「南蛮船の艦砲射撃や大鉄砲がなければ、3万程度では小田原城は落とすのは無理だ。三郎殿は上杉家への援軍が終わった竹中家に援軍を求めるべきだろうな」


現状の織田家単独の兵力では小田原城を攻め落とす力はないと俺は告げた。既に俺は信長に手紙を送り、半兵衛に援軍を要請し、半兵衛の知略に頼るべきだと伝えてある。後は、信長がメンツに拘らずに援軍を求める決断ができるかどうかだろうな。

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