三丹惑乱と三木の干殺し

丹波国・八木城。


一方、山陽・山陰の各地でも戦が繰り広げられていた。5月に宇津家を滅ぼし、川勝家を従えた浅井軍は八木城に留まり、東丹波に残る弱小国人に臣従を促した。宇津一族の処刑と川勝家の臣従を知った国人衆は、"六雄"の浅井家に抗うことの愚かさを悟って次々と服従し、浅井長政は東丹波を手中に収めた。


10月上旬、浅井軍は2万の大軍で八木城を出陣し、中丹波の波多野家が治める八上城へと進軍した。


英君と称えられた波多野稙通が築城し、波多野家の本拠の八上城は「丹波三大山城」の一つであるが、稙通の子で暗愚だった波多野晴通は10年前に松永長頼の侵攻に討死した。しかし、流浪の身となった晴通の弟・波多野元秀は西丹波の赤井直正の支援を受け、内藤宗勝(松永長頼)が戦死した隙を見て、2年前に八上城を奪還している。


その後、八上城奪還の念願が叶った波多野元秀は今夏に病死し、今は元秀の子・波多野秀治が当主を継いだ。秀治としても亡き父が苦難の末に奪還した八上城を奪われまいと、3千の兵で堅牢な八上城に籠り、頑強に籠城していた。


一方、西丹波を治める"丹波の赤鬼"こと赤井直正は盟友の波多野家から救援要請を受けて出陣するも、但馬と因幡に勢力を持つ「四職」の名門・山名家が直正の留守を狙い、動き出した。


「"赤鬼"のいなくなった今こそ、西丹波を奪う好機だ」


山名家当主の山名祐豊は、浅井家の攻勢を受ける丹波を見て美味しい狩場だと思ったのか、赤井直正が黒井城を出陣した隙に西丹波へ侵攻を開始した。


「空き巣狙いとは名門とは思えぬ野盗の振舞いだな。我らが山名ごとき弱兵に後れを取るはずなどあるものか! 山名には西丹波を土足で踏みにじった報いを受けさせようぞ!」


しかし、丹波一の猛将である赤井直正は山名軍の侵攻の報せを受けるや否や激怒して反転し、いとも容易く山名軍を撃退したのである。それどころか、敗走する山名軍を追撃して但馬に逆侵攻し、瞬く間に竹田城と八木城を落として南但馬の朝来郡と養父郡を制圧し、生野銀山まで奪い取ることに成功した。


だが、赤井軍は山名家との戦いで2ヶ月も費してしまい、南但馬を制圧した時には既に12月中旬となっていた。急いで波多野家の救援に向かおうとする赤井軍の前に、運悪く例年よりも早い初雪となる大雪が降ってしまう。大寒波の到来で八上城への行軍が不可能となり、赤井直正は波多野家への援軍を雪解けまで諦めざるを得なくなるのだった。


一方、八上城を包囲する浅井軍は、波多野家が籠城する間に周囲の支城を落とし、日和見する弱小国人に対して調略を仕掛け、八上城以外の中丹波を押さえることに成功していた。ここで宇津家と川勝家に行った飴と鞭の処分が大きな効果を発揮していた。


「この大雪では波多野も打って出られず、赤井も援軍に来られまい。その間に八上城を攻略したいところだが、上野之助、何か策はないか?」


「ならば、冬の間に素破を八上城に忍び込ませ、兵糧を焼かせてはいかがでしょうか?」


「うむ。兵糧を焼けば、波多野も降伏勧告に応じるか打って出るしかあるまいな」


沼田祐光が策を具申すると、浅井長政は頷いた。


「それと今の内に、2つに割れている丹後に調略を仕掛けてはいかがでしょう。 丹後では一色家当主の一色式部大夫(一色義道)と、重臣の稲富相模守(稲富直時)が式部一色家の一色式部少輔(一色藤長)を担いで対立しております」


「丹波を平定した後は丹後攻めとなるが、……確か一色式部大夫は山名家と結んでいたな。では、式部大夫に対抗するための支援を条件に調略すれば、稲富相模守は我らに臣従する見込みが高そうだな。稲富家には鉄砲に優れた者が多い故、是非とも味方にしたいところだ」


「では早速、稲富相模守に使者を送りまする」


こうして、浅井家は丹後侵攻の布石を打つのであった。




◇◇◇




播磨国・三木城。


一方、蒲生軍は6月から別所家が籠城する三木城を2万の兵で包囲していた。三木城には別所家に味方した龍野赤松家や東播磨の国人衆の援軍を加えて1万の兵たちが籠っており、何度か城攻めを仕掛けたものの撥ね返され、戦況は停滞していた。


「山城守様。名将・別所安治が守る堅固な三木城を力で攻め落とすのは、徒に兵を失うだけかと存じまする。三木城に籠る者の中には国人衆の妻子や戦えない領民も多く、食い扶持が増えますれば、ここは兵糧攻めをすべきかと存じまする」


東播磨で別所家に同調した勢力は全体の4分の3を占めており、三木城には国人衆の兵以外にも妻子や戦闘能力のない領民、浄土真宗の門徒なども多数含まれていた。そこで、黒田官兵衛は三木城の兵糧を無駄に消費させる兵糧攻めを蒲生忠秀に進言した。


「うむ。では、敵の戦意を挫くために三木城周辺を青田刈りさせるとしよう」


「それは名案でございまする」


黒田官兵衛の策を受け入れた蒲生忠秀は、8月に三木城周辺の田畑の稲を青田刈りし、加古川や山道の補給路を断つと、三木城の支城を一つずつ落としていった。


補給路を断たれた別所軍はさすがに動揺した。別所安治は慌てて毛利家に密かに使者を送り、臣従する代わりに兵糧の支援を要請した。


しかし、毛利元就は「木津川口の戦い」の大敗に加えて、備前での三村家の敗北、九州で大友家の動きがきな臭いこと、さらに戦前の別所家が毛利家の誘いを無視したことから、今さら臣従を願うのは身勝手すぎて信用できないと、無情にも要請を拒絶したのだった。


一方、蒲生忠秀は幾度も三木城に使者を送って降伏勧告するものの、別所安治は「四職」の名門・赤松一族の矜持から、下剋上による成り上がり者である蒲生家に降伏するのを頑なに拒み続けた。


11月に入ると、戦えない女子供や老人まで飢えさせるのが忍びなくなった別所安治は、口減らしするために城外に出した。蒲生忠秀は痩せ細った彼らを哀れに思い、温かい雑炊を提供すると、領民たちは涙を流して貪るように食べ、これまで敵対していた蒲生家に対して感謝と忠誠心を抱くことになる。


だが、それでも三木城には7千の城兵が残っていた。12月中旬、東播磨にも大雪が降り、三木城は深い雪に閉ざされた。食料支援を得られない別所軍の兵糧が底を突くのはもはや時間の問題であり、死を待つばかりの"干殺し"状態となるのだった。


「弾正忠よ」


「はっ」


三木城の本丸で別所安治から弾正忠と呼ばれた将が前に歩み出た。彼の名は淡河定範と言い、安治の妹が嫁いでいるため安治の義弟であり、重臣筆頭として家中の信頼も厚く、別所家をまとめ上げてきた将である。


「寿治郎を連れて紀伊へ落ち延びよ」


「な、それは!」


「蒲生に負けるつもりなど毛頭ないが、このままでは全員飢え死を待つばかりだ。嫡男の小三郎は既に元服を終えたが、寿治郎は未だ童だ。このまま死なせて別所家の血を絶やすのは避けたいのだ。弟の妻は畠山家の出である故、頼れば匿ってくれよう。これを頼めるのはお主しかおらぬ。頼まれてはくれぬか?」


寿治郎は別所安治の次男で後の別所友之であり、神童の片鱗が垣間見えると家中から多大な期待を受けていた。


「……」


淡河定範は黙ったまま首肯しない。ここで主君を見捨てて逃げたくなかったからだ。だが、藁にもすがるような安治の目を初めて見た定範は今生の別れを悟り、ひと筋の涙と共に徐に首を縦に振った。


「弾正忠よ、今までよく仕えてくれたな。礼を申すぞ。これからは寿治郎の傅役として別所家の再興を支えてくれ。宜しく頼む」


「はっ、しかと承りました。この身に代えても寿治郎様をお守りして立派な武将に育て、別所家を再興いたしまする」


その夜、寿治郎を連れた淡河定範は僅かな共と共に、闇夜に乗じて裏道から三木城を脱出すると、加古川を舟で下り、紀伊国へと落ち延びたのだった。

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