伊達家の降伏
出羽国・館山城。
9月20日。籠城してから1ヶ月半経過した館山城では、「米沢の戦い」の敗北に加えて、岩城家の滅亡と最上家の寝返りにより、伊達軍の将兵の士気は下がり切っていた。既に2度の城攻めがあり、上杉軍の攻撃が手心を加えたものだったため辛うじて撃退はしたものの、今や戦える城兵は千も残っておらず、それに加えて堅固だった館山城の城壁も大部分が壊され、城門も傷ついていた。次回の城攻めで落城するのは誰の目にも明らかであり、敗戦ムードが館山城を覆っていた。
そして今日、上杉家から降伏勧告の使者が来て、明朝に降伏開城しなければ、すぐに城攻めを行い、伊達家の存続は認めず一族郎党を滅ぼすとの最後通告があったのだった。最後まで戦って滅びるか、降伏条件を飲んで伊達家を存続させるか。大勢が決した状況とあっては、伊達家当主として輝宗がどちらを選ぶべきかは明白だった。
武家にとって御家存続は何よりも大事であり、自分の代で御家を滅ぼせば冥土で御先祖様に会わせる顔がないと、事ここに至って覚悟を決めた輝宗は、本丸の大広間に重臣らを集めた。
「皆の者。明朝、伊達家は上杉に降伏する。私は上杉の侵攻を退けることが出来なかった。信頼していた最上や相馬にまで裏切られるとは、偏に私の至らなさによるものだ。伊達総次郎輝宗、これまで仕えてくれた皆の忠義に心から礼を申すぞ」
「「総次郎様!……う、ううっ」」
「「無念にございまする。……ううっ」」
輝宗が明朝降伏する旨を告げ、上座から頭を下げて重臣たちに感謝の意を示すと、重臣たちは主君との別れに嗚咽を漏らし始める。
「私が死んでも伊達家は残る故、後を追うのは許さぬ。今後も伊達家を支えてくれ」
輝宗はそう言って殉死を禁じると、重臣たちと別れの盃を交わした。重臣たちは皆、滂沱の涙を流し、己の無力さを呪うばかりだった。
しかしながら城内に残る兵糧にはまだ余裕があったため、豪勢な料理と酒が振る舞われ、しめやかな別れの宴となった。
「認めたくはないが、これから日ノ本には"六雄"の時代がやって来る。私と父上は伊達家の行く末を見届けることはできぬが、六郎がおれば伊達家は安泰よ。六郎、明朝、私と父上の首を持って、義と梵天丸を連れて上杉の本陣へ参じるのだ。後のことは頼んだぞ」
輝宗は三弟の留守政景、改め伊達政景に伊達家の家督を譲り、後事を託した。
上杉家からの降伏条件には、「一、当主・伊達輝宗と前当主・伊達晴宗の首を差し出すこと。二、伊達家の家督は留守政景が継ぐこと。三、嫡男・梵天丸を人質として出すこと。四、領地は改易すること。五、以上を受け入れれば伊達家の御家存続を容認すること。」と提示されたためである。
「……はっ、兄上。梵天丸が元服するまで伊達家を守ることをお誓い申し上げまする」
伊達政景は19歳とまだ若いが、梵天丸が元服するまで伊達家の当主を引き継いだ。
「意休斉。梵天丸の養育を頼んだぞ」
「ははっ。必ずや梵天丸様を伊達家当主に相応しい武将に育てまする」
生まれたばかりの梵天丸は上杉家に人質として預けられることになるが、傅役として片倉意休斉景親を任じ、側仕えとして甥の片倉小十郎景綱、乳母に姪の片倉喜多が付けられることになった。
一方、輝宗の父・晴宗は隠居の身ながら依然として伊達家で強い発言力を持っていたが、なぜか今夜は一言も発しようとはしなかった。
「父上、力及ばず申し訳ございませぬ。……やはり伊達家は孫次郎兄上が継ぐべきだったと存じまする。兄上が当主ならば、このような事態にはなっておりませなんだ」
輝宗と晴宗は実権を巡ってしばしば諍いを起こし、親子仲は冷え込んでいたが、上杉家の侵攻が始まってからは親子喧嘩を続けている訳にも行かず、表向きは和解していた。だが、伊達家が滅亡寸前まで追い詰められた今になって、ようやく親子仲は修復されつつあった。
しかし、そもそもの不和の原因は晴宗が長男の親隆を岩城家に養子に出したことにあった。岩城家を従属させるためとは言え、本来は親隆は嫡男として伊達家を継ぐべき長男であり、輝宗の目から見ても5歳上の親隆の方が人格や文武共に伊達家当主として相応しい器量を有していたためだ。
だが、早急に伊達家の後ろ盾を必要とした岩城家の都合により養子縁組の約定を結んだ結果、次男ながら棚ぼたで伊達家を継いだ輝宗は、ずっと兄の親隆に対して後ろめたさを抱き続けていた。さらにこの2ヶ月間は、相馬と佐竹に挟撃された兄に援軍を送ることもできずに見殺しにしてしまったという罪悪感に、輝宗は夜毎に苛まれていたのである。
「いや、左様なことはない。総次郎、お主は立派な伊達家当主であったぞ。たとえ孫次郎が当主であっても結果は同じだったであろうて。むしろ、この状況を作った最大の原因は儂にあろう。亡き父上との諍いから『天文の乱』で長きに渡って奥羽を乱した結果、伊達家の権勢を衰えさせた挙句に諸大名の足並みが揃わず、伊達家が窮地に追い込まれたのだからな。奥羽が一致団結しておれば、たとえ相手が上杉だろうと打ち破れたであろうに、口惜しい限りよ。……儂の不始末の責めを総次郎に負わせてしまい、誠に済まぬな」
元はと言えば、奥羽の諸大名の間に不信を生み出し、上杉に対抗しうる戦力の結集を妨げたのは、晴宗と父・植宗の巻き起こした「天文の乱」が最大の要因であるのは紛れもない事実だった。
「我らは愚かだったのでしょうな」
輝宗が絞り出すように声を発すると、晴宗も自嘲気味に応える。
「ふっ、人など皆愚かなものよ。小さな領地を巡って血みどろになって相争う。こんな愚かで滑稽なものなどなかろう」
「ですが、これからは"六雄"がこの日ノ本を治めまする。伊達家はこの先どうなるのか、某は正直不安でなりませぬ」
伊達家を継ぐ弟・政景の手前、不安を煽るような言葉を発する訳にも行かず、御家は安泰だと言って先ほどの場を収めた輝宗だったが、晴宗と二人だけとなった今は、伊達家の先行きへの不安を吐露せずにはいられなかった。
「伊達家は不滅よ。何度潰ようとも必ず立ち上がる。たとえ"六雄"の世となろうとも、だ。梵天丸の目を見たか? あの目は常人のそれではないぞ。梵天丸が当主となった暁には、伊達家は再び雄飛するはずだ。我らはそれを天から見守ることしかできぬがな」
晴宗が晴れ晴れとした表情で告げると、2人は死を目前にしてようやく和解に至った。
「……左様ですな」
翌朝、2人は親子として別れの盃を交わすと、揃って切腹した。2人の死に際の表情は、穏やかそのものだったという。
そして、伊達家当主を継いだ伊達政景は2人の首を持って、梵天丸を抱いた義姫や傅役の片倉意休斉らを連れて、上杉輝虎の待つ上杉軍の本陣へと参じた。
ここに「奥州の覇者」伊達家は上杉家に膝を屈し、ついに降伏臣従したのである。
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