梵天丸誕生と米沢の戦い

「奥州の覇者」伊達家。


史実では、戦国時代末期に"独眼竜"こと伊達政宗によって奥州をほぼ統一するに至った伊達家だが、上杉・竹中連合軍の猛攻の前に今や伊達家の命運は風前の灯となり、政宗の台頭を待つことなく、伊達家は今まさに滅亡の危機を迎えようとしていた。


蘆名家、相馬家、大崎家、葛西家といった奥羽の有力勢力が伊達家に一致協力し、"侵略者"である上杉家に当たっていれば、少しは勝ち目があったかもしれない。だが、「天文の乱」で一度粉々に砕かれた信頼関係は容易く修復されることはなく、20年経った今もなお、その怨恨は残っていた。


伊達輝宗は岩城家と対立する相馬家と同盟を結び、上杉家と対抗しようとしたものの、上杉家は伊達家に先んじて奥羽の諸勢力に調略を仕掛け、内密に相馬家や最上家を寝返らせるに至っていた。


5月上旬に上杉・竹中連合軍3万が伊達領の信夫郡と伊達郡に電撃的に侵攻すると、すぐさま伊達輝宗の長兄で岩城家当主である岩城親隆は、伊達家の救援に向かった。しかし、突如寝返った相馬軍に背後から急襲され、岩城軍は援軍どころではなくなったが、それでも岩城親隆は長年争って来た相馬軍に敢然と立ち向かい、奮戦を見せた。


だが、その数日後、岩城親隆の留守を狙って、南の常陸から佐竹義重率いる佐竹軍が突如として岩城領へ侵攻したのだ。実はこれも上杉家から佐竹義重に出陣を促す調略による結果であった。


佐竹軍侵攻の報を受けた岩城親隆は、もはや相馬軍と戦っている訳には行かなくなり、大急ぎで居城の大館城へ退却した。しかし、間もなく大館城は侵攻してきた佐竹軍と、退却した岩城軍を追撃してきた相馬軍とに南北から挟撃される窮地に陥ったのだった。


大館城を挟んで磐城平の南北に佐竹軍と相馬軍が対峙すると、相馬盛胤と佐竹義重は当主会談を行い、両軍が共同して岩城家を攻め滅ぼした後は、磐城平の中央を東西に流れる夏井川を両家の境界とすることで合意した。


その結果、相馬・佐竹連合軍に攻められるという最悪の事態に直面した岩城親隆は7月下旬、大館城で2ヶ月半に及ぶ籠城戦を繰り広げた末に奮闘虚しく討死し、岩城家は滅亡に至ったのである。


◇◇◇


出羽国・館山城。


「おぎゃ、おぎゃ、おぎゃあ! おぎゃあぁー!」


8月上旬、米沢の西の山上に建つ館山城の本丸に、元気な赤ん坊の泣き声が響き渡った。


「おめでとうございます! とても元気な男の子にございます!」


「それは真か! 父上、嫡男の顔を見に参りましょう」


侍女からの男児誕生の報せに、静まり返った居室で数時間も落ち着きのない様子で、うろうろと行ったり来たりを繰り返していた伊達家当主・伊達輝宗は、大喜びで奥へ足を運んでいった。


「儂も孫次郎が生まれた時にはあのような様子であった故、仕方あるまいな。さて、儂も義を労ってやらねばな」


すると、近くで静かに座って待っていた輝宗の父・伊達晴宗はぼやきながらも、穏やかな笑顔を浮かべて後を付いていった。


「義、でかしたぞ! よくぞ男の子を産んでくれたな」


伊達輝宗は泣き疲れて眠る赤子を抱くと、最上義守の娘である正妻の義姫を労った。


「総次郎様、ありがとうございます。名前は何と名付けますか?」


「この子の幼名は既に決めてある。"梵天丸"だ。梵天とは仏教の創造神の名前だ。どうだ、良い名であろう?」


「はい。この子にはきっと御仏の加護がございましょうね」


義姫が満面の笑みを浮かべながら答える。この日の伊達家は、戦時とは思えないほど穏やかな空気に包まれていた。


「うむ。梵天丸よ。孫次郎兄上のような立派な武将に育って、伊達家を繁栄させてくれ。頼んだぞ」


館山城に長兄・岩城親隆の訃報が伝えられた直後に生まれた我が子に、まるで敬愛する兄が生まれ変わったかのように感じた伊達輝宗は、腕の中で眠る赤子に優しく語り掛けた。


一方、そんな輝宗を見つめながら、伊達晴宗は将来の伊達政宗となる孫の誕生にもどこか寂しそうな小さな声で一人呟いた。


「これで伊達家の血を残すことは叶いそうじゃの。……孫の成長を見届けられぬのが心残りではあるがのぅ」


晴宗はどこか達観した面持ちだった。まだ一切の諦念を持たず、力を合わせれば上杉を打倒できると信じて疑わない輝宗とは正反対である。


そしてこの慶事を境に、伊達家は更なる窮地に追い込まれることになるのだった。


◇◇◇


一方その頃、伊達輝宗が伊達家の本拠である米沢での上杉軍との決戦に備えるため、7月に領地である陸奥の柴田郡、名取郡、宮城郡、黒川郡から米沢に将兵を集めさせた結果、8月上旬には上杉・竹中連合軍は兵が減った柴田郡、名取郡、宮城郡、黒川郡の4郡12万石をいとも容易く制圧し、伊達家の領地は出羽の置賜郡の8万石足らずとなっていた。


そして8月中旬、上杉・竹中連合軍は大崎家と葛西家に対する抑えの兵を残すと、岩城家を滅ぼした後に上杉家に臣従した相馬家の兵2千を糾合し、総勢2万4千の兵で板谷街道を通り、ついに米沢盆地の南から置賜郡に攻め入った。


伊達輝宗は陸奥と出羽・置賜郡から集めた全兵力8千を米沢の中心にある米沢城を囲むように布陣し、3倍もの上杉・竹中連合軍との決戦に臨んだのである。だが、この「米沢の戦い」はあっけなく決着が付くことになる。


「申し上げます。最上八楯と最上出羽守(最上義守)様が寝返りました!」


「な、何だと! 出羽殿が……娘を見殺しにするおつもりか!」


伊達軍と上杉・竹中連合軍との戦いが始まると間もなく、北の最上郡に領地を持つ国人領主の天童家を始めとする「最上八楯」だけでなく、伊達輝宗に義姫を嫁がせている最上家までもが上杉・竹中連合軍に寝返ったとの一報が、本陣の米沢城にもたらされた。


輝宗は憤怒に声を荒げながら、最上義守を非難した。そんな輝宗とは対照的に、妻の義姫は怒ることはなく、哀愁漂う儚げな表情で受け入れた様子であった。無論、義姫も自分が父親に切り捨てられたという自覚はあったものの、これも戦国の世の習いだと割り切っていたのである。


輝宗は妻・義姫の実家である最上家が裏切ったからと言って、梵天丸の母である義姫を殺したり追放するつもりは毛頭なかったが、伊達家との婚姻同盟を破り捨てた最上義守を断じて許す訳には行かず、それが輝宗の闘志をさらに燃やした。


だが、現実は残酷であった。最上家の寝返りによって伊達軍の将兵の士気が著しく低下したのだ。その結果、3倍もの上杉・竹中連合軍の攻勢を自軍だけで受け止めることになった伊達軍はすぐに劣勢に立たされ、一方的な敗北を喫したのである。


野戦で決着をつけようと米沢城を決戦の場とした伊達輝宗だったが、防御力に劣る平城の米沢城をやむなく放棄すると、2千の兵で堅固な山城である居城の館山城に退却し、籠城するのであった。

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