韮山城の戦い
伊豆国・韮山城。
一方、東の伊豆では、6月末に織田軍1万5千は東駿河の河東の地を制圧すると、7月には伊豆に侵攻し、北条家の伊豆支配の中心地である韮山城に攻め寄せた。
90年ほど前に堀越公方の家臣によって築かれた韮山城は、伊勢盛時(北条早雲)が2代目堀越公方の足利茶々丸を攻め滅ぼすと、北条家の本拠となった。その後、早雲は伊豆半島の中心に位置する韮山城を整備改修すると、伊豆国の支配を進め、後年に相模を奪った後も早雲自身は小田原城には移らず、没するまで韮山城を居城とした。
今この韮山城を守るのは北条早雲の曾孫であり、北条家3代目当主・北条氏康の四男・北条氏規であった。かつて人質として今川家に送られた氏規は、駿府で数年間過ごした後に北条家に帰還した。氏規は一時は三浦半島の支配拠点であった三崎城の城主となったが、武田家が駿河に侵攻すると、三国同盟破棄を黙認する対価として譲られた河東の地を滞りなく治めるため、韮山城に移った経緯がある。
北条氏康が氏規を韮山城の城代に据えた差配には、武田家が今川家を滅ぼした後に起こるであろう織田家と武田家の対立を見越して、一方的に三国同盟を破棄した武田家が、次は北条家を攻めてくるのを警戒し、智謀と武勇に優れる氏規に伊豆と河東の防衛を担わせる意味合いが大きかった。
韮山城を抜かれれば伊豆は織田家の手に落ち、小田原城まで織田勢が押し寄せることになる。韮山城で織田勢を撃退して河東の地を奪回し、あわよくば駿府を得る、という方針で北条家は一致団結していたが、客観的には甘い見込みと言わざるを得ない戦略だった。
氏規は徹底抗戦の姿勢を貫き、韮山城の4千弱の城兵を率いて籠城し、4倍もの織田軍に対して果敢に奮戦を繰り広げた。
だが、織田軍は6月に河東の地を攻めた時点では1万5000の本隊だけだったが、伊豆に侵攻すると8月には後続で幾つかの別働隊が加わり、総勢は3万を超えた。織田家は背後の竹中家と寺倉家とは強固な同盟で結ばれているため、全兵力を動員できたというわけだ。
織田軍本隊が韮山城を包囲する間に、別働隊は箱根峠を守る山中城と箱根の鷹之巣城という箱根越えの要衝を守る小田原城の支城を同時に攻め立てた。山中城を守る松田康長が討死し、山中城と鷹之巣城が3日で落城したとの報せが入ると、北の足柄峠にある足柄城の守将は戦わずして小田原城守備軍に合流し、足柄城も落城に至った。
小田原城の西を守る3つの支城が落城したのを知った韮山城の将兵たちは、織田軍本隊に包囲されたまま伊豆に孤立する事態となったため、明らかに動揺して士気が低下し、城代の北条氏規は苦境に陥ってしまう。
9月初旬、そんな韮山城の北条氏規の元を、織田軍から降伏勧告の使者が訪ねた。
◇◇◇
「尾張守様、申し上げます! 今月15日、寺倉左馬頭様が石山本願寺を根切りにして滅ぼし、焼き払ったとの由にございまする」
少し前の8月末、織田信長の元に石山本願寺滅亡の一報が届いた。
「ほぅ、正吉郎も日ノ本を統べるためには、死屍累々の山をも踏み越える覚悟をしたか。ならば我も小田原城を焼き討ちしてでも北条を下さねばな。いつまでも韮山城に手間取っている暇などあるまいぞ」
「尾張守様、畏れながら申し上げまする! どうか拙者を使者として韮山城へ遣わせてくだされ。必ずや北条助五郎(氏規)殿を説き伏せ、韮山城を開城させて見せまする」
短気な信長が一斉攻撃の指示を下そうとしたその時、降伏勧告の使者に名乗り出たのは安部元真だった。
安部元真は元は今川家臣であり、武田家の駿河侵攻においても最後まで抵抗を続けた忠義の老臣である。今川家が滅亡した後も武田家の勧誘を拒み、自領の安部谷で抵抗を続けたものの、やがて武田家が引き起こした一揆によって安部谷を追われた。
流浪の末に織田家に仕官し、武田家への復讐という宿願を果たした老境の元真は、その恩から織田家に身を埋める決意をし、最後の奉公としてこの北条攻めにも参陣していた。北条氏規とは人質時代に駿府で交流した旧知の仲、というよりも昵懇の間柄であり、元真は氏規を助命するために降伏勧告の使者に名乗り出たのである。
「既に使者は何度も送ったが、……大蔵尉、できるか?」
「ははっ、もし開城が成った暁にはこの老将の皺がれ首を差し上げまする故、どうか助五郎殿の命をお救けくだるよう、伏してお願いいたしまする」
「であるか。……二度はないぞ」
元真は氏規の助命を信長に自ら懇願した。信長は当初は氏規を助命しないつもりだったが、高齢のため自らの余命を察した元真が自らの首を差し出すと告げると、情に脆いところのある信長が折れることになった。
◇◇◇
「助五郎様、一別以来にございまする。息災のようで、拙者も嬉しく存じまする」
「誠に久しいの。大蔵尉(安部元真)殿も息災のようで何よりだな。よもや大蔵尉殿が織田に仕え、敵同士として見えることになろうとは思わなんだが」
「この状況を見て敵同士と思う者などおりませぬぞ。はっはは」
韮山城の本丸の一室は緊張感には包まれながらも、旧知の2人の再会とあってどこか弛緩した空気が漂い、ピリピリとしていた北条家臣も穏やかさを取り戻していた。
しばらく昔話に花を咲かせた後、急に表情を引き締めた氏規は徐に切り出した。
「さて、大蔵尉殿。名残惜しいが、昔話はこれくらいにいたそう。察しは付いているが、織田殿が望む条件をお聞かせ願おう」
「此方が望む条件は、韮山城の開城のみにございます」
「ほう、我が首と城兵の命は要らぬと申すか?」
条件として自分の首くらいは要求されるだろうと覚悟していた氏規は、意外そうに声を上げる。
「左様。助五郎様と城兵には武器を預かり、捕虜になっていただきまする」
「慈悲を掛けたつもりか?」
氏規は鋭い視線で元真を射抜く。
「いえ、そんな訳ではございませぬ」
狼狽とまではいかないが、目を逸らして否定した安部元真を見て、氏規はすぐに大凡の事情を察して、溜息を吐いた。
「ふっ。貴殿は相変わらず嘘が下手だな。……私を北条家ではなく、今川家の御一家衆として接してくれたのは、亡き治部大輔様(今川義元)と彦五郎殿(今川氏真)、そして貴殿くらいだ」
北条氏規は今川義元の妹である瑞渓院と北条氏康との間に生まれた子であり、今川家の嫡男・氏真には兄弟はなく、有力な一族も少なかったため、人質として今川家に預けられていた時には御一家衆としての扱いを受けていた。
しかし、今川家臣たちは今川家の御一家衆というよりは氏規を北条家の人質として見る者が大半であり、腫れ物を扱うように接していた。そのため、疎外感を感じていた氏規にとって、今川家の一族として分け隔てなく接してくれた安部元真は、もう一人の父親のような掛け替えのない存在だったのだ。
氏規は口許を緩めたと思うと、もの悲しげに眉尻を下げて伏し目がちに語り始めた。
「だがな、今川家が滅んだ時、難を逃れた彦五郎殿や祖母の寿桂尼様が身を寄せようと命辛々この韮山城を訪れたのに、私は非情にも受け入れを拒んで追い返したのだ。あの時に私は今川家と決別しており、もはや私は今川家の一族として貴殿に慈悲を受ける資格などないのだ」
駿河で親しくしてくれ、兄とも慕った今川氏真を死地に追いやったも同然なのに、この期に及んで自分だけ死を免れようなど、正義感の強い氏規には絶対できないことだった。
「ふふ、助五郎様も相変わらず根が真っ直ぐな方ですな。ですが、左京大夫(北条氏康)様から韮山城を任された助五郎様は、北条家の武将として為すべきことを為しただけでございましょう。……それに彦五郎様は今、"寺倉六奉行"と呼ばれる重臣の一人として、友人でもある寺倉左馬頭様を支えておりまする。これは天命だったのでしょう。ですので、助五郎様が気に病む必要などございませぬぞ」
元真はそんな氏規を慰めるかのような口調で告げる。氏真が生きており、六雄筆頭の寺倉家で重臣として活躍している。その事実が氏規の心を大きく揺り動かした。
「何と、真か! 彦五郎殿は寺倉家に仕えて無事なのか。あれからというもの、私は彦五郎殿の身をずっと案じていたのだ。……本当に良かった。生きていたのだな」
氏規は長い間負い続けていた罪悪感から解放されたのか、目尻に涙を浮かべた後、明るい笑顔に変わった。
「助五郎様。今さら今川家の者として生きろとは申しませぬ。ですが、これからの日ノ本は"六雄"の作る天下泰平の世が訪れまする。厳しいことを申しまするが、今や日ノ本の半分以上を治める"六雄"を相手に、北条家が打ち勝つのは無理にございまする。抗えば抗うほど兵が死に、民が苦しむだけに存じますれば、ここは城兵のためにもどうかご決断くだされ」
苦渋の決断を迫られた氏規だったが、「抗えば抗うほど兵が死に、民が苦しむだけ」という元真の言葉にようやく決心が付いた。
「……分かった。降伏しよう。だが、父上は強いぞ」
「存じておりまする」
そう言って、2人は笑い合ったのだった。
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