伊予合戦② 鳥坂峠の戦い

12月上旬、小早川隆景率いる毛利軍は瀬戸内海を渡って伊予へ上陸すると、軍勢を2つに分け、隆景の本隊は鳥坂城に入り、別働隊は宇都宮家の本拠で"伊予の小京都"と呼ばれる喜多郡の大津へと攻め込んだ。


しかし、毛利元就は河野家に援軍を送ったものの、「木津川口の戦い」での毛利水軍の壊滅、「明善寺合戦」における三村家の大敗に加えて、九州での大友との戦線を維持しなければならない事情により、宇都宮・一条連合軍を凌駕するほどの大軍は派遣できず、両軍の兵数は3千ほどのほぼ互角で拮抗していた。


史実では、伊予の地理や情勢に詳しい乃美宗勝が活躍し、毛利軍がこの「伊予合戦」に勝利を収めるのだが、この世界では乃美宗勝は既に「木津川口の戦い」で討死している。そのため、この「伊予合戦」の趨勢は小早川隆景の双肩に掛かっていると言っても過言ではなかった。


一方、毛利軍の参戦により兵力面の優位性を失った宇都宮・一条連合軍だったが、地蔵嶽城は毛利軍の別働隊に包囲され、籠城する宇都宮軍は劣勢に立たされていた。


しかし、もう一方の鳥坂峠では、一条軍が全力を以って毛利軍に対抗した結果、毛利軍を撃退することになるのである。


その勝因として最も大きな活躍を見せたのは、新たに土佐一条家に加わった松平党と雑賀衆であった。御家再興の誓いを胸に秘めた松平党の重臣5人衆は、何としてでも大きな戦功を挙げようという鬼神の如き気迫に満ち溢れていた。


「我こそは渡辺半蔵なりぃ! 我が神槍を受けてみよ!」


渡辺守綱は「槍半蔵」と恐れられた通りの卓越した槍捌きで何人もの敵将の首を挙げていった。


「敵将を討ち取ったりぃー!」


内藤正成の強弓は冴え渡り、百発百中とも思える正確無比な弓術を目の当たりにした一条軍の将兵は沸き立った。


「皆の者、毛利の弱兵を伊予から追い出すのだ! 今だっ、掛かれーぃ!」 


指揮官不在となって兵たちが浮足立った毛利軍の先鋒とは対照的に、蜂屋貞次が指揮する伊予の農民兵部隊は貞次の鼓舞により士気が高まり、烏合の衆となった毛利軍の兵を着実に討ち取っていく。すると、毛利軍の兵たちは敗走し始めて先鋒は崩壊してしまう。


そして、最も特筆される戦功を挙げたのは、松平党をまとめ上げる鳥居元忠である。「三河武士の鑑」とも言われる元忠は、亡き主君・松平元康に誓った松平家再興を命に代えてでも果たさんと、僅か5百の手勢で小早川隆景のいる毛利軍の本陣を奇襲したのである。


「敵大将、小早川又四郎を討ち取るのだ―!!」


「「敵襲! 敵襲だー!」」


「又四郎殿、本陣に敵襲にございまする! ここは某が食い止めまする故、早く撤退してくだされ!」


既に本陣には先鋒の敗走の報が伝わっており、たった今、案内役の村上吉継から本陣への奇襲を知らされた小早川隆景は苦渋の決断を迫られた。


「くっ、やはり地の利では我らが不利のようだな。やむを得ん、皆の者、退却せよ! 河内守殿も早く退くのだ!」


「某は殿を務めまする。又四郎殿、どうかご無事で!」


軍全体に動揺が広まって、毛利軍が壊滅する事態だけは絶対に避けなければならないと考えた隆景は、やむ無く撤退を指示すると、辛くも湯築城に退却したのである。


しかし、この「鳥坂峠の戦い」で毛利軍は多くの将を失うだけでなく、小早川隆景を逃がすために殿を務めた村上吉継までもが討死してしまうなど大きな被害を受け、もはや南予を制圧するのは不可能な情勢となるのであった。


一方、「鳥坂峠の戦い」で敗北した小早川隆景の本隊が退却したことにより、大洲城に攻勢を掛けて優勢だった毛利軍の別働隊も、数刻後にその報せを受けると、敵中に孤立して全滅するのを避けるため、慌てて撤退せざるを得なくなった。


だが、別働隊は本隊に合流することは叶わなかった。なぜならば、別働隊の退却ルートを読み切った石川数正の指示により、鈴木重秀率いる雑賀衆が退却する山道に待ち伏せし、退却する別働隊に奇襲を仕掛けたからである。


「今だ! 撃てーぃ!!」


「ダダーン、ダダーン、ダダーン、ダダーン」


山道の両側から雑賀衆は正確な射撃で別働隊の将兵を狙い撃ちし、逃げ散った兵たちは落ち武者狩りにより全滅する憂き目に遭った。




◇◇◇




しかし、「伊予合戦」はこれだけでは終わらなかった。「鳥坂峠の戦い」に勝利した一条軍は松永久秀の献策により、その勢いのまま宇都宮家の地蔵嶽城を攻めたのである。


「左近衛少将(一条兼定)様。西園寺家を滅ぼし、毛利軍をも撃退した今、もはや宇都宮家との同盟には利はございませぬ。今こそ宇都宮家を攻めて臣従させ、南予を全て制圧すべきにございまする」


土佐一条家と宇都宮家は、宇都宮豊綱の娘が一条兼定に嫁いで一時は婚姻同盟を結んでいた。しかし、数年前に一条兼定は大友宗麟の娘を娶って大友家と婚姻同盟を結ぶこととなり、その際に家格で劣る宇都宮家の妻とは離縁したのだった。だが、離縁はしたものの、両家は西園寺家や河野家と対抗するため同盟関係を継続していたのであった。


「何と! だが、宇都宮家は離縁した妻の実家である。 故に同盟を破棄するのは信義に反するでおじゃる!」


(やれやれ、暗愚という評判どおりじゃな。だが、操るのは容易いのぅ)


松永久秀の進言に、戦国大名の才知に欠ける一条兼定が難色を示すと、久秀は内心で溜息を吐きながらも、ほくそ笑んだ。


「この調子であれば、来年にも当家は河野を攻め滅ぼすことができましょう。ですが、宇都宮家と同盟関係のままでは、当家を恐れた宇都宮家が毛利の調略により河野に寝返る恐れが大きうございまする。そうなれば河野を滅ぼすことは難しくなりまする」


「なっ、宇都宮家が寝返るとな? それは真か!」


謀略家で名高い松永久秀の言葉に、宇都宮家が河野家に寝返るなど考えもしていなかった一条兼定は驚いた。


「四国の東半分は三好家が治めておりまする。ならば当家が生き残るには四国の西半分を獲り、左近衛少将様が"四国の西半分を治める大大名"となり、三好家と覇を競うしかございませぬ。逆にこの好機を逃せば三好家が河野を滅ぼし、当家も三好家に滅ぼされるのは必定にございまするぞ」


「な、なるほど。"四国の西半分を治める大大名"か。……相分かった! 宇都宮家を攻めるのは認めよう。だが、夢見が悪い故、滅ぼさずに降伏させるでおじゃる」


「はっ、畏まりました」


兼定は松永久秀の"四国の西半分を治める大大名"という言葉の魅力に負け、地蔵嶽城攻めを認めたのである。


「何? 一条家が攻めてきただと?! 左近衛少将め、裏切ったか!」


一方、毛利軍の別働隊の攻勢に落城寸前に追い詰められていた地蔵嶽城の宇都宮豊綱は、毛利軍が退却して安堵していたところに、同盟する一条軍が突如攻めてきたと知って激怒した。


しかし、多勢に無勢、もはや地蔵嶽城に抵抗する力は残っていなかった。3日後、一条軍の降伏勧告に応じて宇都宮豊綱は隠居し、宇都宮家は土佐一条家に降伏臣従したのである。


こうして「伊予合戦」は土佐一条家の勝利に終わり、12月中旬、南予は土佐一条家によって完全に掌握され、頼みとした毛利軍が敗北した河野家は窮地に追い込まれるのだった。




◇◇◇





その後、この「伊予合戦」での毛利軍の敗戦は、村上水軍の三家に大きな影響を及ぼすこととなる。


毛利家に援軍を送ってもらった恩義のある来島村上家だったが、小早川隆景を逃がすために当主の後見役である村上吉継が討死したことから、毛利家とは距離を置いて中立的態度を取るようになった。


一方、因島村上家は毛利家への忠誠が篤く、毛利家への恭順を継続していたが、残る能島村上家は敗戦が続いて退潮が明らかな毛利家との交流を断ち、敵対する大友家に協力姿勢を示すようになり、村上水軍内で三家の対立が深まることになってしまう。


そして、「伊予合戦」での毛利軍の敗北を聞き及んだ大友家は、今こそ好機とばかりに北九州の毛利領への電光石火の侵攻に出ると、毛利家はこの対応に追われることになるのであった。

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