毛利元就の憂鬱

土佐国・中村城。


「な、何と! 西園寺を討ち滅ぼしたと! 近江守、それは真か?!」


西園寺崩れによって西園寺公広が討死した翌朝、早馬により西園寺家滅亡の報が中村城に伝えられると、一条兼定だけでなく、土居宗珊以外の重臣たちは皆一様に驚愕した。


「はっ、松平党が私の義弟の土居式部少輔を寝返らせた後、土居式部少輔の寝返りを噂に流しました。西園寺公広が鷹狩で式部少輔を殺そうと図ったところを、松平党が奇襲にて西園寺公広を討ち取り、西園寺領をまんまと手中に収めたとの由にございまする」


「そうでおじゃるか。これで2年前の恨みを果たせたの」


予想だにしない宿敵の死に、兼定は口許を緩めて虚空を仰いだ。


西園寺公広は元は僧籍にあったが、西園寺家の前当主の伯父・西園寺実充の死亡により還俗して家督を継ぐと、家中に武威を示すため、2年前に土佐一条家に侵攻したのである。


「松平党は独断専行したお詫びにと、西園寺領を殿に献上するとの由にございまする。松平党には忠義の褒美に西園寺領の一部、宇和島辺りを与えてはいかがでしょうか?」


「うむ、良きに計らえ。新参者とは言え、これだけの大功を挙げたのじゃ。松平党の5名を一条家の重臣の列に加えるでおじゃる」


元松平家の重臣5人衆は感激した一条兼定から武功を称えられ、全幅の信頼を得ることに成功する。そして宇和島に領地を与えられて高禄を得ると、土佐一条家の重臣の末席に加わったのであった。




◇◇◇




9月下旬、紀伊から土居家を頼って逃げてきた鈴木重秀ら鈴木党と松永久秀が、土佐一条家に仕官した。


「松永弾正少弼殿、鈴木孫一殿。我らも三河から逃れて、半年前に一条家に仕官したばかりの新参者にござる。土居家の近江守殿や式部少輔殿には一方ならぬ世話になっておりますれば、土居家の遠縁の鈴木党の方々ともこれから宜しくお願いいたしまする」


「いやいや、土居家当主の式部少輔殿の命を救けていただいたと伺っておりまする。礼を申しますぞ」


「こちらこそ宜しくお願いいたしまする。次の伊予攻めでは松平党にご恩返しいたしまするぞ」


元松平家臣たちと鈴木重秀、松永久秀は同じ新参者同士ということもあり、誼を通じ、関係を深めていくことになる。




◇◇◇




備前国・明善寺城。


7月末、毛利家に臣従している備中の三村家の当主・三村元親は、毛利家の援軍を借りて2万の大軍を率いて西備前に進攻した。


1年前に父・家親を浦上家重臣の宇喜多直家の配下に鉄砲で暗殺された三村元親は、父の仇討ちを期して明善寺城を攻める宇喜多軍5千を挟撃しようと出陣したが、宇喜多直家が速攻で明善寺城を落とすと、三村軍の作戦は頓挫してしまう。


逆に、宇喜多軍の鉄砲隊の奇襲により三村軍の先鋒と中軍まで敗れると、後軍に参加した備中の国人衆は敗色濃厚と判断して勝手に退却してしまった。


「ええぃ、まだ我らの兵が多いというのに、何と意気地のない奴らか。父の仇を目前にして、この機をむざむざ逃してなるものか! 皆の者、掛かれぇぇ!」


三村元親は残る三村軍本隊8千だけで宇喜多直家のいる正面の宇喜多軍本隊に突撃した。しかし、ここで左右の森に伏せていた宇喜多軍に挟撃されて3方向から攻撃されると、兵数で勝るはずの三村軍は総崩れとなって敗走した。


この「明善寺合戦」は"謀将"で有名な宇喜多直家が生涯で唯一正攻法で戦い、5千の寡兵で4倍もの三村軍に大勝した戦いである。この戦勝により宇喜多直家は浦上家中の地位と独立性を高め、戦国大名としての地歩を確立する大きな転換点となった。


一方、大敗した三村家は西備前から撤退を余儀なくされた上に、備中でも威光にも陰りが表れ、浦上家に寝返る国人たちが現れ始め、主家である毛利家にも痛恨の敗北となるのだった。




◇◇◇




安芸国・吉田郡山城。


9月上旬、秋の気配で涼しくなった吉田郡山城では、毛利元就が憂鬱な日々を過ごしていた。


その理由は、6月末に毛利水軍が「木津川口の戦い」で壊滅した後、7月末には「明善寺合戦」で2万の三村軍が宇喜多軍5千に大敗し、毛利家を取り巻く状況が芳しくないためだった。


「幸鶴丸(毛利輝元)は暗愚ではないが、残念ながら"山陽・山陰の覇者"としての器量はない。少輔次郎、又四郎、儂が亡き後の毛利家をくれぐれも頼んだぞ」


毛利元就は長男の隆元が41歳で謎の死を遂げてから、祖父として孫の輝元を溺愛する一方で、戦国大名としては輝元に非凡な才能を見い出すことができず、厳しい評価を下していた。輝元が毛利家当主のままでは元就の死後にたとえ"両川"が支えたとしても、毛利家がいずれ"六雄"や大友家に蹂躙される未来が、元就の目にははっきりと見えていた。


既に70歳を過ぎた元就はこの5年間で何度も体調を崩しており、曲直瀬道三の治療により今は持ち直してはいるものの、いつ死んでもおかしくなかった。元就が儚く微笑み、まるで自らの命の刻を悟っているかのように告げると、側に控える2人が言葉を返した。


「父上、左様なことを申しますな」


「まだまだお元気です故、ご案じなさいますな」


吉川元春と小早川隆景が寂しそうに顔を歪めて元就を励ます。


「気休めは良い。己の寿命くらい分かるわい。せいぜい後2年だろう。だが、幸鶴丸では毛利は立ち行かぬ。少輔次郎、又四郎、誰が毛利の当主に相応しいと思うか、申してみよ」


「……少輔四郎(毛利元清)かと存じまする」


「私は太郎右衛門尉(二宮就辰)が優れているかと存じまする」


しばしの沈黙の後、吉川元春と小早川隆景が2人の名前を挙げた。


史実では後に穂井田姓を名乗る毛利元清は元就の五男の17歳であり、側室から生まれた弟の中では特に才覚に溢れた武将と評されていた。


一方、二宮就辰は元就の四男の22歳だが、元就の正室の死後すぐの出産で体面が悪いため、元就が身重だった側室を家臣の二宮春久に下賜した後に誕生し、元就の実子でありながら就辰は二宮家の子とされていた。だが、寡黙かつ勤勉な就辰は武功に加えて、財務や建築の才も持った文武に優れた武将であった。


「やはりな。儂も2人のいずれかと考えておる。来年にでも当主を替えるつもりじゃ」


頬骨が浮き出るほど痩せこけながらも、元就の目の奥には鬼のような覇気に満ち溢れていた。



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