西園寺崩れ

土佐国・岡崎村。


3月に土佐一条家に仕官を果たした元松平家臣たちは、4月に三河に残していた家族や郎党を呼び寄せると、故郷に因んで岡崎村と名付けた廃村の壊れた家屋を修築して、荒れ放題の田畑を開墾し、御家再興への新たな一歩を踏み出した。


6月上旬のある夜、岡崎村の最も大きい家で、重臣5人衆は"評定"に当たる定例の会合を行っていた。


「廃村とは言え仕官と同時に領地を貰い、家族や郎党を呼び寄せられたのは幸いであったが、我らは家中では新参者に過ぎぬ。秋の南伊予侵攻の前に、少しでも家中での地位を高めておきたいところだが、何か策はござらぬか?」


「もし我らだけで西園寺を攻略できれば大きな武功となり、家中で確固たる地位も築けるのだがな」


「戯けたことを。数百の手勢でそれができれば誰も苦労せぬわ」


鳥居元忠の言葉に、5人の中で最年少26歳の渡辺守綱が愚痴を零すと、最年長40歳の内藤正成がたしなめるが、そこへ口を挟んだのは石川数正であった。


「待ちなされ。手があるやも知れぬぞ。西園寺家の大森城城主の土居式部少輔殿は7年前に伊予を追われて土佐一条家の庇護を受け、5年前に伊予帰還を果たした男だが、宿老の土居近江守殿とは義兄弟なのだ。土居近江守殿は土佐一条家の一門だったが、土居式部少輔殿の姉を娶って土居家の養子になったのだそうだ」


数正の言う土居式部少輔とは「西園寺十五将」の土居清良のことであり、清良は史実では鉄砲隊を率いて侵攻してきた長宗我部軍を討ち破った勇将であった。


「それは真でござるか? ならば、その土居式部少輔殿を調略して味方にできれば、西園寺を攻略する糸口になるやもしれぬな」


「もし西園寺を攻略できれば西園寺領で独立し、松平家を再興できるのではないか?」


「いや、それはならぬ。それでは我らがすぐに土佐一条家に滅ぼされてお終いだ。小さな西園寺領など丸ごと土佐一条家にくれてやればいいのだ。その武功を以って家中での信用と地位を高めるのが先決だ」


鳥居元忠の言葉に蜂屋貞次が独立を提案すると、即座に石川数正が軽挙な行動を戒めた。


「「ああ、そうだな」」


一同は頷き、重臣5人衆は西園寺家を攻略する計画に着手することとなった。




◇◇◇




土佐国・中村城。


「近江守殿」


石川数正は神妙な面持ちで宗珊に声を掛けると、数正の纏った空気から何かを察してか、首を動かすことなく周囲を見渡し誰もいないことを確認すると、何も発することなく数正を促した。


「何かあるのだろう? 申してみよ」


誰もいない一室に向かい合うように座ると、宗珊は急かすように声を発した。


「近江守殿は伊予・大森城城主の土居式部少輔殿とは義兄弟と伺いました」


「それが如何したというのだ」


「秋の南伊予侵攻の前に式部少輔殿を味方に引き込めませぬか?」


「儂もそれは考えておったが、何か案でもあると申すのか?」


宗珊も義兄弟の間柄において争いを起こしたいとは思っていない。どうにかして味方に引き入れたい考えではあったものの、その手段に苦悩していた最中だった。


「我らが使者となり、式部少輔殿に寝返るよう口説いてみせまする。近江守殿と奥方には式部少輔殿への文を書いてはいただけませぬか?」


「分かった。確かに実姉である妻の文があれば、式部少輔も寝返るやもしれぬな」


義弟と戦いたくない土居宗珊は、御家再興を目論む元松平家臣への協力に応じたのだった。




◇◇◇




伊予国・大森城。


6月中旬、石川数正は大森城の土居清良を訪ねていた。


「私に一条家に寝返ろと申すのか?」


清良の鋭い視線に射抜かれながら、怯むことなく数正は肯定する。


「左様にございます。土居式部少輔殿、貴殿の義兄の近江守殿と実姉の奥方からの文をお持ちしました。どうかご一読くだされ」


20代前半の土居清良は、父親ほど年の離れた土居宗珊を文武の師として尊敬していた。そして、優しく大好きな姉が夫の戦死で未亡人となり、その姉が宗珊に見染められて再婚して幸せになったことを心から喜んでいた。その2人から「家族同士で戦うべきではない」と切々に情愛に訴える文を読んだ土居清良は、大きく心が揺らいだ。


「うーむ。……しばし考える時をいただきたい」


「はっ、承知いたしました。ですが、既に西園寺殿は貴殿を疑っている様子にございます故、このままでは西園寺家中の貴殿の立場が悪くなるばかりかと存じまする。よくよくお考えくだされ」


その後、散々苦悩した土居清良は7月上旬、ついに土佐一条家への寝返りを決断した。




◇◇◇




伊予国・黒瀬城。


土居清良の調略に成功した元松平家臣たちは次の一手として、西園寺家の居城・黒瀬城の城下で土居清良が土佐一条家と通じているとの噂をわざと流した。


「やはり土居式部少輔は一条に寝返ったのは間違いないようだな。南の街道を押さえる大森城を奪われたとなれば、秋には一条がこの城まで攻めて来よう。その前に式部少輔を消すしかあるまい。だが、この城に呼んだところで式部少輔は警戒して来ぬであろう。ならば、鷹狩に誘い出すしかあるまい」


その噂を耳にした西園寺家当主の西園寺公広は、かねてから土佐一条家の宿老・土居宗珊と姻戚関係の土居清良を疑っていたことから、鷹狩で土居清良を謀殺しようと企んだ。しかし、黒瀬城には松平家の素破が潜んでおり、その企みは元松平家臣たちに筒抜けだった。


8月上旬、西園寺公広は鷹狩と称して主だった家臣たちを山中に誘い出した。その中には西園寺公広の企みを知る土居清良の姿もあった。


「良し、鷹が仕留めたぞ! あそこに向か、うがぁっ!!」


鷹が獲物を仕留め、西園寺公広が土居清良を家臣が待ち構える場所へ向かわせようとしたその時、一本の矢が背後から西園寺公広を貫いた。その矢は強弓の名手である内藤正成が放った矢であり、鷹に気を取られていた西園寺公広は心臓を射貫かれて即死した。


「西園寺公広を討ち取ったりぃぃーっ!! 皆の者、今だ。掛かれぇぇぃ!」


次の瞬間、渡辺守綱の号令と同時に、隠れていた元松平家臣が一斉に西園寺家臣に襲い掛かった。精強な元松平家の将兵にまったく予期していない奇襲を受けた西園寺家臣は、大混乱して次々と討ち取られ、間もなく全滅した。


その後すぐに、元松平家臣たちは当主を失って無力となった黒瀬城を難なく制圧し、西園寺領を奪取することに成功した。この見事な奇襲は「西園寺崩れ」と呼ばれ、後の世に語り継がれることになるのであった。

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