三男誕生と和泉制圧

近江国・統驎城。


4月15日、寺倉家は慶事を迎えていた。


「おぎゃあ、おぎゃあ」


昼前に奥の間から元気な赤ん坊の声が響いてきた。


「おめでとうございます。元気な男の子にございます!」


「市の容態はどうだ?」


「母子共に健康にございます」


「そうか、良かった。では、三男の顔を見に行くとしよう」


侍女の仙の喜びの声に俺は腰を上げた。仙も3月3日の雛祭りの日に無事に女の子を出産した。小平太は大喜びして破顔していたが、仙にはこれから乳母も務めてもらうことになる。初産は乳の出が少ないのではないかと心配していたのだが、仙は乳母を務めるくらいの乳の出は問題ないようだ。


「市。ご苦労だったな。具合はどうだ?」


「正吉郎様、大丈夫です。4回目の出産ですので、幾分か慣れて楽になりました」


「そうか。どれ、この子が三男か?」


初めて見た三男の顔は、生まれたばかりで相変わらず赤い皺くちゃの猿顔であったが、何となくあの木下藤吉郎を彷彿とさせるような人懐っこい笑顔を見せていた。


「市、この子は天性の人たらしになるやも知れぬぞ」


「そうですか。人から好かれる子になれば、母として嬉しいです」


「そうだな。こんな乱世では人から好かれるのは貴重な才能だからな。市はゆっくり眠るが良いぞ」


「はい。では、そうさせていただきます」


市は4回目の出産で慣れて楽になったと言っていたが、それでもやはり疲れていたのだろう。市はそう言うと瞼を閉じて、すやすやと寝息を立て始めた。


もちろん俺は何日も前から男女両方の名前の候補を考えており、三男には「誠錬丸」と命名した。意味合いとしては"至誠を以って至高へと鍛え上げる"という意味で、武芸においては精進して己を高め、政においては誠意を以って民に尽くしてほしいという願いを込めた名前だ。


俺が大広間で待ち構えていた家臣たちに、三男の誕生と「誠錬丸」の命名を発表すると、男児の誕生とあって一斉に「おめでとうございまする!」と祝福してくれて、大いに湧き立って祝福ムードに包まれたのであった。


◇◇◇


田植えを終えて5月上旬に入ると、寺倉軍は3万の兵を以って和泉に向けて再び出陣した。昨年11月に堺を制圧した直後に長島一向一揆が蜂起したため、隣接する和泉国の制圧は中断したままとなっており、今回は満を持しての和泉制圧だ。


畠山領である和泉では、和泉の国人衆の全兵力を集めた畠山軍が5千の兵で待ち構えていた。しかし、兵数では3万もの寺倉軍との圧倒的な不利が明白であり、当初の計画どおりだったのだろう。畠山軍は一度も野戦をすることなく、亀のように岸和田城に籠った。


元々、岸和田城は和泉守護を務めていた細川家が城主だったが、三好長慶の下剋上によって城を奪うと、三好長慶の次弟・三好実休が三弟・安宅冬康、四弟・十河一存と共に入った。


三好にとって岸和田城は、四国の阿波、讃岐、淡路から畿内の摂津や京を繋ぐ三好領の交通の要衝だ。三好実休は大規模な改修を施し、岸和田城が常時3千近いの城兵を置くほどの畿内でも有数の規模を誇る城となったことからも、三好における重要度が伺い知れる。


だが、三好は「教興寺の戦い」の敗北で岸和田城を畠山に奪われ、「芥川城の戦い」で敗れた後に四国に逃げた。三好がもし畿内に復帰するならば、まずはこの岸和田城を狙って来る可能性が高いが、今の三好は長宗我部との睨み合いで畿内に目を向ける余裕などない。


そういう経緯から今となっては、岸和田城は三好領の要という役割は失われたが、和泉国最大の城として堅牢な造りは今もなお健在であり、特に"二の丸が海に面する"という海を利用した防御を誇っていた。


(やれやれ、籠城したところで後詰がなければ兵糧が失くなって飢死するだけだろうに。紀伊から援軍が来るくらいなら始めから全戦力で迎え撃っているはずだからな。もはや畠山は5千の兵力が精一杯で、紀伊に残るのは雑賀衆などの国人衆や根来衆などの僧兵ばかりという訳か。それにしても海に面した城とは、哀れだな)


俺は岸和田城を視界に収めて、ほくそ笑んだ。



◇◇◇


和泉国・岸和田城。


一方、その岸和田城を守るのは、能登畠山家の畠山義続と義綱父子であった。


和泉は既に堺を失陥し、国人衆の心も離れつつある。岸和田城は海に面した城であり、寺倉軍の武器である志摩水軍の艦砲射撃を真面に浴びる危険の高い、正に最悪の位置にあるのだ。故に、堺と同様に十中八九は大鉄砲を用いた海陸の両方面から攻撃を仕掛けて来るだろうと、畠山政尚は見切っていた。


そんな岸和田城に当主の畠山政尚が出陣して万が一のことがあれば、幕府の奉公衆として畠山家を支えてきた湯河・玉置・山本などの武家勢力が畠山家を見限る可能性さえあり、畠山家が滅びかねない。


紀伊は根来寺や粉河寺、金剛峯寺などの寺社勢力や国人衆・土豪による惣国一揆といった勢力が経済と軍事力を半ば握っている国である。河内と堺を奪われ、当主と前当主を失くした紀伊守護の畠山家の権威など、もはやほとんど失われていたのだ。


御家滅亡だけは何としても避けたいが、だからと言って、戦わずしてむざむざと和泉を手放して紀伊に引き籠る訳にも行かない。政尚は能登畠山家の父子を置いていることで河内畠山家の家中で高まっている不満を清算するため、家中から疫病神扱いされているこの2人を厄介払いしようと、"都合の良い捨て石"として和泉国防衛を命じたのだ。


詰まるところ、「無駄飯ばかり食っておらず、いい加減に仕事をしろ」と言いたかった訳だ。疫病神とはいえ、同族で父同士の仲は非常に良好だったため、家中の不満を理由に追い出すのも忍びない。故に、政尚は畠山軍5千の大将という"名誉"を与えて、2人を"幸せ"に"死地"へと送り込んだのである。


一方の能登畠山家の父子はまさかそんなこととは露知らず、大任を任されたと喜び、岸和田城には寺倉家に恭順しない和泉の国人衆を中心として5千の城兵が詰めており、堅固な防御力を誇る岸和田城であれば絶望的な兵力差ではないと、2人は並々ならぬ闘志を抱いて息巻いていた。だが、それも一瞬で潰えることになる。


――ドカーン! ドカーン! ドカーン!


突如として耳をつんざく轟音が鼓膜を突き抜けると、能登畠山家の父子は本丸で顔を歪ませて狼狽していた。


「な、何事だ?!」


「お、おそらく寺倉の南蛮船からの砲撃かと思われます!」


「南蛮船だと? 何だ、それは!」


畠山義綱は伝令兵を怒鳴りつけて突き飛ばすと、父子は海に面した二の丸に移動し、窓から大きく広がる和泉灘を見渡した。


すると、そこには巨大な2隻の南蛮船の姿が存在した。あれだけ離れた距離からこの城を砲撃した事実に驚愕した父子は、目を丸くして口を半開きにして呆然と立ち尽くした。


「父上、このまま"能登の穀潰し"と罵られたまま死ぬ訳には参りませぬぞ!」


「そのくらい、分かっておるわ! ならば、お前があれを潰す策を出してみよ!」


「あれほど離れていては、どうしようもございませぬ。小さな船で近づいても弓矢や鉄砲で袋叩きにされるのが落ちでございましょう」


結局、打開案は見つからず、父子は歯軋りをして俯いた。


「よもや、紀伊守に謀られたのではあるまいな?」


「父上、我らは同族ですぞ。両家の円満な関係を鑑みれば、あり得ませぬ!」


「いや、本当に勝つつもりならば、紀伊からも兵を総動員して当たったであろうよ。我らは"捨て駒"として使われたのよ」


ここに至って、ようやく真実に気づいた義続の言葉を聞いて、義綱は返す言葉を失った。和泉の趨勢を決する戦いとあって国人衆も援軍に駆けつけたが、海に面した岸和田城の特性と寺倉軍が得意とする艦砲射撃のことを知っていれば、正に"死地"とも言える岸和田城に籠城するなど考えられなかったのだ。


「で、では、我らは畠山家中を鎮めるための"生贄"にされたというのですか?!」


義綱は独り言のように呟くと、顔を真っ青に染めて膝から崩れ落ちた。


その直後、2人のいる二の丸の建物に艦砲射撃の砲弾が直撃し、能登畠山家の父子は切腹することさえできずに、崩れた建物に潰されて無様に戦死した。これにより岸和田城はわずか半日で開城して国人衆は降伏し、和泉国14万石の制圧が成った。


こうして和泉を平定した正吉郎は次は紀州征伐に取り掛かる計画で、岸和田城を紀州征伐の拠点に据えるべく改修を決定し、和泉国代官兼岸和田城城代に予定通り本多忠勝を任じることにした。


しかし、そこへ植田順蔵から石山本願寺が門徒を増やして戦闘態勢を整えているとの報告が届くと、正吉郎は紀伊に攻め入っている隙を突いて背後から石山本願寺が攻め込んで来る可能性が高いと考え、急遽予定を変更し、進路を石山本願寺のある北へと変更したのであった。

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