鎮圧

三河国・岡崎城。


「矢作川の戦い」の翌日、岡崎城の本丸では緊張感が走っていた。


「権六! 我ら織田軍はあの武田を破ったのだぞ! なのに、兵の数で勝りながら百姓どもの烏合の衆に負けるなど、武士として恥とは思わぬのか!」


「はっ、誠に申し訳ございませぬ! ぐわっ」


先ほどまで三河一向一揆に対する軍議を腕組みしながら黙って聞いていた織田信長であったが、ここまで三河一向一揆にいいようにやられたことで怒りの頂点に達して堪忍袋の緒が切れたのか、突如として立ち上がると、織田軍の武を司る陸軍大将に相当する柴田勝家を足蹴にして怒鳴り散らしていた。


軍議の場にいる織田家の他の重臣たちは、今の状態の信長に何を言っても無駄どころか、とばっちりに遭うだけだと良く知っており、何も言わずに嵐が過ぎ去るのを黙って見ていた。


そして、10分ほど経ってようやく怒りが静まると、上座に座り直した信長はしばらく無言でじっと考えを巡らすと、普段の厳かな調子で徐に口を開いた。


「長島の一揆を見ても分かるとおり、奴ら一向門徒は死を恐れぬ故、一筋縄では行かぬ敵だ。あの正吉郎でさえも我らの援軍を得てようやく打破したくらいだ。ここは何か、奴らが予想もせぬような奇想天外な策を用いなければならぬ。ならば、……猿!」


「は、はいっ!」


「長島でのお前の一夜城築城の功績を見込んで、長島の時のように深夜の内に矢作川の上流から筏に別働隊の兵を乗せて下り、東岸に構える一向門徒どもを背後から襲うのだ。敵に気づかれずに川を下らねば、逆に嬲り殺しされかねぬが、……猿、できるな?」


「無論にございます! この猿めにお任せくださいませ!」


木下藤吉郎は信長から直々に別働隊の将に任じられたことに感激しつつ、目を爛々と光らせて信長が命じた作戦を承諾した。


「うむ、よう言うた。 米五郎左!」


「ははっ」


信長から米のようになくてはならない存在だと"米五郎左"と呼ばれている丹羽長秀が即座に返事を返す。


「どこが良いか?」


「左様ですな。……矢作川沿いを6里余り北上したところにある東広瀬城が良いかと。一向門徒に知られてはなりませぬ故、山中を丸2日歩けば着くかと存じまする」


信長が長秀に簡潔過ぎる言葉を投げ掛けるが、その意味が分からなくては信長の腹心は務まらない。長秀は信長の策を実行するのに適した場所と移動に要する時間を提言する。


「であるか。猿、今夜遅くに兵1000と正吉郎から教わった"なぱーむ弾"という壺を持って、東広瀬城へ向かえ! 5日後の夜に筏で矢作川を下り、明け方近くに"なぱーむ弾"を使って、寝静まる一向門徒どもの背後から火を放つのだ。一たび火が着けば、川に飛び込んでも消えぬという火である故、一向門徒どもは火だるまとなって混乱するであろう。我らはその機を逃さず岡崎城から打って出て、一向門徒どもを根切りにするのだ! 皆の者、良いな!」


「「ははっ!!」」


「はっ、承知仕りました。この木下藤吉郎秀吉。命に代えても必ずや成し遂げてご覧に入れまする」


信長は長島一向一揆との戦いが終わった後、三河一向一揆との戦いに向けて、正吉郎から製法を教わったナパーム弾を急ピッチで製造させていた。そして、「矢作川の戦い」にはギリギリ間に合わなかったが、ようやく完成したナパーム弾1000個が、昨日になって遠江から岡崎城に届き、信長は早速そのナパーム弾を実戦に投入するのであった。



◇◇◇




その日の深夜、藤吉郎は別働隊1000の兵を率いて岡崎城を出ると、北の山中に入り、丸2日掛けて奥三河の山中を北上して矢作川沿いに立つ東広瀬城に到着した。


東広瀬城の城兵は僅かに守備兵150を残して岡崎城に出払っており、翌日、藤吉郎は別働隊や守備兵を指揮して山から大量の木を切り出すと、5日目の昼過ぎまでに1000人が分乗できる筏40枚を組み上げたのであった。


そして、信長から命令を受けてから5日後となるその夜は、月明りが隠れる程度でわずかに明るい曇り空という絶好の天気であり、十分に仮眠を取って休息した藤吉郎率いる別働隊は、筏に分乗して矢作川を慎重に下っていった。


この藤吉郎たち別働隊の行動は、もし一向一揆勢に露見すれば、たちまち壊滅する危険な作戦である。一歩間違えば命を落とすことを覚悟しているのか、将兵の顔つきは皆真剣そのものである。脂汗を滲ませながら、深夜の矢作川を慎重に下っていく。そして、もう30分ほどで東の空が白み始めるかという未明の寅の刻過ぎ(朝4時半頃)、藤吉郎たちの筏はついに一向一揆勢が陣を構える岡崎城の西辺りへと辿り着いた。


別働隊は物音一つ立てずに河岸に筏を接岸させると、これまでの沈黙を切り裂くように、藤吉郎は声を張り上げる。


「皆の者! 今じゃ! 憎き一向門徒どもに地獄の炎を浴びせるのじゃ!」


――オオォォォォォ!!!!!


精鋭が集まった別働隊の兵たちは一人1個ずつ所持しているナパーム弾を手に持ち、藤吉郎の声に合わせて矢作川の堤防を登ると、溜まった鬱憤を吐き出すかのように、着火したナパーム弾に思いっきり一向一揆勢の陣に投げ込んだ。


――バガーン! バガーン! バガーン! バガーン!


「「ぎゃあぁぁぁぁ!!! 熱い、熱い!! 助けてくれぇ!!」」


まだ夜明け前で微睡みの中にあった一向一揆勢は、突然の轟音に目を覚ました。そのすぐ直後に、西の矢作川の堤防に迫る軍勢を発見した一向一揆勢は顔面蒼白となり、慌てて武器を手に取るが、時すでに遅しであった。


藤吉郎率いる別働隊によって投げ込まれたナパーム弾1000発が、惰眠を貪る一向一揆勢の頭上で炸裂すると、ナパームの火の粉が撒き散らされ、身体にナパームの火が付着した一向門徒はたちどころに炎に包まれ、悲鳴を上げながら火だるまになって死んでいくという阿鼻叫喚の炎熱地獄が再現された。


「な、何事だ? う、く、苦しい。息が……」


そして、運良くナパームを浴びなかった門徒でも、周囲のナパームの高温燃焼によって酸素欠乏による窒息状態となってバタバタと倒れていく者が続出する。


さらには、矢作川や乙川に飛び込んでも火が消えないという"ありえない事態"まで起こると、一向宗によって"死ねば極楽"と洗脳されて死への"恐怖"を失っていた門徒たちは、目の前で苦しみながら焼け死んでいく門徒たちを目にして生存本能を揺さぶられることによって、再び"恐怖"という感情を呼び起されていく。


突然襲い掛かった予期せぬ事態に、一向一揆勢は戦う態勢など取れるはずもなく、大混乱に陥ると、更なる衝撃が一向一揆勢に走った。


「今だ! 一向門徒どもを根切りにするのだ! 掛かれ!!」


――オオォォォォォ!!!!!


今や遅しと岡崎城で待ち構えていた織田軍の本隊が打って出たのである。ナパームの火攻めと織田軍本隊に挟撃を受ける形になった一向一揆勢は為す術もなく、織田軍によって一気に根切りにされていった。


空誓や下間頼成ら一向一揆の主導者は本證寺、上宮寺、勝鬘寺の"三河三ヶ寺"に逃げ込み、西三河の国人衆たちは安城城に逃げ込んだが、すぐに織田軍による追撃を受けることとなる。


信長は恨みを晴らすべく"三河三ヶ寺"に火を放ち、一向門徒は火に包まれて死んでいくか、寺から逃げ出した門徒は老若男女問わず根切りにされた。


そして、信長は最後に安城城を包囲すると、吉良家を始めとする西三河の国人衆たちは降伏するのも許されずに一族郎党根切りにされ、三河一向一揆は鎮圧された。


しかし、安城城には元松平家臣たちや攫われた松平竹千代の姿はなかった。彼らは"三河三ヶ寺"が攻められている間に一早く夜間に安城城から脱出すると、竹千代を連れて海から船で西国へと逃亡したのである。そして、元松平家臣たちは西国で数奇な運命を辿ることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る