蒲生忠秀の軍師② 臣従の条件

今、芥川城で官兵衛と会見し、小寺家から臣従の申し出を受けた蒲生忠秀は、官兵衛にとって思いがけない言葉を冷淡に告げた。


「……だが、小寺家の臣従を受け入れるには"条件"がある」


忠秀の言葉は決して思い付きによる恣意的な発言などではなかった。待望していた官兵衛との会見が実現した瞬間から、忠秀はこの提案を念頭に置いていたのである。85万石の蒲生家の当主を務めている忠秀は、生来の実直で裏表のない人柄は変わってはいなかったが、一方で権謀術数渦巻く戦国の世を生き抜けるだけの器量を身に付けていたのである。


「"条件"、にございまするか?」


思いも寄らず"条件"という言葉を耳にした官兵衛は、途端に眉根を寄せる。


「うむ、"条件"だ。小寺家を信用していない訳ではない。だが、小寺加賀守殿もかつて赤松家の御家騒動を引き起こしたであろう? この乱世では寝返りや下剋上は日常茶飯事であり、何が起こるか分からぬ故な」


「……それはつまり、"人質"が必要だということでございましょうか?」


「うむ、そのとおりだ。故に、小寺官兵衛殿、貴殿を蒲生家の直臣として迎え入れたい」


官兵衛の底知れない才知を肌でひしひしと感じていた忠秀は、官兵衛をスカウトするために官兵衛が決して逃れられないような網を張ったのである。


「……それは如何なる意味にございまするか?」


その瞬間、官兵衛の目が鋭く光り、22歳とは思えないような威圧感を発した。


「正直に言おう。私は貴殿が神算鬼謀の才知を持つ男だと聞き及んでおった。そして今、貴殿と話をして良く分かった。貴殿の類まれなる才は小さな器には到底収まり切れるものではない。小寺家臣のままでは宝の持ち腐れよ。その才を蒲生家のために、いやこの乱世の日ノ本を泰平の世とするために使ってもらいたいのだ。それに、貴殿は黒田家の出であり、先祖は近江国の出であろう。蒲生家は近江が本拠だ。故郷に戻るのも悪くはなかろう? 故に、貴殿を私の軍師として迎え入れたいのだ。無論、貴殿には相応の待遇を約束しよう」


「……黒田家のことまでご存じでしたか」


忠秀は陣中での指揮に長けた優秀な軍師がいない蒲生家にとって、正吉郎から推薦された官兵衛を軍師に得ることは、播磨一国を得ることよりもはるかに価値のあることだと考えていた。


そして、素破に調べさせて、官兵衛の父・小寺職隆が元は黒田姓を名乗り、黒田家は近江国伊香郡の黒田村を出自とする家柄であるのを知ると、忠秀は官兵衛の置かれた立場を考慮し、相手の足元を見て"条件"を付けたのである。


(黒田家のことまで調べているとは、俺を軍師として迎えたいというのは本当のようだな。俺もこの乱世に武家の男子として生まれたからには、小寺家のような播磨の小大名ではなく、蒲生家のような大大名の下で己の知謀を駆使して戦ってみたいという欲望があるのは事実だ。だが、蒲生家に仕えることは、長い間近習として側で仕えてきた加賀守様の信頼を裏切ることになる。かと言って、この"条件"を断ったが故に、小寺家の臣従が認められなければ、加賀守様の意に背いて臣従の使者としての役目を果たせず、小寺家を窮地に追い込んでしまいかねない。うぅぅむ、一体どうしたら良いものか)


幼い頃から「三国志」の諸葛亮孔明に憧れ、「孫子」を始めとする「武経七書」などの兵法書を読み漁ってきた官兵衛には、軍師として己の軍才を思う存分発揮して大軍を動かしてみたいという秘めたる欲望を抱いており、忠秀の軍師としての仕官はこの上もなく魅力的な話であった。


さらには、官兵衛が蒲生家に仕えるのは主君・小寺政職に対する紛れもない背信行為であるが、"六雄"の一角を成す蒲生家に臣従を認めてもらうことが小寺政職から仰せつかった役目であり、蒲生家に臣従を断られる訳には行かないのも理解しており、官兵衛は返答に窮して悩んだのであった。


忠秀は、顔を伏せ気味にして思案を巡らせる官兵衛を無言で見つめていた。


正直なところ、忠秀はここで官兵衛に仕官を断られたとしても、小寺家の臣従まで断るつもりは毛頭なかった。しかし、忠秀は"敢えて"それを口に出すことはせず、仕官を断ることは即ち、小寺家の破滅を意味すると言外に匂わせて、官兵衛を脅していたのであった。


時間にして僅か5分にも満たない沈黙であったが、忠秀にとっては一刻にも感じられるような長い時間が経過すると、ようやく心を決めたのか、忠秀に返答するため官兵衛は顔をゆっくりと上げた。


「この小寺官兵衛祐隆、蒲生山城守様に臣従いたしまする。何卒宜しくお願い申し上げまする。つきましては、小寺家の臣従を認めていただきたくお願い申し上げまする」


官兵衛は散々悩んだ末に、たとえ小寺家を裏切ることになろうとも、臣従の使者としての主君から任された役目を果たして小寺家を守るのが最優先であるとの結論に至ったのである。そして、若い官兵衛が蒲生家で軍師として思い切り采配を振るってみたいという自然な欲求に逆らうのは、やはり難しいことでもあったのである。


そんな官兵衛の目に強い決意の光が宿るのを見た忠秀は、突然立ち上がって上座から官兵衛の前まで下りると、官兵衛の両手を握って微笑み、大きな声で朗らかに告げる。


「うむ、よくぞ決心してくれたな。官兵衛よ、天下泰平の世を作るために我が軍師として共に励んでくれ! 宜しく頼むぞ」


忠秀に手を握られ、笑顔でそう告げられた瞬間、官兵衛の脳天から背筋にビリビリと痺れるような電気が走った。


(あぁ、これが天命というものなのか! 目の前におられるこの御方こそ、俺が仕えるべき真の主君だったのか!)


「はっ、蒲生山城守様。この乱世を鎮め、泰平の世とするため粉骨砕身して蒲生家のために尽くす所存にございまする」


今、直感的についに自分の本当の主君に巡り会ったことを悟った官兵衛は、忠秀に手を握られたまま拝むように顔を伏せると、新たな主君への誓約を素直に吐露した。


「うむ、この蒲生山城守忠秀、小寺官兵衛の決意を確と受け取ったぞ! では、官兵衛が当家に仕官し、主家を小寺家から蒲生家に変えるのを機に、生まれ変わる意味を込めて、私の偏諱を授けよう。『忠』の字を授ける故、黒田家の通字の『高』と合わせて『忠高』とし、それと同時に元の黒田姓に戻してはどうだ? これからは『黒田官兵衛忠高』と名乗るが良いぞ!」


「はっ、誠にかたじけなく、ありがたき幸せに存じまする。黒田官兵衛忠高、これより蒲生山城守様の軍師として、この命尽きるまで誠心誠意お仕えいたしまする!」


こうして、後の世に"名参謀"と謳われる黒田官兵衛忠高が蒲生家の家臣の列に加わった。忠秀の軍師として官兵衛は毛利との戦いにおいて、その神算鬼謀の才を遺憾なく発揮することになるのであった。

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