蒲生忠秀の軍師① 官兵衛との邂逅
摂津国・滝山城。
摂津国の西端にある滝山城は南に兵庫津を眼下に見下ろす山上に立地し、史実では松永久秀の居城にもなった堅固な山城である。蒲生家はこの滝山城を改修し、「山崎の戦い」で臣従した摂津国人の伊丹親興を北摂津の代官に任じると共に、滝山城の城代として播磨との国境を守らせていた。その伊丹親興は史実では将軍・足利義昭の下で「摂津三守護」の一人として活躍した武将である。
1月下旬、その滝山城に小寺官兵衛ら一行は到着した。
「播磨国の小寺家から使者として参りました、小寺官兵衛祐隆と申しまする。蒲生山城守様へのお目通りをお願いしたく存じまする」
官兵衛は小寺家の使者として、まずは滝山城城代の伊丹親興に蒲生忠秀との会見を取り次いでもらい、その後に忠秀が居城としている芥川城に向かおうという算段であった。
「ほぅ、播磨の小寺家の使者殿か。よくぞ参られたな。某から殿に先触れの遣いを出しておく故、貴殿は今日はこの城で泊まり、明日ゆるりと芥川城へ向かうが宜しかろう」
伊丹親興も主君の忠秀が播磨の有力大名に調略を仕掛けているのは内々に知らされており、官兵衛が忠秀との会見を要請すると、小寺家が蒲生家への従属を決断したのを理解したのである。そして、その夜は親興は官兵衛ら一行を丁重にもてなした。
(若年だが、播磨の有力大名である小寺家の使者だ。失礼のないようにせねばな。それと、万が一にも蒲生領内の移動中に毛利の間者に襲撃されて殺されるようなことがあれば、小寺家が敵対する事態になりかねぬ。念には念を入れるべきだな)
そう判断した伊丹親興は翌朝、万全を期して官兵衛ら一行に10名ほどの護衛を付けると、摂津国の東端にある芥川城へと送り出したのであった。
◇◇◇
摂津国・芥川城。
その日の申の刻(夕方4時頃)、官兵衛ら一行は無事に芥川城に到着した。伊丹親興が先触れの者を送っていたため、芥川城では既に官兵衛を迎える支度が整えられており、丁重に客間に案内された官兵衛は、半刻ほど休憩して旅の埃を落とした後すぐに蒲生忠秀と会見する機会を得た。
「播磨国の小寺家から主君・小寺加賀守の使者として罷り越しました、小寺官兵衛祐隆と申しまする。蒲生山城守様に拝謁賜り、恐悦至極に存じまする」
会見の部屋に通された官兵衛はそう名乗ると、上座に座る蒲生家当主・蒲生忠秀に平伏した。官兵衛には蒲生家に小寺家の臣従を申し出る重大な役目を担っており、相手の機嫌を損なうような軽率な態度を取る訳には行かなかったのである。
(ほぅ、彼が小寺官兵衛か。思ったよりも若いな。この若さで使者を務めるとは、やはり左馬頭殿の申したとおり軍師に相応しい優れた人材なのであろう。彼が使者として訪ねてくれたのは蒲生家にとって正に僥倖であるな。絶対にこの好機を逃す訳には行かぬぞ)
一方の蒲生忠秀は、初めて会った小寺官兵衛のことを知っていた、いや、知らされていた。実は昨年の夏に北摂津を平定した直後、忠秀は正吉郎から今後の播磨への侵攻に関して、事前に有力大名や国人衆に調略を仕掛ける上で、最優先の調略対象として小寺家の名を伝えられていたのである。そして、小寺家臣の小寺官兵衛をぜひとも蒲生家の家臣に召し抱えて、忠秀の軍師として登用するべきだとの助言を受けていたのであった。
実際に、忠秀には軍師と呼べるような家臣はおらず、蒲生家中を見渡しても軍師が務まるような才知に富む家臣は見当たらず、今後、"六雄"の一角として山陽道を西進し、中国地方の覇者である毛利家と戦わなければならない蒲生家、いや忠秀にとって、軍師は喉から手が出るほど欲しい人材であった。それだけに正吉郎から小寺官兵衛のことを教わった忠秀は、小寺家に従属を促す手紙を送り、何としても官兵衛をスカウトしようと虎視眈々と機を伺っていたのだ。
そして今、幸運にもその官兵衛が目の前に現れ、忠秀は内心で狂喜乱舞していた。そのため忠秀は官兵衛との対面が叶った喜びから、つい口を滑らせてしまう。
「うむ、私は蒲生山城守忠秀だ。面を上げるが良い。貴殿が小寺官兵衛殿か。遠路はるばる播磨から足労であったな」
(まさか俺の名前を知っているのか? 俺は家督を継いだばかりで蒲生家にまで知られるような功など挙げてはおらぬが、何故だ?)
官兵衛は忠秀が自分を知っているような口ぶりに、内心で驚きと疑問の声を上げていたが、使者としての役目を果たすため、顔には出さずに用件を伝え始めた。
「蒲生山城守様。我が主君・小寺加賀守は現在の播磨の状況を非常に憂いておられまする」
「小寺家が置かれた状況は存じておる。播磨は幾つもの勢力が相争っておるが、尼子を滅ぼして勢力を拡大した毛利が、次は播磨を飲み込もうと狙っておる。これは誠に由々しき事態であるな」
播磨は35万石を超える広大な土地を誇る大国であるが、多くの中小勢力が勢力拡大を狙って争う混沌とした様相を呈していた。
(播磨を狙っているのは毛利だけではなく、蒲生もだがな)
蒲生忠秀はさも播磨の混迷した状況を案じるような表情をして、首を縦に2度振る。
「左様にございまする、蒲生山城守様。大内と尼子を滅ぼした毛利は強大であります故、仮に播磨のすべての勢力が合力したところで、とても敵うはずもございませぬ」
すかさず官兵衛が忠秀に応じる。
「うむ。それ故に昨年、私は小寺加賀守殿に文を送り、当家の味方になるよう促したのだが、小寺加賀守殿はどういう考えでおられるのかな?」
「はっ、我が主君・小寺加賀守は、小寺家は毛利に降るよりも、"六雄"の蒲生家の下で日ノ本に泰平の世を作り、民に安寧をもたらすための尖兵となるべきだとのお考えに至り、蒲生家への臣従を決意いたした次第にございまする。こちらが主君からの文にございまする。お確かめくだされ」
そう言って、官兵衛は懐から小寺政職の書いた手紙を取り出し、忠秀の小姓に渡すと深々と平伏し、臣従の意志を表した。
忠秀は小姓から手紙を受け取って目を通すと、手紙には官兵衛の言ったとおり政職の民を慈しむ心情が切々と記されていた。
(どうやら"領民思いの名君"という小寺加賀守の評判は間違いないようだな)
手紙を読んで納得した忠秀は、官兵衛の平伏する姿をジッと見つめた後、徐に口を開いた。
「うむ、小寺加賀守殿の考えは良く分かった。我らにとっても有難い申し出である。多くの勢力が乱立すると言えども播磨は大国だ。その播磨の中でも有力な小寺家が当家の味方となれば大層心強いの」
「はっ、有り難きお言葉にございまする」
「小寺家が臣従すれば、播磨の他の勢力にも少なからぬ影響が及ぶであろう。これを機に当家への臣従を申し出てくる勢力もあるやも知れぬな」
(やはり蒲生山城守殿は裏表のない真っ直ぐな人間で、謀略といった類にはやや疎いようだな。ならば小寺家にとっては好都合だな)
ここまでの忠秀との会話で、官兵衛は忠秀の人柄を読み取っていた。謀略にも秀でた名将として名高い忠秀の父・蒲生宗智とは正反対という印象であった。それ故に、若い官兵衛の目には忠秀が"付け入りやすい男"と映り、内心でニヤリとほくそ笑んだ、その直後である。
「……だが、小寺家の臣従を受け入れるには"条件"がある」
官兵衛が"付け入りやすい男"と評価した忠秀の口から、予想外の言葉が発せられたのであった。
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