浅井家の慶事とカレー

越前国・金ヶ崎城。


少し時は遡り、永禄10年(1567年)が始動した1月上旬、"六雄"の一角、浅井家でも慶事があった。長政の正妻で、正吉郎の妹でもある阿幸の懐妊が判明したのである。


阿幸は数え11歳で浅井長政に嫁いでから、かれこれ6年近く経って今年17歳となるのだが、正吉郎から長政に、阿幸が15歳になるまでは母体が出産の負担に耐えられず、母子の生命の危険が高いので、くれぐれも手を出さないように強く言い含めたのを長政が守っていたのであった。


そのため、阿幸が15歳になった2年前に二人が"本当の夫婦"になってからは、ようやく待望して久しい第1子の懐妊であった。「野良田の戦い」の前に離縁した平井定武の娘で前妻の小夜姫との間には、子が出来ることのなかった長政は、正月早々に阿幸から懐妊を知らされて、当然のことのように大喜びしたのである。


「阿幸、でかしたぞ! 男でも女でも構わぬ。くれぐれも風邪など召さぬよう体を大事に労わるのだぞ。それで産まれるのはいつ頃なのだ?」


「新九郎様、ありがとうございます。おそらく7月か8月の夏の暑い頃かと存じます」


「うむ、そうか。では、阿幸は普段から食が細い故、もっとしっかりと食べて、元気な子を産んでくれよ」


「はい、丈夫なややこを産めるよう励みますね。それと、兄上様にもご心配をお掛けしましたので、お伝えしないといけませんね」


「そうだな。正吉郎殿には私からも文を書こう。それにしても正月早々、めでたいのぅ。皆の者、祝いじゃ、宴じゃ!」


もちろん阿幸の懐妊には長政だけでなく、浅井家中も「新年早々めでたい」と大いに喜びに湧くと、正月の祝宴から続けて懐妊の祝宴が催され、金ヶ崎城城下の敦賀の町もお祭り騒ぎで祝賀ムード一色となっていた。


それと言うのも、今や"六雄"の中で寺倉家に継ぐ170万石の大大名となった浅井家において、これまで23歳になる当主の長政に嫡男は疎か、子供が一人もできなかったのが、唯一の懸念材料であったのだ。


長政と阿幸は"おしどり夫婦"と称されるほど仲が良いのにも関わらず、未だ子供ができないことに対して、家中では一部の家臣から阿幸に"石女"との陰口や、長政が"不能"か"種無し"なのではないかとも囁かれたこともあったが、今回の懐妊によりそうした懸念は払拭されたのであった。


◇◇◇


伊賀国・玲鵬城。


「ほぅ、阿幸が身籠ったそうだぞ、嵯治郎」


1月中旬、浅井家の使者から届いた手紙を読むと、長政に嫁いだ妹の阿幸が懐妊したとの一報が認められていた。


「真にございますか! それは新年早々、めでたいですね、兄上」


嵯治郎は明日、安濃津城に帰る予定だが、一つ年下の妹の懐妊に喜んでいる。嵯治郎と阿幸は俺にとっては異母兄弟なのだが、二人は同腹でとても仲が良い兄妹だったからな。


「そうだな。阿幸ももう17歳になるのか。阿幸も嫁いでから随分と経ち、新九郎も初めての子になる故、さぞや喜んでいることだろうな。阿幸が風邪など引かないように、暖かくする羽毛の着物や伊吹山で採れた薬草や薬用酒でも祝いに贈るとしようか」


伊吹山で採れる薬草は薬や薬草風呂だけでなく、最近は薬草を焼酎に漬けた薬用酒を造り始めており、まだ量が少ないので市中には売り出してはいないが、俺も寝る前にお猪口で一杯飲むようになってから、かなり体調が良いのだ。


「左様ですね。兄上、私も懐妊の祝いの品を贈りたいのですが、何が宜しいでしょうか?」


「ふむ、そうだな。……嵯治郎は伊勢で作るようになった味噌や"醤油"を贈ってはどうだ?」


「なるほど。塩は敦賀でも採れます故、味噌や"醤油"の方がいいですね」


伊勢では俺が伝授した流下式塩田により製塩が盛んとなり、その塩を使って昨年から味噌と"醤油"の生産も始まっている。特に、これまで味噌樽の上澄み液の"たまり"はあったが、"醤油"は日本初のものだ。既に巷では人気商品で品薄となりつつある。


この"醤油"ができたことで、これまで塩味か味噌味しかなかった料理のレパートリーが格段に広がった。実際に、日本料理でどれほど"醤油"が使われているか、いやむしろ"醤油"が使われていない料理を探す方が難しいくらいであり、日本料理の一大革命と言ってもいいだろう。


既に味噌、酒、酢、味醂、さらに志摩では鰹節もできたので、俺が覚えている限りの日本料理のレシピを書いて料理長に渡したら、料理長は涙を流して喜んでいた。今年の正月の宴では早速それらの料理の一部が披露されて、初めて食べた重臣たちは目を丸くして口々に「美味い」と唸っていたな。


「阿幸は小さい頃から食が細かったからな。沢山食べて元気な子を産めるように、浅井家にも料理の作り方を記した書も一緒に贈ってやるとするか」


「兄上、北畠家でも兄上から教わった料理を家臣たちが絶賛しておりましたよ。ついでに、"六雄"の他の四家にも"醤油"と一緒に贈ってあげてはいかがでしょうか? きっと喜ばれますよ」


「ふむ。それもそうだな。他家にも美味い料理を味わってもらいたいし、きっと"醤油"のいいお得意様になってくれるだろうしな」


寺倉領内では既に肉料理に対する忌避感も薄れているし、豆乳から"チーズもどき"を作ることもできたので、個人的には大好きだったピザやトマトソースのパスタを作って食べたいのだが、肝心のトマトは新大陸の原産だからまだ入手できていないのだ。もしかすると、マカオやマラッカ辺りならポルトガルやイスラムの商人からトマトが手に入るかもしれないな。


ついでに、いろいろな香辛料を入手できれば、念願のカレーも作れそうだし、機会があれば視察を兼ねて誰かを南方に派遣してもいいかもしれないな。だが、待てよ。カレー粉は、味と香りはクミン(馬芹)、コリアンダー(パクチー)、カルダモン(小豆蔲)、シナモン(桂皮)、クローブ(丁子)、ナツメグ(肉荳蔲)で、辛味はカイエンペッパー(唐辛子)、胡椒、大蒜、生姜、そして黄色い色はターメリック(ウコン)、サフラン、パプリカといった香辛料のブレンドだったはずだ。


もちろん使う香辛料の種類や配合比率は、インドでも肉・魚の材料や地方、家庭毎でも千差万別だが、基本はクミン、コリアンダー、カイエンペッパー、ターメリック、カルダモン辺りで、クローブ、シナモン、ナツメグをブレンドしたガラムマサラが各家庭の"お袋の味"を決める秘伝のスパイスだと聞いた記憶がある。


ほとんどの香辛料が漢方薬としても使われているので、博多に行けば明の商人から入手できるかもしれないな。いや、せっかく堺を支配下にしたのだから、堺の商人を使えば入手できそうだな。


それにしても香辛料をやけに詳しく覚えているな。そうか! 前世の俺は料理が趣味で、カレー粉も香辛料を調合して自作したことがあったのだ。細かな配合比率までは思い出せないが、それならば香辛料を入手できたら、カレー粉作りを試行錯誤してみるのも面白そうだな。


仮に本場のインド人からカレー粉のレシピを入手できたとしても、住んでいる気候風土が違う日本人とは味覚や嗜好が違うだろうから、日本人には辛すぎて美味しく感じないだろうしな。俺としては本場の"カリー"ではなく、日本人の大好きな"カレー"を食べたいのだ。


香辛料はとても高価だが、せっかく大名になって金と権力があるのだ。カレーを作る道楽くらいしたところで罰は当たらないだろう。それで、もし美味い"カレー"が完成したなら、絶対にこの時代の日本人だって大好物になるに違いない。あの空腹感を誘う独特の香りは強烈だし、誰もが魅了される味だからな。早く"カレー"を食べてみたいな。

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