正月の評定と家族団欒

永禄10年(1567年)元日。


年が明け、大広間に近江と西美濃に務める寺倉家の家臣たちを集めて、今年最初の評定を開いた。とは言っても、例年の内容は俺が所信表明する年頭訓示だけであり、家臣たちのお目当てはその後の正月の祝宴だ。


「寺倉左馬頭様、新年おめでとうございまする」


「「おめでとうございまする」」


筆頭家老の地位にある明智光秀の年始の挨拶に続いて、寺倉家臣が声を合わせて挨拶を唱和する。


「うむ。新年おめでとう。昨年は東では武田家と蘆名家が滅んで、西では三好家を倒して四国に追い出し、ついに畿内の覇権を握ることができた。さらに年末には、懸案であった長島一向一揆を鎮圧するという激動の一年だったが、皆の忠勤によって寺倉家はついに200万石の領地を有することができた。この寺倉左馬頭蹊政、心より礼を申すぞ」


「「ははっ」」


「だが、今年も石山本願寺と畠山との決戦が控えておる。この両者を討ち倒さねば畿内に平穏は訪れぬ。今年も皆の奮励努力を期待するものである」


「「ははっ」」


例年だと俺の年頭訓示はこれで終わり、正月の祝宴に移るのだが、今年はまだ終わらない。


「ここで一つ、皆に伝えることがある。この正月で嫡男の蔵秀丸は6歳になった。そこで、箕田勘兵衛に蔵秀丸の傅役を命ずることとした。勘兵衛、蔵秀丸を頼むぞ」


「はっ、全身全霊を以って蔵秀丸様の傅役を務めさせていただきまする」


「うむ。それと同時に蔵秀丸の学友として、小姓を務めていた藤堂与吉と蒲生鶴千代の2人を任ずることに決めた。与吉、鶴千代、宜しく頼むぞ」


「「ははっ」」


「6歳になったとは言え、蔵秀丸は年末の生まれ故、正月生まれの5歳の童と変わらぬが、親の欲目かも知れぬが、蔵秀丸は賢い子だ。まずは勘兵衛に読み書きを教えさせるが、半年ほど後からは算術を瑶甫恵瓊、内政を今川彦五郎、兵法については武藤喜兵衛から交代で手ほどきをしてもらうつもりだ。3人とも宜しく頼むぞ」


「「はっ、承知いたしました」」


仕官して日の浅い武藤喜兵衛を兵法の教師役に指名したことには、一部の家臣から驚きの声が上がっていた。これによって武藤喜兵衛の家中の地位が少しは上がるだろう。


「うむ。では、これにて評定は終了する」


こうして今年最初の評定が終わると、続いてお目当ての正月の祝宴が催され、家臣たちは美味い料理に舌鼓を打ち、焼酎を心ゆくまで堪能したのであった。




◇◇◇





伊賀国・玲鵬城。


1月中旬、家族と重臣を連れて、冬の居城である玲鵬城に居を移すと、やはりと言うか昨年の河内と長島の戦勝を玲鵬城城下の領民総出で祝われ、まるでお祭り騒ぎであった。


代官の沼上源三の話によると、玲鵬城の城下町も急速な発展を見せており、人口も爆発的に増えているそうだ。人口増加の要因としては主に畠山領の和泉や紀伊からの移住者、特に商人や職人が多いらしい。これ以上、落ち目の畠山領に身を置いていても、商売に旨みが少ないと踏んだのだろう。寺倉の準本拠地である玲鵬城は山国の伊賀にあるのだが、幾つもの街道が交わる流通の結節点であり、さらには焼酎や伊賀焼など魅力的な商品が多いことが、目敏い商人や職人たちから隣国の河内や大和よりも移住先として人気を博している理由のようだ。


そんな玲鵬城に到着してから、俺は伊勢、志摩、大和、南摂津、河内、堺の家臣を集めて評定と正月の宴を催した。その評定では、統驎城と同じく年頭訓示と蔵秀丸の傅役の公表に続いて、家臣の人事異動を発表した。


「まず、松山城城代の前田利蹊を桑名郡代官に任ずる。そして、松山城を廃城として桑名に移築し、桑名城の城代を命ずる。又左衛門、願証寺を潰したとは言えども、未だ一向門徒の領民は大勢残っておる。寺倉領では一向宗は禁教とする故、領民を高田派に改宗させ、桑名を上手く統治してくれ。頼んだぞ」


「はっ、承知いたしました」


「うむ。続いて、榊原政長の神戸城城代の任を解き、馬廻りを命ずる。小平太よ、仙が身重のようだな。三河から両親を呼んで仙と祝言を挙げよ。藤堂源右衛門、小平太の仲人をしてやってくれぬか?」


「はっ、かしこまりました。源右衛門殿、宜しくお願いいたしまする」


「はっ、承知いたしました」


本当は俺が仲人をしても良かったのだが、榊原政長の仲人をすると、今後も家臣の仲人を断れなくなるので、上司役の藤堂虎高に頼むことにした。


「それと、本多忠勝も亀山城城代の任を解き、統驎城に異動を命ずる。平八郎、3年間城代を良く務めてくれたな。いい経験になったであろう。いずれまた他の領地を治めてもらうつもりである故、精進せよ」


「ははっ」


本多忠勝は期待以上に亀山城の城代を上手く務めてくれた。腹案では田植え後に和泉を制圧したら、忠勝に和泉国の代官を任せようかとも考えている。


「そして、嵯治郎。今後、神戸城の河曲郡と亀山城の鈴鹿郡は北畠家に任せる故、城代は北畠家中から任命してくれ」


「はっ、兄上。承知いたしました」


「長島一向一揆」を鎮圧し、桑名郡を制圧したことにより伊勢国は寺倉家によってついに平定された。今回、河曲郡と鈴鹿郡を北畠に任せることにより、伊勢国は朝明郡、三重郡、員弁郡、桑名郡の北伊勢4郡以外は、北畠が統治することになる。いずれは北伊勢4郡も北畠に任せて、嵯治郎には名実共に伊勢国主として伊勢一国を治めてもらうつもりだ。



◇◇◇




こうして年始の評定と祝宴を催した後、俺と嵯治郎は束の間の家族団欒を謳歌していた。嵯治郎は生まれたばかりの娘・梓穂と妻の志波、茅夜を連れて、玲鵬城に年始の挨拶にやって来た。姪の梓穂は母親の志波に似て、人懐っこい可愛らしい顔立ちをしており、俺に抱かれてもニコニコと笑っていた。


嵯治郎も家族と一緒に温泉にゆったりと浸かり、長島の一揆鎮圧に至るまでの連戦の疲れを癒したようだが、温泉で志波の胸に抱かれる梓穂を見て、側室の芽夜も子供が欲しいと強く願ったそうだ。だが、如何せん芽夜は数え12歳になったばかりでまだ満11歳の小学生の身体だ。さすがに出産は早すぎる。


俺は茅夜の身体が未成熟で出産は危険なので、芽夜が15歳になるまではくれぐれも手を出さないよう嵯治郎に強く釘を刺しておいた。もし妊娠して12歳で出産しようものならば、母子の命に関わるからな。嵯治郎も俺が市が15歳になるまで手を出さなかったと知ると、素直に頷いてくれた。


そして、我が家は今、例年以上に雪が積もった玲鵬城の建つ低い丘の坂で、毎年恒例のソリ滑りをして父子で遊んでいた。


「父上、キャッ、キャッ!」


蔵秀丸も6歳になり、と言っても年末生まれなので実際は満4歳の5歳児に等しいのだが、それでも身体は6歳児の平均以上に成長している。毎年ソリを楽しみにしている蔵秀丸は、今年は一人でソリを滑りたいと言ったが、まだ一人で滑らせるには危ないので、俺の膝の上に乗せて滑っている。


「ととしゃま! キャッ、キャッ!」


一方、4歳になった瑞葵姫も順調に育っており、今年初めてソリを体験する瑞葵姫は、最初に滑った際には俺にしっかり抱きかかえられていても、とても怖がって悲鳴を上げていたが、一度ソリ滑りを体験すると、そのスリル感が気に入ったのだろう。蔵秀丸の最初の時と同じように、何度も「ととしゃま、ショリ、ショリ」とせがまれて、蔵秀丸と交代で繰り返し滑っている。


だが、3歳になったばかりの峰珠丸は、やはり年末生まれで実際は満1歳の2歳児なので、今年はまだソリはお預けだ。今は坂の下で市と一緒に兄や姉が楽しむ様子を羨ましそうに見ているが、来年まで我慢だ。


その市だが、出産予定は4月でもう少し先だが、転んだりすると危ないのであまり動かないように言ってある。市は子供達の遊ぶ様子を微笑ましく見つめているが、来年は市とも一緒にソリ滑りをしたいものだな。俺も子供たちの安全を期して目を離さないように見守りながら、楽しく家族団欒のひと時を過ごしたのだった。

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