蔵秀丸の傅役

12月27日、統驎城への帰路に就いた寺倉軍は、その日は大垣城で一泊し、翌28日の午後に東山道を通って統驎城に到着した。


11月初旬に出陣してからほぼ2ヶ月に及ぶ長期遠征からの凱旋帰国であり、統驎城の城下では河内での戦勝と「長島一向一揆」の鎮圧に対する祝勝で、今回も街道には溢れんばかりの領民が満面の笑顔と大きな歓声で俺たちの帰還を歓迎してくれた。


俺もようやく馬上から凱旋パレードの光景を眺めるのに慣れてきたが、この光景を目にする度に「あぁ、俺はこの領民たちの生活を守ったのだな」という感慨と達成感で胸が一杯になる。


そして、統驎城の本丸に着くと、峰珠丸を抱っこした身重の市と蔵秀丸と瑞葵姫の愛する家族が笑顔で俺の帰還を出迎えてくれた。


「正吉郎様。戦勝おめでとうございます。何よりもご無事に戻られたのが嬉しいです」


「あぁ、市。心配を掛けたな。皆も息災であったか?」


「はい、父上、お帰りなさいませ」


「はい、ととしゃま」


市の両側にいる蔵秀丸と瑞葵姫が笑顔で返事をしてくれる。皆、愛しい我が子だ。


「どれ、峰珠丸も2ヶ月見ない間にまた大きくなったな」


ちょうど満1歳を迎えた峰珠丸を市から受け取って抱き上げると、ふっくらした小さな手で俺の頬を撫でてニコリと笑う。


「はい。峰珠丸もようやく先月よちよち歩きができるようになりました」


「ほぅ、そうか。蔵秀丸も瑞葵姫も峰珠丸もたくさん食べて、遊んで、大きくなるのだぞ」


「「はい!」」


蔵秀丸はこの年末で満4歳になる。子供の成長は本当に早いものだな。満4歳で年明けには数え6歳になる蔵秀丸には、そろそろ嫡男としての教育が必要になる時期だ。武家では信頼できる家臣を傅役に任命するのが一般的だが、さて、どうしたものか。




◇◇◇




12月31日、今日は大晦日だが、忙しいのは正月料理の準備をしている料理人くらいで、他は普段と同じ朝だ。大掃除? 統驎城内は日頃から城に務める者たちの掃除が行き届いているので、特に年末に改まって大掃除する必要はないのだ。


そんな日常風景の大晦日だが、朝食の後、市から相談を持ち掛けられた。


「正吉郎様。4月に生まれる子に乳母を付けたいと思うのですが……」


「ん、どうした? これまでどおり市の手で育ててもらうつもりだったが、何か都合が悪いのか?」


この時代は、武家や公家などの上流階級の家庭では、赤子の育児には同じ時期に出産した女性を、母乳を与えてもらう乳母として雇うのが一般的だ。だが、寺倉家では授乳を通して母子の絆を強くしたいという俺の養育方針から、これまで母親である市の母乳で3人を育児させてきたのだ。


「今、峰珠丸を育てていますが、実は最近、私の乳の出が悪くなっているようなのです。もちろん私も山羊の乳を飲んでいるのですが、今のままですと一人で賄うのは難しいかと思いますので、この子には乳母の手を借りる必要があると思うのです」


市はそう言うと、ふっくらしたお腹を撫でる。


「そうか。峰珠丸は乳離れの遅い甘えん坊だからな。市の乳を吸い尽くしてしまったか、はっは。それならば仕方ないな。市の乳で足りない分を乳母に補ってもらえば良かろう。だが、誰か乳母に相応しい心当たりの女性はおるのか?」


「はい。実は侍女の仙が身籠っていて、3月には出産しますので、仙に頼もうかと思います」


「ほぅ、仙か。仙ならば良かろう。ということは、仙の子の父親は小平太か」


以前は仙とは同棲して事実婚状態だった榊原政長も年明けには20歳になる。政長は3年前に神戸城城代になってからは仙とは別居状態だったはずだが、ようやく子供ができたようだな。


「小平太も子供ができたのならば、そろそろ仙と祝言を挙げさせねばな」


これを機に、神戸城城代は嵯治郎に言って北畠家に任せて、政長を神戸城から統驎城勤めに異動させよう。そして、政長には三河から両親を呼び寄せて、祝言を挙げさせるとしよう。生まれてくる子供を父なし子にする訳にも行かないし、単身赴任は可哀想だしな。



◇◇◇




その後、昼前に俺は、蒲生宗智、藤堂虎高、箕田勘兵衛の3人を居室に呼び出した。


「3名とも忙しいところ済まぬな。折り入って3人に相談があってな」


「「はっ、何なりとお申し付けください」」


「うむ。実は蔵秀丸のことだが、明日には数え6歳になる故、嫡男としての教育が必要になる。そこで、勘兵衛、お主に蔵秀丸の傅役を務めてもらいたいと考えておる。お主の嫡男・靖十郎にも兄分としてついて欲しい。どうだ、任されてはくれぬか?」


箕田勘兵衛は俺が幼児の頃からずっと側に仕えてくれたが、もう年齢も40代後半だ。嫡男は齢19になっており、名は箕田靖十郎せいじゅうろう皓景あきかげという。靖十郎は同い年の本多忠勝や榊原政長に隠れてはいるが、寺倉家でも文武の才だけでなく、優れた人格を持っており、将来寺倉家を盛り立てる存在になると目されている。


「はっ? 某が蔵秀丸様の傅役ですか?」


「そうだ。勘兵衛は私の童の頃から長きに渡って側仕えを務めてくれて、私にとっては年の離れた兄のような存在であった。同じ譜代の家臣たちが代官や城代を務めている中で、勘兵衛には戦功を挙げさせてやれずに代官や城代にする機会がなく、ずっと誠実に尽くしてくれているお主に報いてやれず、私は申し訳ないと思うておったのだ」


「そっ、そんな某を兄などと、勿体ないお言葉にございまする」


「箕田家は確か私の曾祖父様の妹が嫁いでいて、勘兵衛はその孫だと教わったな。勘兵衛は寺倉家の数少ない親族衆である故に、嫡男の蔵秀丸の傅役を任せられるのは信頼できるお主しかおらぬと考えたのだ。どうだ、傅役を引き受けてはくれぬか? このとおりだ」


俺は勘兵衛に深く頭を下げて頼み込んだ。蔵秀丸の傅役だ。こればかりは主君としての命令ではなく、蔵秀丸の父親として誠意を以って頼むべきだと思ったからだ。


「ははっ、この箕田勘兵衛政景。謹んで蔵秀丸様の傅役をお受けさせていただきまする」


「そうか。引き受けてくれるか。礼を申すぞ、勘兵衛。蔵秀丸を宜しく頼む」


「ははっ、親子2代の傅役を務めるなど、身に余る光栄にございまする。ううっ……」


俺への忠義に篤い勘兵衛は、涙をぼろぼろ流して平伏している。


「勘兵衛には傅役として蔵秀丸に、まずは武家の男子としての心構えや読み書き、一般常識、礼儀作法などの教養を教えてもらいたい。半年後には算術や内政、兵法などを瑶甫恵瓊や今川彦五郎、武藤嘉兵衛らに、交代で教えてもらおうと考えておる」


「ははっ、承知いたしました」


「それと、蔵秀丸に傅役を付けるのに併せて、小姓の藤堂与吉と蒲生鶴千代の2人には、蔵秀丸と一緒に学び、遊ぶ友として、一日置きに交代で蔵秀丸の側に仕えてほしいと思うのだが、源右衛門、宗智、どうだろうか?」


「「ははっ、ありがたき幸せにございまする」」


俺はかねてから小姓の藤堂与吉を蔵秀丸の学友兼遊び友達兼護衛として、ゆくゆくは蔵秀丸の腹心の家臣にしようと考えていたのだが、問題だったのは蒲生鶴千代の扱いだった。


鶴千代は蒲生忠秀の三男だが、史実で信長が「尋常でない目をしている」と才能を見抜いて娘婿にした蒲生氏郷だ。蒲生宗智と忠秀も鶴千代の優秀さを理解しており、長男と次男を差し置いて、鶴千代を跡継ぎにしようと考えていた。


そんな蒲生家の跡取りを蔵秀丸の学友にすると、次代の蒲生家を担う鶴千代が心理的に寺倉家の家臣のようになりかねないので、俺は鶴千代を蔵秀丸の学友にするつもりはなかったのだ。


だが、堺で蒲生宗智が怪我を負った後に宗智と腹を割って長い時間話し合った中で、数え12歳の鶴千代の扱いについても話し合った。そして、宗智の強い希望で鶴千代が数え15歳になるまでは蔵秀丸の学友とし、3年後に俺が烏帽子親となって鶴千代を元服させて、蒲生家に嫡男として送り帰すことで合意したのだ。


宗智には命を救けられた負い目がある俺としては、宗智の達ての要望を無碍に断る訳にも行かなかったのだ。宗智としては鶴千代と蔵秀丸との絆を固めて、次代の蒲生家を安泰としたいのだろうな。


俺としては小姓の与吉と鶴千代が交代でいなくなってしまうが、別に小姓は1人でも側近の小川佐平次がいるので特に不便はないし、小姓が必要になったならば他の重臣の子供から利発な子を選んで小姓に任命すればいいだろう。


こうして蔵秀丸の傅役と学友2人を決めた俺は、教師役の3人にも話を伝えて快く引き受けてもらうと、明日の元日の評定で家臣たちに公表することを決めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る