長島城の戦い⑤ 一揆鎮圧
「まさか左馬頭がこの提案を飲むとは……」
下間頼旦の側近の僧兵が予想外の出来事に驚きの声を上げる。
「ふふ、寺倉の目的はこの長島の一揆を鎮圧し、伊勢国を平定することだったのであろう。そして、長島の一揆を降伏させたとあれば、三河の一揆で敗れたにも関わらず、長島の援軍に駆けつけた織田の兵の士気も上がると読んだ。それで、この後の三河の一揆を鎮圧しやすくなるのならば、それに越したことはないということであろうの」
下間頼旦は不敵な笑みを浮かべながら饒舌な口調で告げると、長島城の大手門から堂々と出ようとしていた。
「寺倉はまだ畠山征伐の途中であったからな。長島の一揆の鎮圧が長引くのは得策ではないと考えたのであろうよ。さもありなん。ふふふ」
頼旦が側近にそう言うと同時に大手門が開かれ、城の外へと踏み出した刹那であった。
――ダダーン! ダダーン! ダダーン! ダダーン!……
数え切れないほどの鉄砲の射撃音が耳をつんざくように響かせたかと思うと、その銃弾は一斉に頼旦へと向かって飛んで来た。
(おのれ、謀ったな!)
頼旦がそう口から出す暇もなく、全身に銃弾を受けて蜂の巣にされた頼旦は、後ろの側近の僧兵と共に力なく崩れ落ちた。
こうして、「長島一向一揆」の鎮圧、ならびに下間頼旦の討伐が成った。
寺倉家は桑名郡4万石を加えて伊勢国を平定し、領地はついに200万石に達したのであった。
◇◇◇
伊勢国・桑名。
その日の夜、俺は以前、作戦会議を開いた会合衆の屋敷の大部屋に信長ら織田家の諸将を招いて、祝勝会を催した。
「ほぅ、寺倉家は桑名郡を加えて、ついに200万石となったか。俺が正吉郎に初めて会った時には正吉郎は1万石余りの国人領主であったが、8年足らずで200万石の大名になるとはな」
「いえ、これも三郎殿と出会い、半兵衛や新九郎と義兄弟の契りを交わしたが故にございます」
「ならば俺も"長兄"として"弟"には負けてはおれぬな。さっさと三河の一向一揆を潰して、北条を征伐せねばな。それはそうと、正吉郎。あの"なぱーむ"という壺は、以前頼まれて遠江から送らせた臭水で作ったものか?」
「はい、左様にございます。臭水に獣脂から採った膠を混ぜると、水を掛けても容易には火が消えない油ができるのです。お約束どおり後でナパームの作り方を書いたものをお渡ししますので、三河の一揆を鎮圧する際にぜひお使いください」
「うむ、助かる。一向門徒は蝗のように群れて攻めてくる故、"なぱーむ"を使えば一網打尽にできるな。それに鉄砲とは違って、多少の雨が降っていても使えるのも良い武器だな」
「それと、三郎殿。志摩水軍が制圧した服部党の市江島ですが、木曽川の向こうは尾張国ですので、織田家にお譲りします」
「うむ、確かにあの地は尾張国だが、輪中地帯である故、ひとたび洪水で木曽川の流れが変われば、一晩で伊勢国になる地でもある。我が織田の兵が制圧したのならば、織田家のものだと言えるであろうが、寺倉家が制圧した地を我らが受け取る道理はないし、俺はそこまで厚かましい男ではないぞ。それに、俺としては服部友貞と服部党を滅ぼしてくれただけでもありがたいのだ。市江島は制圧した志摩水軍にでも褒美にくれてやるが良かろう」
さすがは信長だな。"弟"が手に入れた地を恵んでもらうのは、"長兄"としてのプライドが許さないのだろう。家臣の手前もあるしな。だが、俺が市江島を信長に譲ろうとするのは、別の理由があるからなのだが、さて、どうやって説明したものか。
「三郎殿。実は織田家にとって重要な収入源である津島ですが、後百年もすると津島湊は佐屋川の運ぶ土砂で浅くなって使えなくなるようなのです。故に、市江島にある服部党の湊を今から少しずつ整備し拡げて、然るべき時期に津島の町を移転させれば良いと考え、提案したのです。まぁ、桑名の町にとっては商売敵となるので痛し痒しですが、市江島に湊ができれば、桑名とは熱田の"七里の渡し"よりも短い"三里の渡し"で結ばれることになり、佐屋街道を東海道に組み入れることができ、織田家にとっても収入が増えることになるかと存じます」
史実では、津島湊は佐屋川の土砂堆積により次第に浅くなり、100年後の江戸時代に尾張藩は津島湊を廃止するのだ。そして、一里南の佐屋湊を使うようになるのだが、その佐屋湊も江戸時代後期には土砂の堆積により川舟の航行に支障を来たすようになる。その結果、半里下流の市江島辺りに川平湊を開いて使用することとなる。
そこで、俺はどうせ使えなくなる佐屋湊ではなく、始めから市江島に大きな湊を整備させて、津島湊からスムーズに移転させて、市江島が東海道の湊町として賑わうように市江島の譲渡を提案したのだ。
だが、津島湊が100年後には使えなくなるのを俺が知っているのは"神託"によるものだと、信長は理解したのだろう。納得の表情を浮かべているが、他の織田家臣は俺が"神の御遣い"だとは知らされていないので、怪訝な顔をしている。
「なるほど、左様か。津島湊が使えなくなるならば、市江島はぜひとも必要となるな。だが、正吉郎の配慮をタダで受け取る訳には行かぬ。おい、"長谷部"を持って来い」
信長がそう言うと、小姓が太刀を持って来て信長に渡した。
「正吉郎、服部党を滅ぼしてくれただけでなく、津島湊の将来を考えて市江島を譲ってくれる礼として、この"長谷部"を譲ろう。これでも足りぬが、受け取ってくれ」
ん? 長谷部? ひょっとして「へし切長谷部」か? 南北朝時代に長谷部国重によって造られた未来の国宝じゃないか! 確か信長に無礼を働いた茶坊主を成敗した時、台所へ逃げて膳棚の下に隠れた茶坊主を棚ごと圧し切った、つまりは刀身を押し当てて切って手打ちにしたことで、その切れ物の刀に「へし切」の異名が付けられたという由来だったはずだ。この世界ではそのイベントが起きた後なのか不明だが、曜変天目茶碗と言い、へし切長谷部と言い、信長はちょっと気前が良すぎやしないか?
「私の腕では折角の名刀が宝の持ち腐れになるかと存じますが、三郎殿のご厚意故、ありがたく頂戴します」
「うむ。……それと、猿!」
「はっ、ここに!」
信長は俺に「へし切長谷部」を手渡すと突然、秀吉を呼んだ。秀吉は慌てて信長の前に跪く。
「猿。貴様に此度の一夜城の策を見事にやり遂げた褒美を授ける。お前に市江島を領地として与える故、お前の得意な"割り普請"とやらで津島湊に代わるような湊を整備せよ。良いな」
「へっ? 私が領地持ちでございますか? かたじけなく存じまする! この木下藤吉郎秀吉、必ずや市江島に立派な湊を造ってご覧に入れまする!」
秀吉はよほど嬉しいのだろう。満面の笑みを浮かべている。史実でも確か墨俣に一夜城を築いた後に、墨俣の地を信長から拝領したはずだから、史実と似たような褒美だな。秀吉ならば、わりと早く湊を整備するだろうから、信長も上手いこと考えたものだな。
一方、柴田勝家や佐々成政は苦虫を噛み潰したような顔をしているが、こればかりは他家の人間関係の問題なので、俺が口を挟むべきことじゃない。
こうして、祝勝会は無事に終了し、翌12月27日、長島の後処理を嵯治郎と利蹊に任せると、寺倉軍は統驎城への帰還の途に就いた。
そして、寺倉家は冬を越してからの畠山征伐の再開に向けて、織田家は「三河一向一揆」の鎮圧に向けて、それぞれ動き出すのであった。
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