長島城の戦い④

寝ぼけていて間違った話を更新してしまいました。大変申し訳ございません。ご指摘くださった方、ありがとうございます。助かりました。





伊勢国・願証寺。


「どうなっておるのじゃ! 数に勝る我らが何ゆえ囲まれておるのじゃ!」


(くっ、こうなっては裏の出口から逃げることもできぬか。抜かったわ!)


寺倉軍に願証寺を包囲されて動揺を露わにする証意は、顔から血の気が引いて真っ青になると、物見台から眼下の軍勢を睨みつけた。


「寺を襲うなどとは悪逆非道にも程があろう。寺倉には必ずや仏罰が下ろうぞ!」


しかし、その叫び声が寺倉軍に届くことはない。証意が愕然として何もできずに立ち尽くしている目前で、寺倉軍は願証寺に向かって一斉に火矢を放った。寺の一向門徒たちは懸命に消火しようとするものの焼け石に水で、数分の間に寺の至る所で火の手が上がり、黒煙が上り始める。


願証寺の一向門徒たちは悲鳴を上げながら炎から逃げ回り、寺の門外に出た途端に一人残らず寺倉軍に討ち取られていく。血も涙もない所業を目の当たりにして茫然自失とする証意は、額から脂汗を垂れ流しながら思案に耽る。


(寺に火を放つなど、決してあってはならぬ悪魔の所業じゃ。比叡山に火を放った三好と言い、加賀を滅ぼした浅井と言い、寺倉も織田もすべて仏敵じゃ!)


証意は自らの最期の刻がすぐそこまで迫っていると察するや否や、乾いた笑いで現実を受け止めた。証意は死の恐怖に震える身体を両腕で抱き締めて、迫り来る炎を見つめる。


(「死ねば極楽」とはよく言ったものじゃ。死ぬのがここまで怖いとは、思わなんだわ)


これまで数え切れないほど目の当たりにしてきた門徒たちの死を、「死ねば極楽」と諭して受け流してきた証意であったが、いざ自分の死が現実となると、生物としての生存本能から身体が死を拒絶しているのを自覚する。


(童の頃に父上に「死ねば極楽だと、どうやって確かめたのですか?」と訊ねたら、「戯け者! 二度と斯様な戯れ言を口にするでない」と叱られたが、果たして本当に死んだ後に極楽に行けるのじゃろうか? やはり門徒どもを操るための方便だったのじゃろうか?)


証意は2年前に死去した父・証恵の後を継いで願証寺の住持となったばかりであったが、死の間際になって初めて父の教えに疑問を抱いたのであった。やがて炎は証意の居室にまで達すると、証意の姿は「ぐわァー!」という悲鳴と共に炎の中に飲まれていった。


◇◇◇


松ノ木砦を落とし、願証寺を炎上させて証意を討ったことにより、長島輪中の北部制圧が成った。そして、寺倉軍は願証寺の焼け跡を検分することなく、南の長島城に向けて一路進軍を開始したのである。


一方、炎上する願証寺から立ち上る黒煙は、一夜城作戦の成功により寺倉軍が願証寺を攻略したことを物語っており、長島輪中の東から上陸する織田軍の目にもはっきりと映っていた。


「クックク、やったか! ついに願証寺が落ちたぞ! 残るは長島城のみ! 皆の者、かかれ!」


信長は願証寺の攻略により長島輪中の北部が制圧されたことで、織田軍の将兵に自ら檄を飛ばし、長島城のある南部に一気に攻勢を仕掛けさせる。


さらには、西から上陸した北畠軍も大鉄砲を用いて長島城への攻撃を開始しようと前進しており、長島城は北と東西から半包囲されて挟撃を受けようとしていた。


◇◇◇


伊勢国・長島城。


一方、長島城を守っていたのは、顕如に命じられて石山本願寺から送り込まれた下間頼旦だ。


史実では、下間頼旦は3度に渡る「長島一向一揆」の戦いで、織田信長が信頼を寄せていた庶兄の信広や弟の信与、秀成を討死に追い込み、肉親への愛情が滅法強い信長による「長島一向一揆」の大虐殺を引き起こす元凶となった武勇の将である。


しかし、4万もの大軍に城を囲まれ、願証寺の証意という精神的支柱を失った一向一揆の将兵は、一目見ても明らかなくらいに士気が低下していた。


「もはやここまでか。これ以上抵抗したところで根切りにされるだけだな。門徒たちはまだ多く残っているが、この士気の低下は致命的だな。『長島城に籠る門徒全員の助命』を条件に開城を願い出よう」


「頼旦様、その条件を寺倉左馬頭や織田尾張守が認めるとは思えませぬが」


側近の僧兵が頼旦の言葉に異を唱える。


「ふっ、いや、認める可能性が全くないとは思えぬぞ。彼奴らは桑名でも町衆の降伏を受け入れたではないか?」


「ですが、桑名の町衆は降伏したと言いながら、油断した北畠軍を襲って騙し討ちしたのでございますぞ? ならば、左馬頭は絶対に認めないのではありますまいか?」


「ふふっ、たとえお主の申すとおり寺倉に断られたとしても、その場合は我らだけでも逃げれば良いのよ。門徒ならば虫のように幾らでも湧いてくる故、この城の門徒たちを肉の盾にすれば、南の海から舟で逃げられるであろうて。そのために門徒が全員死んだところで石山御坊には大した痛手にはならぬ。良いか、顕如様が長島と三河に蜂起を命じられた本当の目的は、石山御坊が寺倉との戦いのために門徒を増やし、守りを固めるための時間稼ぎなのだ。長島の一揆の敗北は始めから織り込み済みだったのよ。まぁ、当初の思惑よりはかなり早い敗北とはなってしまったがな。分かったか?」


顕如は正吉郎の畠山家征伐が終わった後の標的が石山本願寺であると確信し、一向門徒を増やすための時間稼ぎとして長島と三河に一向一揆の蜂起を促したのであった。


「……左様でございましたか」


その側近の僧兵は、顕如と頼旦の余りにも利己的なやり方に対して、内心では「酷すぎる」と思っていたが、決して口には出さずに渋々といった様子で首肯したのであった。



◇◇◇



「長島城に籠る全員の助命を条件に降伏し、城を明け渡すとな」


12月26日の昼過ぎ、長島城を包囲した俺たちの本陣にやって来た長島城からの使者が、俺たちに降伏条件を提示した。


「ふっ、愚かな奴らよ。この期に及んでよくも恥ずかしげもなく、堂々と降伏条件など言えたものだな。開いた口が塞がらぬわ」


信長が呆れて物が言えないかのように声を上げる。


「これは間違いなく罠ですぞ。桑名の件があります。下間頼旦は何か企んでいるに違いありませぬ」


嵯治郎はぐっと拳を握って、桑名での一件を指摘する。


「桑名の時は願証寺という逃げ道があり、さらには初回であったからこそ、そのような策謀を用いることができたのだ。奴らも同じ策が二度も通用すると考えるほど、愚かではないと思うぞ」


俺は怒りを堪える嵯治郎に宥めるように声を掛ける。


「我らがこの降伏条件を蹴れば十中八九、頼旦は門徒を盾にして逃げるだろうな」


信長が冷静な口調で淡々と告げる。そう、長島城に籠る一向門徒たちは頼旦らが逃げるための援護、有り体に言えば盾に使われるのが、火を見るより明らかだったのである。


しかし、正吉郎や信長にとっては「長島一向一揆」の指導者である下間頼旦を討ち取り、背後で糸を引く石山本願寺の顕如に見せつけてこそ、この一揆の鎮圧に意味があり、ここでみすみす下間頼旦を取り逃がすことだけは何としても避けたいところであった。したがって、この降伏の提案を断るのは愚策であった。


「では、如何すると?」


嵯治郎の問いに目配せをした後、俺は徐に口を開く。


「この降伏条件を渋々飲んだ振りをして、長島城から出てきた下間頼旦を鉄砲の一斉射撃で撃ち殺すのだ。嵯治郎が桑名で受けた策謀の意趣返しだ。これで桑名で騙し討ちされて死んだ兵たちも冥府で喜ぶであろう。ふふふ」


俺が口角を上げて、そう告げると、信長と嵯治郎もニヤッと笑みを浮かべ、無言で頷いたのであった。

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