長島城の戦い③
伊勢国・願証寺。
「証意様! 大変でございます! 砦が! 松ノ木砦の北に砦ができております!」
「ん? 砦じゃと? 何を寝ぼけたことを申しておる。一揆の最中でも、きちんと朝のお勤めを果たすのじゃ」
願証寺の住職・証意は日の出からほどなくして目覚めると同時に、寝所に慌てて駆け込んできた小坊主の言葉を聞いて、「ついに狂ったか。こいつはもう使えぬな」と端から信じようとはせず、呆れ顔で眉を吊り上げた。しかし、それも無理はない話である。むしろ"昨日まで存在しなかった砦が存在する"という話を聞いただけで信じる方がおかしいだろう。
「寝ぼけてもおりませぬし、戯言でもございませぬ! 現に今、その砦には寺倉の兵が詰めており、こちらの動きを虎視眈眈と伺っておりまする。証意様、嘘だとお思いならば、物見台から証意様の目でどうかご覧になってくださいませ!」
小坊主は語気を強めてそう言った。嘘であれば不敬罪にも当たる迫真の訴えを見て、さすがに嘘だとは思えなくなった証意は、訝し気な表情でやれやれと立ち上がると、小坊主の勧めるとおり物見台へと足を運ぶ。
「どれどれ、どこに砦があるのというのじゃ? ……なっ、あれは!!」
そして、証意が願証寺の物見台から北を覗くと、確かに松ノ木砦の北に見覚えのない"砦"の姿が朝日に照らされてはっきりと目に入る。小坊主の言葉を疑っていた証意であったが、何度目を擦って瞬きをして見直しても、願証寺から2km足らずの距離に"砦"が存在する光景が変わることはない。証意はいよいよそれが真実であると理解すると、わなわなと唇を震わせて怒気を孕んだ大声を張り上げた。
「まさか、これは夢か幻か? ええぃ、松ノ木砦の見張りは何をしておったのじゃ? 1町(約109m)もないところに砦を築かれたのじゃぞ! 見張りは打首じゃ! それよりも、今すぐにあの砦を潰すのじゃ! 一晩で築いた即席の砦じゃ、左程頑丈なはずはあるまい! 攻め込めばたちまちに崩れよう。皆の者、すぐに打って出るのじゃ!」
松ノ木砦の見張りが気づかなかったのも無理はない。正吉郎の指示により、作業の一番最初に大きな黒い陣幕を目隠し代わりに張っていたのである。満月の夜ならば黒い陣幕は見つかったかもしれないが、曇り空でほとんど闇夜だった昨夜の見張りが責任を問われるのは酷な話であった。
「は、はいっ!」
証意の憤怒の顔に気圧された小坊主は、震え上がって駆け足で去っていく。
証意は焦っていた。万が一、"砦"のすぐ南にある松ノ木砦が突破されれば、この願証寺は丸裸同然となり、一気に戦況は不利な形勢へと転じるのが明白だからである。碌な防御機能を持たない願証寺にとって、木曽三川は水堀であり、輪中は城内であり、松ノ木砦は城を守る二の丸と同等の重要な意味を持っていた。
しかし今、その城内に突如として敵の"砦"が築かれたのだ。もはや本丸である願証寺の喉元に刃を突き付けられた状況であった。数日後には津島の町を襲って兵糧を奪う算段をしていた証意であったが、もはやそれどころの状況ではなくなっていたのである。
さらに凶報は続く。
「証意様、あの"砦"の北に上陸した寺倉の兵が続々と"砦"の中に入っている模様にございます! また、西の桑名からも北畠が長島に向かっておりますれば、東の織田、南の志摩水軍も動き出しているかと存じまする!」
「おのれ! 全て叩き潰せ! まずはあの"砦"じゃ! 何としても潰すのじゃ!」
「ひっ、はぃっ!」
頭に血が上って真っ赤に染まった坊主頭の証意は、普段の冷静さを欠いた様子で地団駄を踏みながら周りの者に怒鳴りつけた。悲鳴を僅かに漏らすように返事をした伝令は、脱兎のごとく退室していった。そして訪れた沈黙。証意はしばらく顔を赤く染めたまま、ぶつぶつと呟きながら立ち尽くすのであった。
◇◇◇
一方、一夜城の"砦"では、日が昇ると同時に寺倉軍はこの"砦"に上陸し、一夜でできたとは思えないほど頑丈な造りに驚愕しながらも、その"砦"を叩き壊すべく怒涛の攻勢を見せる一向一揆勢を完全に抑え込んでいた。
「松ノ木砦を抜けば願証寺は目の前だ! 皆の者、気張れぃ!」
大倉久秀が兵を鼓舞しようと大声を張り上げる。 "砦"さえ完成すれば、こっちのものである。最軽量の大鉄砲を川舟で運び込んで"砦"から砲撃すると、打って出てきた一向一揆の僧兵や門徒たちは土煙と共に吹き飛び、押し潰されていく。
しかし、それでも怯むことなく怒声を上げながら突っ込んでくる姿は、正しく狂気という他なかった。ただ、その狂気もいつまでも続く訳ではない。"砦"を落とすべく攻め入ってきた門徒たちは徐々にその数を減らし、半刻ほどすると攻勢はピタリと止んだ。
「攻撃が止んだぞ! 今が好機である。松ノ木砦を落とすのだ!!」
藤堂虎高の檄が響くと、将兵はこれまでの鬱憤を晴らすかのように"砦"から一気呵成に駆け出した。大鉄砲の砲撃によって完全に戦意を砕かれた松ノ木砦の一向一揆勢は、寺倉軍の怒涛の攻勢の前に一刻と保たずに陥落した。寺倉・北畠・織田の軍勢は長島城の前に狙いを願証寺に絞っていた。願証寺は「長島一向一揆」の精神的支柱である。ここを砕くことこそ最も勝利に近づく戦略と考えたのである。
松ノ木砦の一向一揆勢が"砦"に向かっている間に、織田軍は輪中の東から上陸して砦を次々と陥落させていくと、北畠軍も西から上陸しようとしていた。だが、そこに立ちはだかったのが一向門徒である。元より兵数では優る一向一揆勢にとって、上陸地点が狭く、大軍の上陸には適さない輪中の西岸から攻め入る敵は、大した脅威ではなかったのである。
しかし、北畠軍も前回とは違う奥の手を用意していた。惟蹊は兄・正吉郎が補給してくれたナパームの手榴弾を使って、一向一揆勢を一網打尽にしようと狙ったのである。北畠軍を袋叩きにしようと密集する一向門徒たちの頭上で炸裂した手榴弾は、一気に門徒たちを火だるまと化した。密集した隊形では逃げようにも逃げられず、火の手は周囲の兵に移り、阿鼻叫喚の炎熱地獄が繰り広げられていく。火だるまになりながらも運良く川に飛び込むことのできた門徒も何人かいたが、川に飛び込んで安心したのも束の間で、違和感に気付く。
「ひ、火が消えないぞ! どうしてだ!! 熱い! 誰か助けてくれぇー!!!」
川の中でジタバタと動くものの、一向にナパームの火は消えない。ナパームを浴びずに火のみを纏った僧兵も、川に入って火が消えても周りは敵しかいない状況に変わりはない。一瞬で袋叩きにされていった。一向門徒たちの妨害でなかなか上陸できなかった北畠軍の兵たちは、これまでの恨みを晴らすかのように無惨にも死んでも殴り続ける有様であった。
ナパームの手榴弾は、南から攻め込んでいた志摩水軍の攻勢をも有効にした。海上封鎖に留まっていた志摩水軍も松ノ木砦の襲撃に乗じて動き出すと、服部友貞を棟梁とする服部党が立ちはだかった。
服部党は津島の南にある市江島を根城にして津島に向かう船から通行料を奪っていた海賊衆であり、服部友貞は「桶狭間の戦い」の際には火事場泥棒で熱田の町を襲って撃退された不逞の輩であった。そして、市江島を所領とする服部党は西隣の願証寺とは密接な協力関係にあり、織田家に服従せず独立を保っていたものの、1年ほど前に不在の隙を突かれて敗北し、所領を縮小していた。服部党にとって織田家は仇敵であり、背水の覚悟でこの「長島一向一揆」に参加していたのである。
服部党は何艘もの小早で船団を構え、志摩水軍を打倒すべく包囲していた。しかし、志摩水軍はナパームの手榴弾を服部党の小早の上で炸裂させると、たちまち船は炎に包まれていった。船は燃えれば戦どころではない。服部党は必死に消火しようと試みるが、水を掛けても消火できずに、逆に火だるまと化す有様であり、志摩水軍は服部党の根城である市江島に上陸すると、服部友貞を討ち取った。
こうして松ノ木砦を落とすと同時に、東西南から攻勢を仕掛けたことで、一向一揆勢は一気に崩壊した。そして、丸裸同然となった願証寺は瞬く間に包囲されたのであった。
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