長島城の戦い②

「三郎殿、長島に"一夜城"を築くというのは如何でございましょうか?」


まず、長島が位置する場所には木曽三川の支流が幾つも合流して網の目のように流れており、その内の一つの揖斐川を北に行くと、朝倉景紀が治める大垣の町がある。その朝倉景紀の傘下には長良川の水運を束ねる川並衆がいる。木曽三川は川並衆にとっては庭のようなものだ。俺は景紀が命じれば川並衆は手足となって動いて、必ずや役目を果たしてくれるはずだと考え、信長に告げる。


「ん? "一夜城"とな?」


「左様です。まぁ、城というよりは砦ですが、橋頭保としては十分でしょう。まずは簡易工法で部材を組み立てれば、すぐに砦や塀が完成するように設計します。次に、揖斐川の上流で部材を切り出し、実際に砦を組み立てます。その後にその完成した砦を解体して部材を筏に組んで、川並衆の力を借りて日が暮れた後に長島に到着するように見計らって、川の上流から筏を流すのです。そして、長島の北の輪中にある松ノ木砦の北に上陸し、夜の内に筏の部材を再び組み立てて砦を一気に築くのです。翌朝にその砦を橋頭保として寺倉軍が上陸し、そこを足掛かりとして松ノ木砦と一向門徒の根城である願証寺を落とし、他の軍も一斉に攻め込むという算段でございますが、如何でしょうか?」


簡易工法とは、即ち"プレハブ工法"のことだ。松ノ木砦は願証寺のすぐ北の砦で、ここを落とすことは、願証寺が丸裸になると同義である。長島の一向宗の本拠地である願証寺の住職・証意を殺して願証寺ごと葬れば、一向門徒たちの精神的支柱が失われ、戦闘意欲も大きく低下するだろう。


一向門徒も一晩の内に砦が築かれるなどとは夢にも思っていないはずだ。朝日と共に突如として出現した砦を見れば、松ノ木砦と願証寺の一向門徒は混乱の渦に巻き込まれるだろう。この砦から大鉄砲で松ノ木砦を攻撃すれば、勝利に大きく近づくに違いない。


「ふむ。……ほぅ、面白そうだな。やはり正吉郎は奇想天外な策を思いつくな。他に手の打ちようのない状況でもある。試してみる価値はあるな」


一晩で砦を築くなどという荒唐無稽な話に、始めは信長は反論しようと口を開きかけたが、一呼吸して考え直したのか俺の策に同意した。この提案を拒否したところで対案がある訳でもなく、正攻法では勝てないと実感したばかりの信長にとっても、これは一筋の希望の光でもあったはずだ。


「それと三郎殿。この策には私の配下の川並衆を使いますが、川並衆と知己の間柄だと聞いている、そこの木下藤吉郎殿にも力を借りたいと存じますが、宜しいでしょうか?」


川並衆との相性も良くて、秀吉が得意とする"割り普請"の手法を頼れば、作業が早く進むと考えたのだ。秀吉は誰よりも人心掌握に長けた武将であり、史実での「墨俣一夜城」の実績もある。協力を仰ぐには最適任の人物なのだ。


「猿か?」


信長は俺の意外な指名に驚いたように、末席に控える秀吉に目を向けると、秀吉も驚いた表情で固まっていた。


「左様にございます。藤吉郎殿は清洲城の石垣が百間崩れた際に、十間ごとに区割りして報酬を競わせ、短期間で修築を終えたとの話を聞き及んでおりまする。藤吉郎殿の手腕を見込んで、一夜城の部材を早く作るために、ぜひ与力していただきたいと存じます」


「であるか。ならば此奴を貸そう。猿、分かったな? 励めよ」


「ははっ、寺倉左馬頭様に某のことをご存じいただき、誠に恐悦至極に存じまする。この木下藤吉郎秀吉、身命を賭してやり抜く覚悟にございまする!」


秀吉はその場で土下座して、俺の指名に感謝している。さて、この一夜城作戦の肝になるのは川並衆だ。褒美をたんまり用意しなければいけないな。


◇◇◇


美濃国・大垣城。


「……ということだ。どうだ、お主ら、できるか?」


桑名で作戦会議が開かれたその日の夕方、前田利蹊から正吉郎の考えた一夜城作戦を伝えられた大垣城城代の朝倉景紀は、配下の川並衆の蜂須賀正勝と前野長康に作戦を説明し、その可否を訊ねる。


「お言葉ですが、左衛門尉様。左衛門尉様はただ命ずるだけで宜しいのです。我ら川並衆は左衛門尉様の命に従って動くのみにございますれば、"できるか"ではなく、"やれ"と申しつけくだされ」


鋭い眼光で川並衆の頭領・蜂須賀正勝が答える。その顔には僅かながら不満を感じられた。景紀の言葉から川並衆の実力を未だ認められていないように感じられたからである。


「ふっ、頼もしい奴らめ。よかろう。では、小六よ。直ちにこの策を遂行し、何としても成功させよ。長島の一向一揆を討伐するための鍵となる重要な策だ。失敗は断じて許されぬ。分かったな?」


忠義の炎に燃える正勝の目力に気圧され、呆れたように鼻で溜息を吐いた景紀はニヤリと笑うと、突然顔を険しくして強い口調で改めて命じる。


「「ははっ!! 承知仕りました」」


正勝とその横に座る副将の前野長康は、部屋を轟かせるほどの声量で力強く応諾した。


◇◇◇


その夜、朝倉景紀から一夜城築城という重要な作戦を命じられ、川並衆の一世一代の腕の見せ所が来たと腕を撫す蜂須賀正勝と前野長康は、すぐさま大垣の配下を集めて指示を下すと、西美濃から大工や人夫を集めさせる。急遽集められた大工たちも長島の一向一揆を討ち滅ぼすために御役に立てるならばと、喜んで協力を申し出た。


まずは正吉郎が描いた砦の絵図面を元に、大工たちに詳細な設計図を書かせる。必要となる柱や板の部材は正吉郎から極力同じ寸法となるように指示されており、同じ部材を大量に作ることによる作業の効率化が図られていた。大工たちは初めて目にする同一規格によるプレハブ工法に驚きつつも、これならばごく短期間に砦を建てることができると、目から鱗が落ちたように納得の表情をしていた。


大工たちが詳細な設計図を書くと、川並衆は大垣の人夫を最大限に活用し、揖斐川の上流に集めた材木を使って部材に加工させて砦を仮組みしていく。これらの作業は織田家から借り受けた木下藤吉郎がその指揮を執った。


藤吉郎は得意とする"割り普請"を用い、部材製作と砦の建設を迅速に進める。それに要したのはわずかに4日である。砦は数百人が籠る大きさであるが、全く同じ小屋を幾つも造る作業であるため、大工と人夫の組ごとに小屋を割り振って報酬を競わせ、5日の予定を1日短縮することに成功したのである。


12月25日の朝、正勝と長康は出来上がった砦に欠陥がないことを入念に確かめると、次はそれを解体して筏に作り変える。そして、その筏に川並衆と人夫を乗せると、長島に向かって一路揖斐川を下っていく。


「おい、藤吉郎。本当に一晩で砦なんてできるのか?」


「かかっ!小六殿、あれだけの啖呵を切っておいて今さら怖気づいたのですかな?」


「ふん。そんな訳があるか! 俺たちの力を舐めてもらっちゃ困るな。死にてぇのか?」


「おぉ、怖いのぅ。やはり小六殿はそうでなくてはな! 大丈夫でござるよ。一度組んだ部材をもう一度組むだけでござる」


藤吉郎と正勝は隠密作戦を控えているというのに、筏の上で無邪気に笑い合いながら軽口を叩き合っていた。蜂須賀家は染色用の灰と油を売る武家商人であった生駒家とは縁戚関係にあり、水運によって深い関係にあった。その生駒家は信長の側室・生駒吉乃の実家であったため、正勝は織田家にも「桶狭間の戦い」で傭兵として雇われ、その縁で藤吉郎とは知己であった。


藤吉郎は持ち前の人たらしの特技により10歳以上も年上の正勝とも関係を深め、川並衆が朝倉景紀の配下になった後も友人関係を続けており、今さら気を遣う関係でもなく、戦の前とは思えぬ和やかな雰囲気すら醸していた。


やがてそうこうしている間に陽が養老山地に沈み、筏は揖斐川から長良川と木曽川の合流する一帯に差し掛かると、川並衆と人夫たちも真剣な表情に変わって緊張が高まる。既に黄昏の刻であるが、万が一にも松ノ木砦から存在を発見されれば、たちまち襲撃される命懸けの作戦であり、誰も無駄口を利くことなく自ずと静寂な空気が生まれていた。


そして戌の刻(夜8時)の前、川並衆と人夫たちは松ノ木砦の北側に上陸すると、静かに筏を引き上げ、すぐさま砦の組み立てに取り掛かる。運良く曇り空で僅かな月明りの下で皆息を潜め、もはや藤吉郎の"割り普請"の競争など関係なく、人夫たちは己の命を守るために夜を徹して黙々と作業を進めていた。


今は冬至から日も浅く、日の入りから日の出までの時間が長い時期だったのも大きい。翌12月26日の卯の刻(朝6時)前、日の出前ギリギリという結果ながらも、川並衆と人夫たちは見事に一晩で砦を完成させてみせたのであった。

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