桑名の戦い

12月9日、北畠惟蹊は「我らの力で一向一揆を打ち破らねばならぬ」と決意を固めると、一向一揆勢が再攻勢を仕掛けてくる前に、先手を打って仕掛ける決断を下した。


志摩水軍が長島を海上封鎖をしているとは言っても、夜間に河口から離れた北側で川舟を使った補給は依然として続いており、「長島一向一揆」を鎮圧するには長島の補給基地とも言える桑名の町を制圧しなければ、延々と戦い続けるイタチごっこになりかねない。


そこで、惟蹊は北畠軍1万2千の兵を率いて松山城を出陣すると、揖斐川西岸を下り、桑名郡の中心都市である桑名の町を取り囲んだのである。


桑名の町は堺の町と同じく、会合衆の合議による自治都市であるが、堺の町と違うのは町衆のほとんどが一向門徒である点であった。つまりは会合衆も大半が一向門徒であった。故に、桑名の会合衆たちは利益を最優先に考えるはずの商人でありながら、一向宗への信仰を優先する判断を下してしまう。桑名の町を包囲した北畠軍からの降伏勧告に応じるどころか、桑名に攻め込もうとする北畠軍を打倒すべく、町衆は武器を手に取って徹底抗戦する姿勢を貫いたのである。


◇◇◇


翌12月10日の朝。たとえ町衆と言えども、それが武器を手にした一向門徒であれば、もはやそれは並みの足軽よりも脅威となる立派な兵士である。北畠軍を指揮する惟蹊は、寺倉軍が堺の町で行ったように、迷うことなく大鉄砲と南蛮船の艦砲射撃による桑名の町への攻撃を命じた。


一刻ほどの砲撃後、桑名の一向門徒が砲撃による混乱で抵抗が弱まったのを見て取ると、北畠軍は一気に町へと雪崩れ込むと、一向門徒達を瞬く間に制圧していく。


「こ、降伏する! 攻撃を止めてくれ!」


昼過ぎには、桑名の会合衆を名乗る者が、町の外に陣を構える北畠軍の本陣に降伏を申し出て来た。桑名の降伏の報告を受けた惟蹊は内心でホッとしていた。最悪は根切りせざるを得ない事態も想定していたため、それを回避できたが故の安堵であった。


しかし、これは一向門徒たちの狡猾な罠であった。わざと降伏したように見せかけて北畠軍の兵たちが油断した隙に、どこに隠れていたのか、無数の一向門徒が建物の裏や細い路地から出てきたかと思うと、一斉に北畠軍を襲い始めたのである。ほとんどが一向門徒であり、誰もが死を恐れない勇猛さを見せる桑名の町衆の前に、降伏の報せを聞いて気を緩め、鎧を脱ぐ者までいた北畠軍は格好の餌食となっていった。


北畠軍は鉄砲で対抗しようとするも、戦いは既に市街戦の半ばゲリラ戦の様相を呈しており、近距離での戦闘に移り変わっていたために、連射ができず、味方を誤って撃ち抜く危険性のある鉄砲の使用は将兵に躊躇わせた。桑名の一向門徒の反攻は凄まじく、北畠軍は徐々に劣勢に転じてしまう。


降伏させたと思いきや、一転して劣勢に立たされているという凶報がすぐに本陣へともたらされ、惟蹊は震撼する。


「降伏したというのは罠だったか! くっ、まんまと一向門徒どもにしてやられたな」


惟蹊は一向門徒の策略にまんまと嵌ったという事実に、歯噛みしながら憤慨する。だが、惟蹊は念には念を入れて桑名の町には入らず、町の外に本陣を構えていたたため、幸いにも本隊は無傷のままであった。


本来ならば余計な被害を出すことなく、敵である一向門徒にも無駄な死人を出させまいと、極力穏便な制圧を望んでいた惟蹊だったが、こうなれば致し方ない。惟蹊は断固として一向門徒の殲滅を命じ、桑名の町に北畠軍の本隊を以って攻め入った。


桑名の人口は1万5000人ほどであり、その6割の9千人の町衆が武器を手に取って戦っていた。しかし、桑名は商業の町であったこともあり、総じて兵の練度は低い。そのため、北畠軍の本隊が町に攻め入ると、歴戦の北畠軍兵士たちの前に町衆は瞬く間に討ち取られていった。


わずか二刻ほどで町衆の抵抗はほぼ収まり、逢魔が時の薄暗い空が戦の終結を告げていた。桑名の町衆には危機が訪れれば長島の願証寺に逃げ込め、という指示が行き届いており、北畠軍の本隊による本格的な攻撃が始まるや否や、町衆の半数は尻尾を丸めて長島の輪中へと逃げたためである。


結果的には長島にさらなる兵力を補給する形にはなってしまったが、桑名を制圧したことによって長島へのこれ以上の補給を阻止することとなり、北畠軍は戦略的勝利を得た。


◇◇◇


桑名の町を粗方制圧すると、すっかり日は暮れていた。北畠惟蹊は松明で足下を照らしながら、護衛と共に桑名の会合衆筆頭の屋敷に向かって歩いていると、どこからか啜り泣くような小さな声が耳を過ぎった。


辺りを見渡すと、通りの端に小さな影が蹲っている。見る限りは10歳くらいの子供のようだった。子供に警戒心を持たせまいと、惟蹊は穏やかな声色で話し掛けた。


「童よ、こんなところでどうかしたのか? もしや町から逃げた親と逸れでもしたのか?」


その瞬間である。いきなり子供が起き上がったかと思うと、匕首を持って惟蹊に向かって突進してきた。相手が子供だからと警戒心を解いていたのが悪かったのだろう。突然のことに惟蹊は反応できなかった。


「伊勢守様!!」


その時、それにいち早く反応したのは、兄・正吉郎から先日、小姓として送られた目賀田堅綱であった。


奇遇なことに、正吉郎が堺の町で堅綱に襲われそうになった事件と状況が酷似していた。しかし、12歳と言えども山寺で5年間素破の修行を積んだ堅綱である。10歳の町衆の子供の剣筋を見切れないほど甘い鍛錬は積んでいなかった。


堅綱の短刀が子供の匕首を弾き返すと、甲高い金属音が辺りに響き渡る。命懸けの奇襲が失敗したことに焦ったのか、その子供は匕首を闇雲に振り回すが、全て空を切っていた。


そんな子供に堅綱は冷酷な目つきで刀を一閃する。一切の恩情も容赦もなく、袈裟斬りにされた子供は血を噴き出して倒れるも、堅綱は一切表情を崩さない。そして、小さく息を吐いて刀を鞘に納めると、背後の惟蹊に跪いた。


「不埒者は成敗しました。伊勢守様を危険に晒してしまい、誠に申し訳ございませぬ」


惟蹊は荒れ狂うように動く心臓を抑えるように深く息を吐くと、堅綱に向き直って慌てたように口を開く。


「あぁ、いや、私こそ少々油断していた。礼を申すぞ、次郎左衛門尉。私が未熟なばかりに済まぬな」


惟蹊は感謝と謝罪の言葉を伝えた。惟蹊も寺倉家の男として剣の鍛錬も積んでいたものの、どちらかといえば弓や鉄砲といった遠距離の武器に秀でた才能を持っており、鉄砲の名手として名を上げていた。その精度は紀伊の雑賀衆にも劣らないとまで称されるほどであった。一方、至近距離での戦闘には不慣れな部分があり、相手が子供で油断していたとは言え、いきなりの襲撃に反応できないのも道理であった。


堅綱は静かに首を横に振ると、徐に話し始めた。


「誠にかたじけなく存じまする。ですが、伊勢守様が未熟などとはとんでもございませぬ。泣いている子供を見て、己の身を顧みず手を差し伸べられる優しきお人柄は、典厩様と同じものを感じまする。典厩様は復讐の念から刃を向けた私を寛大な御心で許してくださり、伊勢守様の側で仕えるという役目まで与えてくださいました」


「やはり兄上は偉大だな。私では到底及ばぬ。私の危機を予感して、お主を側に置いたのだと言われても信じるほどだ」


惟蹊は自嘲するように儚げに微笑む。


「伊勢守様。何も典厩様のようになる必要はないのではございませぬか? 人には向き不向きがありますれば、主君の足りない部分を補うのが家臣の役目にございましょう。そして、その主君を命懸けで守り抜くのが私の使命にございまする。私はまだ未熟な童の身ですが、我が身に代えてでも伊勢守様を守り抜く所存にございまする」


惟蹊は堅綱の言葉でハッとなって、自分の目指すべき道を再認識する。


「……左様だな。私は兄上の弟として相応しき武将にならねばと躍起になっておったが、何も兄上と同じになる必要はない。私はお主らのような素晴らしき家臣を持った。兄上が目指すべき目標であるのは変わりないが、それでも北畠家の当主として堂々と胸を張れる男にならねばならぬな。皆の者、これからもよろしく頼むぞ!」


「「「ははっ!」」」


惟蹊に身の危険が迫って冷や汗を掻いていた家臣も、決意を新たにして気合十分の惟蹊の言葉に、いつの間にか口角を上げていたのであった。


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