松山城の戦い② 松山城の逆落とし

美濃の最南端に位置する松山城は、養老山地を背後に控え、美濃・伊勢・尾張三国の国境に立地する山城である。松山城からは東の木曽三川越しに濃尾平野を一望することができ、長島から接近する一向一揆勢の動きを察知しやすい見晴らしの良い城であった。


その松山城の本丸で、城代の前田利蹊は迫り来る一向一揆勢1万を見据えていた。


「坊主率いる狂信者どもの姿が見えた。助右衛門、応戦の準備はできておるな?」


「はっ。万事整っておりまする」


利蹊は極めて冷静な声で近習の奥村永福に確認する。そして徐に踵を返すと、寺倉家を、そして利蹊を慕う者達が集結する場所へと足を進めた。


「皆の者! 敵は1万と言えども、一向宗の洗脳を受け、心を失った気狂いの雑兵の烏合の衆に過ぎぬ! 精鋭の我らに敵うはずもなく、恐れるに足らぬ! そして我らには"神の御遣い"であられる寺倉左馬頭様の御加護が付いておる! 弟君の北畠伊勢守様ももうじき援軍として駆け付けてくださるであろう。それまでの辛抱だ。泰平の世を脅かさんとする一向宗の糞坊主や狂信者どもを、今こそ討ち果たそうぞ!!!」


――ウォォォォ!!!!


将兵の気迫の籠った雄叫びが背後の養老山地に木霊する。その雄叫びには寺倉家を脅かそうとする敵に対する怨念も含まれていた。松山城下の領民たちも、仏への信仰を笠に着て、尊大な態度で酒食に耽る一向宗の僧侶や、我が物顔で武装する一向門徒には辟易としていたのである。その積年の恨みが、雄叫びという形で爆発したのだ。


意気揚々の将兵の様子を見た利蹊は、微笑を浮かべると頭上の空に目を向けた。





◇◇◇





一向一揆勢はその日の夕刻に松山城の麓を囲むように布陣すると、翌朝から攻撃を始めた。


だが、この日に備えて4年も前からコンクリートで補強されてきた城壁の守りは鉄壁であり、松山城の将兵にも物怖じする様子は全くなく、弓隊や印地隊の奮戦もあって、ここまで2日間互角以上の戦いを繰り広げる。


「ええぃ、何ゆえ1万もの兵力で斯様な小城を落とせぬのだ!」


石山本願寺から派遣された坊官である下間頼旦は、2日で簡単に松山城を落とした後、一気に北上して西美濃で最も栄える大垣を落とす算段であった。ところが、いきなり出だしの松山城の攻略で躓く羽目になり、一向に好転しそうにない戦況に、下間頼旦は焦りの色を見せ始める。


そんな昼過ぎであった。


――ポツ、ポツ、ポツ


ドス黒い雨雲が養老山地を越えて頭上を通過したかと思うと、途端に雨が降り出した。最初は肌を僅かに濡らす程度の小雨だったものの、半刻後には大粒の雨となり、さらに強さを増していく。やがては文字通りの土砂降りになると視界は10mほどしか見えない状況となり、戦などできるはずもなく、一向一揆勢は陣の周りの木陰で鎧を脱いで休息し、雨の収まるのを大人しく待つしかなかった。


しかし、この大雨を好機と見たかのように、陣太鼓の音を松山城の城内に響かせたのは、前田利蹊であった。


「ふっふっ、ようやく天恵が巡って来たか! 皆の者、これぞ正しく"あの時"と同じく"天の時"よ! これに高い位置にある松山城という"地の利"と我らの"人の和"を以ってすれば、今こそ悪の信徒どもを滅することができようぞ! 城から打って出るぞ! 一向一揆を殲滅せよ!!」


聞こえないとは分かりつつも、利蹊は声を張り上げて檄を飛ばす。


実はこの作戦は朝に立案されて事前に周知されていたのである。利蹊は早朝に養老山地の西方から迫りつつある大きな雨雲を素破から知らされており、昼過ぎには大雨が降ると予想し、「桶狭間の戦い」の再来となる雨中の奇襲作戦を立案したのである。そして、大雨が地面を打つ音で声が掻き消されると踏んだ利蹊は、出陣の合図として陣太鼓を鳴らすことを示し合わせていたのだ。


やがて大雨は雷を交え、まだ昼過ぎだというのに日暮れのように薄暗くなり、視界もままならない豪雨にまでなる。それでも得物を構えた城兵たちは、陣太鼓の音が打ち鳴らされると共に、開かれた城門から一気呵成に突撃を開始し、標高150mほどにある山城の松山城から打って出る様は、まさに逆落としの突撃であった。


利蹊がこの豪雨の中での攻撃を狙ったのには理由があった。まず、松山城が聳え立つ城山の土が軟弱で緩いということがある。したがって、大雨によって泥濘んだ城山の斜面は、攻城側からすれば大きな障害となるのであった。


もちろん高所から駆け下りてくる松山城の城兵たちも条件は同じであるが、日頃からこの城山の斜面で訓練を何度も行ってきた彼らには、地形も把握しているという"地の利"があったのである。


それに加えて、利蹊は「桶狭間の戦い」は経験していなかったが、「桶狭間の戦い」では豪雨により今川軍は味方との連携が取れなくなったのを聞き及んで知っており、寡兵である松山城の城兵が大軍を討ち破るには持ってこいの状況だったのである。


そして利蹊の目論見通り、こんな豪雨の中でまさか攻撃があるとは考えもしていない一向一揆勢は、幹部は陣幕の中で、僧兵や門徒は木陰で鎧を脱いで休息している者が大半であり、奇襲に気づいて慌てて動き始めた僧兵たちも泥濘んだ土に足を奪われ、明らかに動きを鈍らせていた。そんなチャンスを利蹊が見逃すはずもない。


「一向宗の糞坊主どもを一人残らず討ち取れぃ!」


「槍の又左」との異名を持つ利蹊は自慢の槍を振り回し、将兵を鼓舞し続ける。動きの散漫な僧兵が猛将の利蹊に敵うはずもなく、利蹊が槍を振るう度にポン、ポンと数人の首を刎ね上げ、面白いように僧兵たちの命を奪っていったのである。


こうなると、大雨のせいで誰が味方か区別も付かず、もはや一向一揆勢はパニック状態になる。僧兵や門徒たちは緩い地盤で足を取られながら慌てふためいたことで体力を消耗し、全身は泥水で茶色に染まった。その泥水を含んだ服は体を重くし、さらに動きを鈍重にさせる。


1万もの圧倒的な兵力を誇った一向一揆勢であったが、城山の斜面で逆落としの猛攻を行う松山城の城兵の怒涛の勢いに飲み込まれ、ついに崩れ始める。


「背後から北畠の軍が来たぞ! もうダメだ! 負け戦だ! 逃げろ! 逃げるんだ!」


そして、最後の止めを刺すように、利蹊はあらかじめ一向一揆勢に潜ませていた素破たちに、居るはずもない北畠軍が背後から接近しているという偽情報を叫ばせ、一揆勢の動揺を誘い、崩壊に導いたのである。


「て、撤退だ! 長島城に退くのだ!」


その情報が真実なのか、戦況の悪化に加えて視界もままならない中で、一向一揆勢に判断する余裕があるはずもなく、それを真に受けた下間頼旦ら幹部は我先にと脱兎のごとく逃げ出していった。


幹部が逃げ出して、置いて行かれる下の僧兵や門徒は堪ったものではない。完全に瓦解した一向一揆勢は蜘蛛の子を散らすようにして逃げていき、這う這うの体で再び長島城に戻っていった。


だが、一向一揆勢は蜂起の緒戦であった「松山城の戦い」で大敗北を喫したことにより、実に1万の内4000の兵を失うという全滅とも言える損害を被り、下間頼旦ら幹部の指導力が低下した一向一揆勢は、この後の侵攻計画を見直さざるを得なくなったのである。


それから半刻の後、戦前に高く掲げられていた本願寺家の家紋の「下り藤」の旗も倒れて泥水の中に埋もれ、既に城山の斜面には生きている一向一揆勢の兵は一人も見当たらなかった。


「此度の戦は我らが大勝利である! 憎き長島一向一揆を撃ち破ったぞぉー!!!」


――ウォォォォォォ!!!!!


前田利蹊が勝利の雄叫びを上げると、一際大きな歓声が上がる。5倍の兵を以って攻め込んできた一向一揆勢を、完膚無きまでに叩きのめしたのだ。


その勝利を祝うかのように、黒い雨雲は東に移動して雨は止み、西の空から日の光が差して、東の空には綺麗な虹が掛かっていた。


そして、眼下の虹の足元からは迫り来る大軍の姿があった。正真正銘、北畠軍12000の到着であった。

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