祇園精舎の鎮魂の鐘

松山城の戦い① 前田利蹊の信念

美濃国・松山城。


晩秋の11月末、夕日が西の養老山地の稜線を紅く染め、山影の松山城に秋の終わりを告げる冷たい風が僅かに痛覚を頰に伝える。松山城城代の前田利蹊は、河内で畠山家と戦っているはずの主君・正吉郎に思いを馳せていた。


「又左衛門様、長島の一向門徒に蜂起の動きが見えまする」


本来であれば利蹊は寺倉軍の畠山征伐に従軍する予定であったのだが、西美濃の最南端の松山城から目と鼻の先にある伊勢長島の一向門徒が、この秋の収穫後から不自然な動きを見せていたことから、利蹊の参陣は急遽見送りとなっていたのである。


不自然とは言っても桑名と長島との間の舟の動きが普段よりも多くなっている程度の事柄である。舟の動きは人や物資の移動を示すのではあるが、それが活発であることが直ちに一向一揆に直結するとまでは断定できなかった。だが、近習の奥村永福の進言に従い、寺倉領と織田領に挟まれる長島の一向門徒が万一、蜂起した場合の重大性を鑑みての判断であった。


「くっ、やはり動いてきたか」


そして、やはりその嫌な予感が正解だったと言うかのように、永福から舞い込んだ悪い報せに、利蹊は奥歯をぐっと噛み締める。


顕如は急激に勢力を拡大する寺倉家を警戒し、石山本願寺を攻められる前に、いつでも蜂起できるよう伊勢長島と西三河の一向門徒に兵を集めさせていた。そして、顕如から密命を受けた本願寺の坊官・下間頼旦が長島の願証寺に赴き、一向門徒を一斉に蜂起させたのであった。


「はい、顕如ならば、収穫後で兵糧が潤沢にあるこの時期に、典厩様が出陣された留守を狙って、寺倉領の背後で一向門徒を蜂起させようと考えるのは、十分にあり得る策かと存じます」


「助右衛門、お主の参陣を見送るべしとの忠言が見事に的中したな。敵の数は?」


「敵の数は1万。一向門徒は蝗のように湧き出て参りますが、これほどの数をよくぞ集めたものだと感心するばかりにございます」


長島の輪中にある願証寺がなぜこれだけの兵数が集められたのか。それは桑名郡の住民の大半が一向門徒だという特性を十分に活用し、郡内から門徒の"調達"を行い、桑名から舟で長島に"搬入"していたのである。


「そうか。で、何処に向かっておる?」


奥村永福が神妙な顔つきになると、意を決したように答える。


「……ここ、松山城にございまする」


「左様か」


利蹊は嫌に冷静だった。一向門徒1万の軍勢が此方に向かっているというのに、焦りを見せない。むしろ口角を吊り上げて、ようやく訪れた戦いを喜んでいるかのようであった。


「ふふ、これこそ正に正吉郎様の御加護というところか。怖いどころか負ける気など全くせぬ。我ら寺倉家に仇なす一向一揆を討ち果たせる喜びに、武者震いする始末だ。心を闇に囚われた一向宗徒の狂信者どもなど、一網打尽にしてくれようぞ!」


「え? それでは、1万の一向一揆勢をここで迎え撃つと申されるのですか?」


「当然だ。無論、さすがに野戦は無謀すぎる故、籠城する!」


利蹊は力強く断言した。


「又左衛門様、それは断固として反対いたしまするぞ! 松山城の城兵は僅か500ほど、城下の男衆を全て集めたとしても1500余りにございまする。6倍以上の兵に太刀打ちする術はございませぬぞ。逃げたとしても典厩様も咎めたりされぬはずにございまする。ここは大垣城の朝倉九郎左衛門尉様を頼って両者の兵を結集し、典厩様の援軍が到着するまで大垣城で持ち堪えるのが最善の策かと存じまする」


主君のまさかの言葉に永福は驚愕し、松山城で籠城することの愚かさを伝えようとするあまり、主君に対する言葉にしてはいささか出過ぎた口調で反論してしまう。


「助右衛門、お主の忠心からの申し様は尤もだ。だがな、それはならぬのだ。助右衛門、寺倉領では不要な小城は廃城となっている中で、この松山城は一体何のためにある城だと思うておるのだ? 何ゆえ寺倉家の重臣の俺が3年半も前から斯様な小さな松山城の城代を務めておると思うのか? 俺は一向門徒の蜂起を予想された正吉郎様から松山城の城代を命じられた際に、長島との最前線にあるこの松山城を死守し、一向一揆勢の侵攻を阻止せよと直々に仰せつかったのだ。確かに逃げたとしても正吉郎様は咎めたりされぬであろう。だが、俺は正吉郎様には返しきれぬほど多くの御恩があり、偏諱も授かったほど大きな信頼も得ておる。ここで戦わずして尻尾を巻いて逃げて、正吉郎様の信頼に背くような無様な真似など絶対に出来ぬのだ。ここで逃げれば前田家一門の恥、寺倉家の"将星"の名が廃る。良いか、死んでも一向一揆などには屈しぬぞ!」


利蹊はカッと刮目すると、心中の正吉郎に対する篤い忠誠心を包み隠さず吐露した。主君のその熱情にたじろいだ永福は、さすがに口籠ってしまう。


「で、ですが、典厩様は次なる"天下人"にございます。一向門徒が蜂起したと知れば、必ずや我らを助けるために援軍を差し向けてくださるに違いありませぬ。ならば万が一、又左衛門様が斯様なところで城と共に討死してしまうようなことにでもなれば、それこそ典厩様は蛮勇だとお怒りになりまするぞ。寺倉家にとっても又左衛門様を失えば大きな痛手となりましょう」


しかし、主君の命を第一に考える近習の永福は、このまま引き下がる訳には行かなかった。どんなに勇猛な"将星"の前田利蹊だとしても6倍の兵と相対するのは、余りに無謀に近い行為であったからである。


「"天下人"を支えるのが我らが役目である。どれほど苦境に立たされようとも、忠義を以って主君を支える。たとえ衆寡敵せず死ぬことになろうとも、俺は正吉郎様に胸を張って誇れる家臣でおらねばならぬのだ」


それでも利蹊の決意は微動だにせず、厳然とした口調を崩すことはなかった。


「……」


利蹊のその毅然とした態度に、永福はもはや何も言えなくなっていた。言おうとしても次の言葉が紡げない。断固とした決死の覚悟の利蹊から目を反らし、異論を唱えることは主君に対する侮辱にも思えたからだ。


「だが、助右衛門、勘違いするな。元より俺は家族を残して死ぬつもりなど毛頭ないぞ。おそらくは正吉郎様の本隊よりも先に伊勢守様が援軍に駆けつけてくださるはずだ。そうなれば、大垣城の朝倉九郎左衛門尉殿も一向一揆勢を挟撃せんと後詰を送ってくださるに違いない。故に、要は勝たずとも、それまで耐え抜けばいいのだ」


それは、自分の死が寺倉家に与える影響が小さくないことを利蹊が自覚しての発言であった。だが、それでも正吉郎に心酔する利蹊は、ここで一向一揆に降伏するという考えなど、一切持ち合わせてはいなかった。一向一揆に屈するくらいなら、切腹した方がマシだという考えであったのだ。


「……承知いたしました」


ついに永福の方が折れた。その表情には未だに釈然としないという不満も残っていたが、主君の揺るぎない"信念"にどこか安堵したようにも見えた。


実際のところ、松山城は4年前に寺倉家が竹中家から西美濃を割譲されてから、一向一揆の蜂起を見据えて最大限に増築・改修を施され、美濃の南の国境を守る役割として大垣城にも劣らないほどの堅牢さを誇っていたのである。


さらには、尾張屈指の商圏として織田家の財政を支える津島も木曽三川を挟んでほど近く、4年前までは農村しかなかった城下も発展を遂げていた。利蹊は松山城城代として正吉郎の命令に忠実に従って善政を敷き、利蹊もまた領民に愛される領主であった。そうした利蹊のこれまでの地道な努力の結果、寺倉家の危機と聞きつけた領民たちが、利蹊の徴集命令に応えて命を賭して松山城に集まってきた。驚くことに、徴兵対象ではない老人や女までもが参集し、松山城に集まった兵は2000に上ったのであった。

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