堺の戦い⑫ 堅綱と宗智の臣従

正吉郎の視線の先は堅綱に向いていた。


「左馬頭様、如何なる用にございまするか?」


素破である総持は、背後に正吉郎の気配を察知しており、驚くこともなく訊ねる。


「次郎左衛門尉に話があってな」


正吉郎は総持には一切目を向けず、真っ直ぐ堅綱の目を見据えていた。


「……」


既に堅綱の目から憎悪の炎は消えていたが、自分が殺そうとした父の仇に対して何を言えばいいのか戸惑っている様子で、堅綱は視線を泳がせていた。


「お主の父君を討ったのは御家を守るためだ。私は今も過ちだとは思わない。……だが、お主の父君を討ったのは事実だ。目賀田や六角に限らず、これまでの道程で私は数多の屍を越えてきた。故に、この乱世の犠牲になった者たちに報いるためにも、私はこの世に平穏をもたらす義務があるのだ。それには次郎左衛門尉、お主も含まれておる」


正吉郎は真剣な眼差しで堅綱を射抜いた。目を泳がせている原因はこれまでの堅綱自身の無礼な態度に起因している。今更それを責めるつもりなど毛頭ない。最初は無言で正吉郎の視線をチラチラと伺うだけだった堅綱も、一向に目を逸らそうとしない正吉郎から逃げられないと察し、恐る恐るといった様子で言葉を紡ぎ出した。


「私も、にございまするか?」


「ああ。この乱世を収め、皆が笑顔に溢れる世を作ることが、我が願いであり、使命なのだ」


そう言って、これまでの険しい顔つきは何処へやら、正吉郎は突如として破顔し、満面の笑みを浮かべた。


堅綱は再び困惑の色を浮かべるが、正吉郎の笑顔に一点の曇りもないことを感じ取るや否や、緩やかに口角を上げ、静かに瞑目した。


正吉郎は続ける。


「だが、私を殺そうとしたお主を私の家臣として召し抱えることはできぬ故、我が弟・北畠伊勢守に仕えよ。これからは生まれ変わって北畠家への忠義に生きるのだ」


正吉郎は堅綱の目をジッと見据えて告げる。


(堅綱はまだ12歳の子供だ。甘い処分は身を滅ぼすと身を以って実感したばかりだが、堅綱が本当に改心したのであれば、打ち首にするのはさすがに忍びない)


「俺を……、左馬頭様を殺そうとした私を赦してくださると仰るのですか?」


改心したといっても正吉郎のことを手にかけようとしたのだ。このまま処刑されて生を終えると思い込んでいた中で舞い込んだ生きる道に、堅綱は驚愕する。


「父君の復讐の念から解き放たれたのならば、お主を赦そう。無論、しばらくは目付役を付けるがな。それも働き次第で無くなるであろう。全てはお主次第だ。良いか?」


「ははっ、誠にかたじけなく存じまする。う、ううっ」


顔を上げた堅綱の両頰は、流れ落ちる涙で濡れていた。主家を失くし、父を失くしてからずっと長い間緊張の糸を張り巡らせていたのだろう。一度流れ出した涙は止まることを知らなかった。


「それと、三郎左衛門」


正吉郎はここで初めて総持に目を向ける。


「はっ!」


「お主の忠義は天晴れだ。六角の元家臣であり、松永弾正に仕えていたお主であるが、先ほどのお主の言葉には嘘偽りはないと分かった」


「誠に勿体なきお言葉にございまする」


総持は深々と頭を下げた。


「お主の忠義に報いるため私の偏諱を授けよう。"蹊政"の"政"の字を与える故、これからは"政持"と名乗るがよい」


「えっ? ですが、何の実績もない私に偏諱とは畏れ多いことに存じまする」


「実績ならば、たった今、次郎左衛門尉を改心させ、命を救ったではないか?」


正吉郎は総持を見据えると、少し語気を強めて告げる。


「ははっ、誠にかたじけなく存じまする。では、謹んで偏諱を頂戴し、これより三雲三郎左衛門"政持"と名乗らせていただきまする」


総持改め、"政持"は感激して堅綱と同じように涙を頰に這わせた。


「うむ。二人とも、これからの働きを期待しておるぞ」


「「ははっ!」」


こうして、目賀田堅綱は北畠家の家臣として召し抱えられることとなった。家臣たちからは少なからず懸念する声は出たが、正吉郎が説き伏せたのと寺倉家の直臣ではないことから渋々認めさせた。


一方、正吉郎から偏諱を受けた三雲政持は、その後、甲賀衆の筆頭として台頭し、「寺倉十六将星」最後の一人として名を連ねることになる。




◇◇◇




俺は今回の暗殺未遂事件を機に、改めて心を入れ替えた。敵に対する中途半端な温情は自らの首を絞めることになる。今回だって宗智が庇ってくれなければ死んでいたかもしれない。俺が死ねばどうなる? 六家同盟は崩壊までは行かずとも、同盟を主導した俺が死ねば、その結束が弱まるのは火を見るより明らかだ。


俺は療養中の宗智と長い時間、腹を割って話をした。宗智は俺に心配を掛けまいと、体調は何ら問題ないと気丈な態度を示していたが、宗智も歳だ。心身共に大きなダメージを負ったに違いない。俺は宗智と今後の展望について時間を掛けてじっくりと話し合った。


宗智もこれまでは俺を元家臣だと見ており、どこか引け目のようなものを感じていたのだろう。かつては寺倉家が蒲生家に仕えていたのだ。蒲生家の先代当主として俺を主君として仰ぐことなどできないと、矜持が許さなかったのも理解できる。だからこそ俺は宗智を家臣としてではなく、一先ずは客分の相談役として受け入れていたのだ。


だが、宗智は療養の床の中で考える時間が十分にあったのだろう。完全に割り切ったようだ。蒲生家は忠秀が寺倉家と"対等な盟友"として確固としてある。老いぼれの身でいつまでもつまらない矜持に囚われている訳にも行かない。そんな考えが頑なだった宗智の心を変えたようだ。


そして、負傷してから10日後の11月末の朝、ようやく床から出た宗智は徐に平伏して、俺に臣下の礼を取った。


「寺倉典厩様、この蒲生快幹軒宗智はこれより寺倉家の家臣として典厩様にお仕えしたく存じまする」


「宗智殿、本当に良いのか? これまでどおり客分のままでも構わぬのだぞ?」


「はい。ようやく自分の中でけじめが付き申しました。これからは家臣として如何様にでもお使いくだされ」


「左様か。相談役という役目は変えるつもりはない故、これからも傍で私を支えてくれ」


こうして、蒲生宗智は客分としてではなく、主従関係で結ばれた家臣となった。宗智との間に主従の絆を得た俺は、これで後は岸和田城を攻略して和泉国を平定するだけだと、次なる目標を見据えていた。


だが、そんな俺のところへ植田順蔵から凶報がもたらされる。


「正吉郎様! 伊勢長島と西三河で一向一揆が起こりましてございまする!」


「何だと! くそっ、本願寺がついに動いたか!重臣たちを集めよ。すぐに軍議を行うぞ!」


俺は高笑いする坊主どもの姿を思い描きながら、北の石山本願寺の方角を睨みつけたのだった。

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