堺の戦い⑪ 総持と堅綱の再会

俺は接収した油屋常琢の屋敷に泊まった翌朝、宗智が目を覚ましたとの報せを聞いて、宗智の部屋に駆けつけた。


「宗智殿、具合はどうだ?」


「大丈夫にございまする。ご心配をお掛けして申し訳なく存じまする。ご案じ召さりますな。どうやら悪運だけは人一倍強いようで、またもや地獄に行きそびれましてございまする」


そう言う宗智だが、かなり出血したせいか、その顔色は少し青白く、まだ本調子ではないようだ。俺はなるべく声を抑えて謝罪する。


「宗智殿、誠にすまなかった。彼の者は『目賀田の戦い』の後に、私が追放処分にした目賀田貞政の嫡男であった。私が情けを掛けて甘い判断をしたばかりに、もう少しでそなたを死なせてしまうところだった。もう二度とあのような過ちはしないと誓う。許してくれ」


「典厩殿。頭をお上げくだされ。こんな死に損ないの老いぼれの命で典厩殿の御命を救えるのならば本望にございまする。それに……」


「それに?」


「あの時、彼の者の背後に六角六宿老の一人だった目賀田忠朝の姿が見えたのでござる。実は『野良田の戦い』で忠朝を討ち取ったのは、寝返った我が蒲生軍でしてな。ですので、忠朝の姿が見えた時には、これも因果応報かと得心が行ったのでございまする」


「何と、そうであったか! 実はな、私も彼の者の背後に目賀田貞政の姿が一瞬見えた気がしたのだ。我々は彼の男の祖父と父の仇だったからな。どうやら我々は死んでも極楽には行けそうもないな」


「左様でございまするな」


「「はははっ、ははっ」」


俺が軽口を叩くと、しばらく二人で笑い合った。


「では、これ以上の長居は無用だな。宗智殿、ゆるりと養生してくれ。鶴千代、しばらくはお主が祖父殿の看護をせよ。よいな」


「はっ、かしこまりましてございまする」


俺は久々の祖父と孫の二人きりで積もる話もあるだろうと思い、鶴千代に宗智の看護を命じたのだった。




◇◇◇





油屋常琢の屋敷にある牢屋。


会合衆が処刑された後の昼過ぎ、日の光が入らず薄暗い牢に囚われの目賀田堅綱を一人の男が訪ねた。


「次郎左衛門尉よ、久しいな。5年ぶりだが、随分と大きくなったな」


「貴殿は……三雲三郎左衛門殿か。誠に久しいな」


突然姿を現した三雲総持の顔をまじまじと見て、ようやく堅綱はその名を口にした。2人とも「六角六宿老」の一角を担った家の子供であり、観音寺城での正月の宴で総持は堅綱と顔を合わせたことがあり、旧知の間柄であった。最後は三雲城で会って以来5年ぶりで、その時の堅綱は年端も行かない7歳の子供であった。だが、5年ぶりに堅綱と再会した総持は、12歳にしては立派な体格に成長して、驚いた様子もなく、落ち着き払った堅綱を見て、「肝が太いな」と内心で驚いていた。


「驚かないのか?」


「貴殿が堺にいるのは存じていた故、さほど驚くほどのことでもないだろう。だが、なぜ斯様なところに参られたのだ?」


実は堅綱は堺の町に来てから、松永久秀に仕える総持の姿を何度か見かけていたのである。それなのに堅綱が知己である総持を頼らなかったのは、浮浪児のようなみすぼらしい恰好の堅綱が、目賀田家当主の矜持から今の姿を見せるのは憚られたためであった。


「俺は会合衆に捕虜にされたが、寺倉左馬頭様に仕えることにした」


「三郎左衛門殿、気が触れたか! よもや我らが主君・六角承禎様の仇である寺倉に仕えようとは! 恥を知れ!」


堅綱は12歳とは思えない威圧感を纏わせて、一回り年上の総持を怒鳴りつけた。


「俺は素破だ。仕えていた松永弾正忠様が紀伊の畠山の元に逃げ延びられ、未だ存命である状況では、本来ならば素破の俺が解放されるはずなどなかった」


「ならば、何ゆえに寺倉に仕えたのだ?!」


堅綱も畠山が滅んで松永久秀が死なない限りは素破が解放されることはないのは理解できた。それだけに総持の言葉を聞いて、余計に表情が険しくなった。だが、総持は真剣な面持ちを崩そうとはしなかった。堅綱の姿が以前の自分と重なったからである。


「あぁ、分かっておる。だが、次郎左衛門尉よ、良く思い出してみよ。我ら六角家が寺倉家に対して行ったことを。それとも父君から聞かされてはおらぬのか?」


「左様な昔のこと、知るはずもないわ!」


「そうか、貴殿は童であった故、無理もないな。俺も左馬頭様に申されるまで忘れていたくらいだ。六角承禎様はな。蒲生家の家臣であった左馬頭様の父君を謀に掛けて殺したのだ。それも一陪臣にすぎない寺倉家の領地が栄えているのが"気に食わない"という理由でだ。その時の左馬頭様の心情は、貴殿ならば分かるであろう?」


「分からぬ! 貴殿のような誇りのない卑しい素破には、主家を失うことの重大さが分からぬのだ!」


六角家中において素破の身分の三雲家を差別することは御法度であった。六角家の最大版図を築き、三雲家を「六角六宿老」に重用した名君・六角定頼の命令である。故に堅綱の言葉は総持の逆鱗に触れた。


「六角江雲(定頼)様は我ら三雲家を素破だと差別せず、六角六宿老の地位にまで登用してくださった。この乱世において栄枯盛衰は珍しくもない。よいか、六角家が滅んだのも、全ては我ら家臣の力不足が原因なのだ。……寺倉左馬頭様は江雲様のように俺を素破と見下したりせず、余所者の俺を破格の待遇で召し抱えてくださった。寺倉家は今の戦乱の世を平定し、貴殿のような恨みに心を囚われた者を救うべく、泰平の世を作らんと志している。その一助として働くことこそ、冥府の父上への手向けになるはずなのだ。貴殿の父君もそれを望んでいるはずだ!」


総持は険しい顔つきで捲し立てる。その憤怒を孕んだ目つきに、堅綱は身震いし、徐に顔を伏せた。


「三郎左衛門殿、貴殿を侮辱したこと、お詫び申す。……だが、今からやり直しは効かぬ。俺は寺倉を討つためだけに生きてきた。もし赦されても何をどうすればいいのか分からぬ」


復讐の念に囚われて5年間を過ごしてきた堅綱は、目賀田家が滅んだ時点で精神の成長が止まって、精神的に未熟であった。故に堅綱の心を襲ったのは自分が何をしたらいいのか分からないという"困惑"の感情であった。


「顔つきが変わったな」


背後からの突然の声に、総持は瞠目して振り返る。そこには正吉郎が立っていた。

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